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この戦争は、どう始まったか -ノヴァ・バサン

(3,316 文字)

8月7日 ウクライナメディア:

ロシア軍に占領されながらも生き残ったニジーン地方の村、ノヴァ・バサン

首を蹴られたくないなら、頭を低く下げてはいけない

サブタイトルに、ユダヤの古い諺を取り上げたのは理由があります
それは、ロシア兵による一時的な占領を免れた別の村、ノヴァ・バサンの住民の礼儀正しい振る舞いによって裏付けられます
ビクトル・パブロビッチとタマラ・ドミトリブナ・ロマシェンコの家族の話を紹介します

「私たちの村で惨劇が始まった時、バカげた夢を見ているか、80年前の戦争の本を読んでいるかのように感じました
最初の爆発で家の窓が割れ、やっと恐ろしい現実に戻れました
そして2回目の爆発の後、私は親戚たち(キーウから妻と小さな息子を連れて息子と、息子夫婦たちの仲人夫婦も来てくれていた)に地下室に集まるように言いました」
タマラ・ドミトリブナさんはそう話す

「最初に反応したのは、この家のホストであるビクトル・パブロビッチでした
窓の外を見て
『ガレージに逃げるにはもう遅い
あそこはもう、私たちの車も、家のトラクターも、全部燃えている』と慌てて言ったのです
彼は急いで運び出そうとしましたが、私たちは『車より自分の命の方が大切だ』と主張し、行かせませんでした」

タマラ・ドミトリブナさんは、隈のできた目から自然に涙があふれ出てきて、それ以上話すことができなくなった
もうとっくに泣けるだけ泣いたと思っていたのに、どうしてだろう?
しかし、彼女はすぐにその理由に気付いた

「火事になるかもしれなかったので、裏手の窓から家を出ました
隣家の地面に倒れるように身を伏せ、弾丸や破片が頭上に飛んでくるのを防ぎました
傍らにいた孫のマクシムに『ただの戦争ごっこだよ』と言い聞かせ、覆いかぶさりました
4歳の孫はすでに恐怖で震えていましたが、けなげにも、小声で『こんな遊びはしたくない』『他のプレイヤーが撃つのを禁止してほしい』『死にたくない、殺されたくない』と答えました
この言葉が記憶から消えません
思い出すと涙が止まらないんです」

タマラ・ドミトリブナさんは家の中を占領軍が捜索し、携帯電話6台、ノートパソコン2台を奪われ、武器を探したが見つからないと言われたが、じっと耐えた
ビクトル・パブロビッチと彼の息子、オレクサンドルが捕らえられた
幸いなことに、その日の夕方には父親は帰ってきた
オレクサンドルが占領軍に「父は薬を飲まなければ死んでしまうから釈放してほしい」と頼んだのだという
彼らは父親には慈悲を与えたが、オレクサンドルは捕らえられたままだった

一部の村人たちは解放された

翌日、朝から、母親は息子を解放してもらうよう、頼みに行った
彼女は侵略者たちに、孫が「燃えるほどの」高熱の重症で、すぐに薬を必要としていると説明した
ロシア兵たちはこの理由に納得せず、ロシア兵と一緒に、一人だけ大人が薬局に行くことを提案した
仲人でもある、もう一人のマクシムの祖母が行ったが、薬局には大人用の薬すら無かった
そこで、父親であるオレクサンドルが村の中で薬を探すことになった
こうしてオレクサンドルは、ロシア兵の持つ破壊工作の容疑者リストに名前も無かったため、釈放された
後ろ手に両手を縛られ、布袋を顔に被せられた息子が母親のもとに連れてこられた
彼女は急いで駆け寄り、息子の身を自由にして家に連れ帰った

その日、この大人5人と子供1人は、危険な村の中心部から郊外に移動し、オレクサンドル・ネポドブニィさん一家の家に避難した
ほぼ1カ月間、親族としてオレクサンドル・ネポドブニィさん一家とそこで暮らした
タマラ・ドミトリブナさんや大人たちは、この仮の住居や自分たちの家が火の海にならないようにと祈るしかなかった
24日間の間に、ロマシェンコ夫妻は廃屋となった自宅を三度だけ訪れた
なぜなら、三月に気温が何度も氷点下に下がったので、暖房器具をチェックしなければならなかったのだ
スタジアムの広場を通過するとき、暗闇の中に戦車の砲塔が彼女の頭を向いているのが見えたことがあった
彼女は最悪の事態を覚悟し、冷たい茂みに倒れ込んだ
ギリギリのところで戦車の乗員はこの恐ろしい機械を別の方向に向けたので、怯えたこの女性は死を免れた
しかし、今はもうその記憶は薄れ始め、彼女は他のことを思い出す

