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この戦争は、どう始まったか -オレクサンドル・ブレウス(2)
(4,332 文字)
ボブロビッチャの罠
2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した
ユリアをキーウ郊外に残し、オレクサンドルは愛犬クリフォードとともに、幼い頃住んでいたボブロビッチャに向かった
クリフォードはユリアの犬と仲が悪かった
そこで、オレクサンドルの計画は、クリフォードを置いてすぐにキーウに戻り(車で2時間)、ユリアと妹をウクライナ西部へ避難させ、最終的には国外へ脱出させるというものだった
しかし、突然、数日間のキーウ夜間外出禁止令が出されたため、実質的にボブロビッチャに閉じ込められ、帰れなくなった
その不安な状況に、彼は涙を流した
「オレクサンドルは一刻も早くユリアのもとに行きたがっていて、落ち込んでいました..
そして、ボブロビッチャに二日間留まりました
電話越しに、兄が泣くのを初めて知りました」
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その間、オレクサンドルがキーウに行くためには通らなければならない高速道路を、ロシアの装甲車と軍隊の長い列が占領していた
数で劣り、不意をつかれたウクライナ軍は、ロシア軍の足止めに、できる限りの努力をした
ある地元のウクライナ当局者によると、ノヴァ・バサンの隣町では、ロシアの進撃を止めるため、ウクライナ軍は橋を爆破した
その町を通過する際、ロシア兵たちは6人の市民を殺害しているという
他の民間人も同じことを話している
たまたま通りかかった非武装の地元民が無差別に処刑されたというのだ
そして、侵攻4日目の2月28日の朝、ウクライナ政府はキーウの夜間外出禁止令を解除した
オレクサンドルは首都へと旅立った
そして、それはロシア軍も同じだった
ロシア軍、ノヴァ・バサンに入る
ノヴァ・バサンに住むユリア・ゴジャックさんは、その日の朝、成人している息子と一緒に食料品を買いに出かけたという
パン屋に焼きたてパンがあると聞いたからだ
そして、買い物をしているとき、息子が店内に飛び込んできた
「ママ、もうパンのことは忘れて!
行くよ!
レンガ工場の近くで戦車が撃ってる音が聞こえる!」
二人は車に飛び乗った
息子が運転し、村の外に出ようとしてボブロビッチャに繋がる交差点にさしかかった
ボブロビッチャに繋がる道は、オレクサンドルが通ったはずの道路だ
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彼女たちが交差点を通過しようとしたとき、カオスが発生した
行く手に陣取っていたロシアの装甲車が、車を見て発砲してきたのだ
「戦車は見てません
ただ銃声が聞こえ、煙が見えただけです」と彼女は言う
弾丸が車内を貫通し、フロントウィンドウは粉々になった
彼女は両手で顔を守った
弾丸は持っていた携帯電話に当たり、跳ね返って手に当たった
しかし、ゴジャックさんたちは、なんとか自宅に帰ることができた
オレクサンドルはボブロビッチャから来て、同じ交差点を通り過ぎようとしていた
オレクサンドル・ブレウスの死
オレクサンドルは、キーウの夜間外出禁止令が解除された直後、午前8時ごろに実家を出ていた
最後に見たとき、ナイキの白いシューズと緑のパンツを履いていたと母親は証言している
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オレクサンドルの運転中に、父親のミコラが心配して電話をしたという
「『どこにいる?』と聞くと、『チェックポイントにいる、ロシアの車列が見える』と言っていた」
ミコラはオレクサンドルに引き返すように促した
「それだけ話して、それっきりです
それが私たちの最後の会話でした」
その日の朝 9時から10時の間、村では爆発音を聞いたと言う人が何人かいる
テティアナ・バリショべッツさんは、ロシア軍が村の奥深くまで進入してきたせいですぐに閉店した、地元のスーパーマーケットで働いている
ロシア軍部隊がノヴァ・バサンに入ってくると、地元の人々は家の中に隠れ、時々は地下室に隠れていたが、バリショべッツさんは自転車で急いで家に帰ろうとしたという
その帰宅途中、道の真ん中で車が燃え、その横に死体があるのを見ている
「私は立ち止まりました
生きているかもしれないので、確かめたかったんです
でも、生きていないのは明らかでした
顔は見えなかったけど、手と足が不自然にねじれていたんです」
後日、私たちが写真で確認したところ、オレクサンドルさんの緑色のズボンは一部が焼け、膝から下は黒く変色していた
白いナイキのスニーカーは燃えてなくなっていたようだ
「『なぜ、こんな普通の人を殺すのだろう』と考えてしまい、震えが止まりませんでした
泣いてしまいました」
バリショベッツさんはこう振り返った
この女性も、オレクサンドルと同じ運命を辿る可能性があったことを痛感していた
全てはタイミングだった
もう少し早く到着していれば、ロシア軍が到着する前に通過できたかもしれない
もし、遅く到着していたら、通過しようとさえしなかったかもしれない
その夜、アーニャ・ブレウスは兄の捜索を開始した
一日中、アレクサンドルから家族への連絡がなかったからだ
彼女はソーシャルメディアに投稿を始めた
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その投稿を見たフルシュコは、最悪の事態を予想した
「ノヴァ・バサンからキーウまで2時間しかかからないからだ」
と、親友のサーシャ・フルシュコは言う
見知らぬ人が、SNSで流れていた犯行現場の動画をアーニャ・ブレウスに送った
彼女はそれをフルシュコに転送した
フルシュコはその映像に映っているのがオレクサンドルだと確信した
「遺体を見ただけで、もう十分だった
つまり、もう何も議論する必要は無かった
ただ......ただ、そう分かったんだ」
数カ月かかったが、オレクサンドルに何が起こったのかを理解することはできた
当初よりずっと多くのことを知ることができた
彼が誰なのか、なぜ旅をしていたのか、そして、いつ死んだのかも大体分かってきた
彼の家も家族も見つかり、録音で彼の声を聞くこともできた
しかし、それでも、戦争犯罪の検察官として必要な、本質的な問題については、ほとんど何も知らなかった
彼はどうやって殺されたのか?
