見出し画像

私が「ご飯」を作る理由〜2003年・2004年のドラマ「ホットマン」からの影響受けたこと

もう20年前の出来事です。

当時、私のメンタルはコントロールできず、家族はバラバラになり、忙しい仕事の中でマンションのローンの支払いに悩んでいました。そんな時、自分を気晴らしするために観ていたドラマがありました。

そのドラマは、「ホットマン」でした。2003年に放送され、主演は降矢円造役の反町隆史さん、そして子役のななみ役に山内菜々さんが出演していました。舞台は横浜で、みなとみらいが登場することもあり、身近さを感じました。(なんと、あんな場所があるんだと驚きました)


ドラマでは、降矢円造は元ヤンキーで、通信高校・大学で頑張って美術教師になった設定でした。そして、ななみちゃんは保育園児で、アトピー性皮膚炎の病気を持っていました。


この親子のドラマを見て、なんとなく自分と重ねてしまったのです。特にななみちゃんが当時の私の娘にそっくりに見えてしまいました(笑)


ドラマからの影響を受けたのは、主人公の降矢円造がこだわるご飯作りでした。ななみちゃんのアトピー性皮膚炎のことを考えて、健康的な食事を作って与える姿勢に感銘を受けました。


その姿を見て、自分は料理をほとんどしたことがなかったけれど、毎日コンビニ食に飽きてしまい、将来娘と一緒に暮らせる日を夢見て、自分でも料理をするようになりました。具体的に何を作ったのかは覚えていません。当時はスマートフォンもなかったため、簡単料理の本を買ってレシピを見ながら作っていました。料理教室に通おうかと何度か考えましたが、実際には行けませんでした。料理教室の人々と話す気力がまったく湧かなかったのです。


その当時、娘4才は私の実家に預けていたため、月に1回程度、横浜から実家まで会いに行くことにしました。飛行機で帰るため、費用もかかりました。

毎週金曜日の夜に京急線に乗り、蒲田駅で乗り換えて羽田空港に向かいました。当時は横浜駅から羽田駅までの直行便が少なかったので、蒲田のホームで羽田行きホームに移動するのに手間取ることもありました。さらに、羽田空港に着いてからもJALとANAのターミナルが異なっていたため、何度かターミナルを間違えてしまい、あわてました。でも当時は30代で元気だったので、空港内を猛ダッシュしてなんとか間に合いました。

さて、話を元に戻します。毎日料理を作るわけではありませんでしたが、いつか娘と一緒に暮らせる日には、彼女に料理を作ってあげたいと思いながら、自分なりに料理を作り始めました。

しかし、料理の修行をしていても、娘に料理を作る機会は10年後になってしまいました。実家へ戻っても、母がご飯を作ってくれていたからです。だから彼女が中学1年生の時、彼女が横浜に遊びに来たときだけ、やって作ることができました。簡単なお肉料理でしたが、彼女はおいしいと言ってくれました。

娘は来月で24歳になります。年に数回実家に戻ってくるので、その時には料理を作って一緒に食べます。

本当は、「ホットマン」のように大家族で毎日一緒にご飯を食べることを夢見て料理の修行をしたのですが、夢は叶いませんでした。

でも、あの時料理を始めていなかったら、今でも料理が苦手なままでした。

この料理のスキルが役立つ日が近いうちに来ることを信じています。希望を捨てずに頑張ります(笑)

さて、人間生きていたら、メンタルコントロールできないこともあります。

そんなときこそ、

明朗・愛和・喜働

の実践です。

落ち込んでいたら、口角を上げて、歯を8本以上見せて、笑う明るく挨拶する

頼まれごとも、すぐに「はい」と返事をする。メンタルをポジティブに!という意味ではないけれど、落ち込んでいるときこそ、「笑い」が必須のようですね!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?