「荒れ果てた我が家に戻ったとき、私たちは悲しみを抱えていましたが、孤独だったわけではありません」
タマラ・ドミトリヴナさんは親切な人々について感謝の気持ちを込めてそう話す
「まず、『土地と意志 «Земля і воля»』社のレオニード・フリホロビッチ・ヤコビシン社長とヴァレンティナ・オニシミブナ・チェルニアコワ社長に感謝しています」

「夫であり子どもたちの父親であるビクトル・パブロビッチが、しっかりとした給料をもらって職場に残っていることで、『土地と意志 «Земля і воля»』社の農場から建築資材の援助を受けることができました
そして、村が解放された後、ノヴァ・バサンはボリスピル市から建築資材の援助も受けています
コミュニティの代表であるミコラ・ディアチェンコは、家の修理と、全壊した外構の再建のために、この援助が受けられるようにしてくれました」

キーウから来たボランティア、ロマンチェンコ夫妻がアルセニヨビッチと呼んでいる、戦前は知り合いでも無かった老人も建設資材を提供してくれたという

国会議員のイリナ・ゲラシチェンコも解放されたノヴァ・バサンを訪問している
タマラ・ドミトリヴナさんは、今でもウクライナ国内外で有名なこの政治家と一緒に写った写真を持っている

しかし、ロマンチェンコ夫妻がもっと気にしているのは、庭の敷地にある2台の車とトラクター・アシスタントの焼け跡、榴散弾や銃弾で削られた家のスレート屋根などの戦争遺跡の写真である
国会議員に、ロマンチェンコ一家や他の犠牲者の悲しみを覚えておくことは難しいだろう
復興には多くの資金が必要になるのだ
そして、住宅だけでなく、村に欠かせない様々な施設がある
すでに復興の最初の「芽」は出始め、焼けた鶏の代わりとなる、若い鶏が育ちはじめている

ノヴァ・バサンの破壊された家
ノヴァ・バサンの破壊された家

占領後、あちこちの篤志家たちがノヴァ・バサンを助けに駆けつけた、と村では聞いています
しかし、その人道支援の不公平な分配に不満を持つ地元住民も多い
彼らによると、占領中、一部の役人や「普通の」活動家はどこにいるか分からなかったのに、人道支援が届くと、真っ先にやってきたという
しかも、聞くところによると、主に火災の被災者に配っていたらしい
ノヴァ・バサンでは、10軒の家が燃えたと言われている
そして、どれだけの人道的援助が「無かったこと」になったかを立証することは不可能である
ネガティブさの正確な評価は、SNS上だけで行われる

ノヴァ・バサンの破壊された家

しかし、生き抜いた社会の中心的な住民たちの最大の誇りは、占領期間中の1ヶ月間、誰も古代ユダヤの諺に違反することがなかったという事実であろう
「首を蹴られたくなければ、低く頭を下げるな 」ということだ
だからこそ、占領下での、一部の地域の「前衛」としてふさわしくない行動は、地方選挙を通じて正すことができるし、何世紀にもわた社会にそうした特徴を作ってきた人たちに対する地域社会の態度も正すことができるのだ
「愚かな心ほど悪い敵はない」
「罵声の多いところに仕事はない」
「何事にも善くあれ、何事にも有能であれ」
そして、特に参考になるのが
「ロバを責めることはない...ロバを雇った人の心境を聞いた方がいい」(レオニード・グリボフ)である

この言葉は、主に、二の轍を踏むのが好きな私たち有権者に向けられたものだ
今のような悲惨な時代でも、仕方なく(注:ロシアや親露派に)投票してしまう人がいるのである
勇気ある富豪や真の篤志家、ボランティアなど、頼りになる人がいるのは良いことです
そして、最終的に、この社会から駄目な国民が排除されるのはいつになるだろうか?

(終わり)
参考:ノヴァ・バサンに関連する物語

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