そのためには、目撃者が必要だった
たった一人の目撃者が浮上した
ノヴァ・バサン地方行政官ミコラ・ディアチェンコは、殺人の目撃者はいないかもしれないと考えていた
「目撃者のことは知りません
おそらく誰もいなかったでしょう
ロシア人が村に入ったとき、人々は外に出ませんでした」
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ロシア軍が村に突入したとき、地元の多くの人々は、携帯電話を没収されることを心配し、メッセージ、写真、ソーシャルメディアの投稿を削除したという
事件現場の向かいにあるガソリンスタンドのオーナーは、ロシア軍が町に侵攻する前に監視カメラの電源を切ってしまったと、町の職員が教えてくれた
近くのスーパーマーケットのカメラも、ロシア軍が町を占領した際にハードディスクを持ち去られ、役に立たなかった
多くの場合、ロシア軍は誰がいたのか証拠になる物は破壊していることが分かった
ノヴァ・バサンの家々を回って目撃者を探したが、多くの家には誰もいなかった
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しかし、ある日、一人の男が来て言ったのです
「私を探しているんでしょう?」
男の名はオレクサンドル・ホロド
以前、彼の家を訪ねたことがあったが、そのときは留守だった
今度は私たちを招き入れてくれた
オレクサンドルの車の残骸の向かいにあるのが彼の家だ
家の中は埃だらけで暗かった
電化製品もカーペットもない
戦争が始まり、ホロドさんは引っ越していたのだ
ホロドさんは、自分が殺害の目撃者だと言い、2月28日の朝、ロシアの装甲車の集団が村に入ってきたときのことを話し始めた
「騒音が聞こえました、その音が大きくなって、彼らが来て..」
と彼は話し始めた
しかし、その話が終わらないうちに、ドアが開いて女性が飛び込んできた
前日に取材した、商店店主のラリッサ・アナトリエフナさんは、私たちがホロドと話をしていることに激昂していた
「あなたがロシアに協力したという事実を伝えるために来たんです
ロシア人と一緒に酒を飲み、自転車で自由に動き回っていたでしょう
言いなさい!
そうなんでしょ!」
と彼女は叫んだ
ホロドさんは占領下にいた数少ない住民の1人であり、仕方なかったと弁解した
そしてアナトリエフナさんは占領下にいなかった、とホロドさんは言った
「私はここにいて、自分の目で全てを見ました」
ロシア兵に料理を作ったのは、占領下にあって、強制されただけだと話してくれた
私はホロドさんに話を続けるように頼んだ
窓から窓へと動きながら、オレクサンドルが殺された日、その日にあったことを話してくれた
ロシア軍は進入してくると、BTRのような車両から兵士たちが出てきて、近隣に散らばっていったという
「私が見た最初の部隊には、5両のBTRがいました」
そして、ボブロビッチャの方向から来る車をホロドさんは見たそうだ
オレクサンドルさんの車だ
彼の家の前に残っている、焼け焦げたシトロエンのことだ
3両のBTRが先行しており、オレクサンドルさんの車は 4両目のBTRと並走したという
オレクサンドルが停車し、車から降りるのも見たそうだ
「何かで彼らと口論を始めた
彼はロシア兵たちに『ここで何をしているんだ』『なぜこんなことをするんだ』というようなことを言っていた」
オレクサンドルさんが話している間に、2人の兵士が後ろに回り、道を沿いに離れて行った
一人は機関銃を持っていた
もう一人の背の高い方はアサルトライフルを持っていた
警告もなく、その背の高い方の兵士が50メートルほど離れたところから発砲した
道路に倒れたオレクサンドルさんの頭から血が噴き出すのが見えたという
そして、一番近くにいたBTRはオレクサンドルさんの車の方に砲台を向け、その主砲を発射した
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2月28日の朝に起こったことについて、ホロドさんの説明は、私たちが集めた他の証拠と一致している
オレクサンドルさんの車の側面の穴は、ロシアの装甲車が発砲したものだろう
飛び散った血しぶきの方向は、ホロドの説明する発砲された場所と、ほとんど一致していることを示している
そして、彼の証言は、殺害当日の現場のビデオ(ホロドさんは見たことが無いと言っている)とも一致していた
ビデオを見たことが無いという最後の主張も、もっともらしいものだ
ホロドさんはスマートフォンを持っていなかったからだ
他のすべての詳細とも一致したことで、オレクサンドルさんの死を理解するためには、ホロドさんの証言は欠かせない存在となった
一致した詳細とは、オレクサンドルさんの遺骸に関する情報などだ
(つづく)
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