晒される子供について元不登校の立場で考えた。

某有名漫画家の娘さんにあまりよくない出来事が起こったらしい。
まずは、快方に向かわれますよう、お祈り申し上げる。

その上で、「晒されること」について少しだけ考えてみた。

娘さんは漫画の題材にされたことがとても嫌だったそうだ。
本名や外見、病歴などを世間に、全世界に勝手に公開される苦痛は想像に難くない。

漫画家の子供というレアケースだったからこそ起こった出来事なのか?とも思ったが、全世界総発信社会となってしまった今では、一般人もSNSで「育児まんが」や「育児エッセイ」「育児体験談」をシェアしている。

確かに、面白いものが多い。
子供の発想ってすごいな!と驚かされたり、クスリと笑えたり、人間を育てることの大変さを学べたりもする。
ただ、子供はどう思っているんだろう?

子供の頃って挨拶をするのすら恥ずかしかったり、大人は「微笑ましい」と思って笑っているだけなのに、「笑われてる、変なことしちゃったかな」と感じたりする。
感情のセンサーがめちゃくちゃ高感度で高性能なのだ。
それを、鈍感になってしまった大人が勝手に扱っていいものなのだろうか。

全世界に自分だけのストーリーを勝手に発信されるのって子供は嬉しいのだろうか?

そして、幼稚園から筋金入りの不登校だった私にとって、親視点からの「不登校体験記」に関しては、いや、どうなんだろう?と、強烈な違和感を覚えた。

私には子供がいないので、保護者視点での「不登校の苦悩」ついては分からないことが多い。
しかし、子供の気持ちは多分、そこら辺の人よりも物凄くよく分かる。

あ、これ、たまったもんじゃねぇぞ!って感じだな。

と、思った。

不登校って本当に様々な理由があるから、人それぞれだからこそ晒して欲しくないのだ。極めて個人的な話だから。
例えるなら勝手に裸の写真をばらまかれている気分になるだろうなと。

内向的な性格だからか、大人になった今でも不登校だったあの頃の出来事を世間様に向けてお話したいと思ったことはない。
出来ることなら思い出したくないことばかりだ。

それにも関わらず、ある程度事実をぼかしているとはいえ、知らないうちにみんなと共有してしまっている状況下に置かれるのは、私なら耐えられないなと。

お子さんが成人していて、自分の代わりに皆に伝えてくれと頼まれた場合や、発信許可をとった上で作品にしている場合を除き、勝手に公開することは暴露ハラスメントなのではないか?とすら思う。

だが、一方でそれを読んで元気付けられる親御さんやお子さんがいることも事実だと思う。
不登校児を抱える親御さんの心配や不安は私が考える以上のものだろうし、自分だけが学校に行けないわけじゃないんだ!と思った子供はそれはそれは勇気づけられることだろうと物凄くよく分かる。
「自分だけじゃない」って思えるの、まじ大事だよな!後輩!って感じだよ。

ただ、何よりも、子供の個人的な物語が不本意に晒されることはあってはならないと私は思う。
子供だって立派な一個人であるから。
ネットという性質上、形に残ってしまうので、井戸端会議で話されるそれとはわけが違うのだ。

SNS社会となった現代においては、保護者の方々の共有したい・発信したい気持ちをどこへ向けるか、そして子供の心を守るにはどうしたらいいか、この二点は最重要課題だなと感じた。
大人もSNSの使い方について再考する時がきているのだ。

個人的にはお子さんが成人してから許可をとった上で発信をするか、もしくはお子さんが自らの体験を皆と共有したいと「お子さん自身の意思」で決定した場合にお手伝いをする形で保護者の方が関わることが望ましいとは思う。

保護者の方々の不安・心配・ストレスを受け止める場所作りも重要になってくるのでないか。
地域不登校サークルみたいなものが身近にあって、不登校の子供を持つことの悩みなどを打ち明けられたらいいのかな。
そのサークルで不登校経験者なども交えてお話する場所があれば親御さんの息抜きになるかもしれないし。

そして不登校経験者の大人が子供の心を守り、寄り添うためにもう少し積極的に発信する必要もあるなと感じた。

こんな大人もとりあえず生きてますよ!って、こんなに辛かったけどなんとかなるよ!というメッセージの発信はきっととても意義がある‥‥はず。

普段は内向的で自分自身としか会議をしない私だが、皆で考えたくなる話題だなと思った次第。



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