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嘘と卒寿とため息と感謝
嘘
私は母に嘘をついている。
嘘というか…ずっと黙っていることがある。
それは…
乳癌になったこと。
手術をしてオッパイを片方とり、新しいオッパイを作ったこと。
治療を継続していること。
いつ再発転移するかビクビクしていること。
着替えをする時は慎重に。
なぜなら背中には大きな傷がある。
横一文字に大きく延びた傷。
広背筋をごっそり取った傷。
さすがにこの傷を見られたら、なんて言い逃れをすれば良いか分からない。
考えてはいるが、分からない。
適当な答えがみつからない。
姉が乳癌になり、48歳という若さでこの世を去った。
私が42歳の時だった。
私に乳癌が見つかったのは51歳の時。
姉は見つかった時にはもう既にリンパに転移していた。
私には転移は見つからず、早期に見つかった。
全摘術の後、抗がん剤治療かホルモン治療かの選択で主治医は悩んでいたけれど、腫瘍内科の先生との話し合いで、ホルモン治療を10年続けることに決まった。
61歳まで薬を飲み続けるのだ。
あの時、抗がん剤治療に決まっていたら、私は母に全てを打ち明けていただろうか。
姉はあらゆる治療法を試した。
手術はもちろん、抗がん剤治療、放射線治療…治験にも関わった。
それでも病魔は止まることをしなかった。
母は私と一緒に抗がん剤の副作用で変わり果てた姉の姿を見ていたので、ひとつ屋根の下で暮らす私のそういう変化には、さすがに母も気付いてしまうだろう。
手術の時は、膝の手術だと嘘をついた。
実際に膝は手術したことがあり、それがまた悪くなったと説明した。
母はたぶん気付いていない。
まさかふたり目の娘も乳癌だということに。
再発転移が見つかれば、また手術になるかも知れない。
次こそ抗がん剤治療になるだろう。
嘔吐を繰り返し、髪が抜けていく様を出来れば母には見せたくない。
そんなことが可能だろうか。
答えは明確である。
不可能だ。
卒寿
そんな母も今月あと少しでお誕生日を迎える。
御年、90歳。〝卒寿〟である。
2年前には〝米寿〟のお祝いを盛大にした。
皆んな集まって楽しくお祝いをしたのが、とても昔のように感じてしまう。
この時は、それから間もなくしてこんな世の中になるとは誰もが予想すらしていなかった。
当たり前だったことが、当たり前に出来なくなってしまった今。
2年後次はどのお店にしようか、などと考えていたが、このような恐ろしい世の中になってしまい、ワクチンすら完了していない今、卒寿のお祝いなど出来るはずもない。
でも生きている。
皆んな生きている。
その事実だけで、充分と思わなければならない。
感謝しなければいけない。
今年は家族皆んなで集まることは不可能だ。
リモートでのお誕生日会をするしかないかと検討中である。
紫色の服でもプレゼントしようか。
そう、母の日に続き、新しいものが得意でない母のプレゼント選びにも難航中である。
ため息
と、ここまで書いてまたもや母の不可解な行動勃発。
昨日はひと通りの家事を済ませてから長女の家へ。
旦那さんがお仕事で遅くなるのが分かっていたので、仕事と子供のお迎えでヘトヘトになっている娘の代わりに夕食の準備をしてあげることに。
明日からは、つわりで苦しむ息子のお嫁ちゃんの代わりに奮闘しなければならないので、せめてものお手伝いを。
夕食を済ませ、子供達のお風呂まで見届け、夜に帰宅。
朝からした洗濯物は曇りであったため、部屋の中に干してあった。
洗濯は私がまとめてしていたため、『洗いたいものがあれば出しといてね』といつも言っているにも関わらず、その日ディサービスだった母は、また自分のものを勝手に洗濯。
わかっている。
私の負担を減らすために、少しでも自分でしようとしていることは。
しかし私は効率よくしたいのだ。
あとは背の低い腰の曲がった母が、高いところに干そうとしたり、ベランダに出ることによって転倒しないかハラハラするというのが一番の理由。
帰宅すると浴室に(結構高い位置)洗濯物が干してあり、浴槽があるその場所に手を伸ばしたと思うだけでゾッとしながらも、グッと我慢。
しかも『今しなくても良いのでは?』という長袖のものまで洗っている。
もちろん朝からしたものは乾いてもなく、今日も朝から大雨で、家中洗濯物だらけ。
そして気付く。
母が干した物の中に使い捨てマスクが1枚。
ディに行く時は必ず使い捨てマスクを使い、帰ったらすぐに捨てるよう口を酸っぱくして言っていたのにも関わらず、洗濯していた。
こればかりは聞かずにいられない。
なんで洗ったのか聞くと、「うん…あぁ…もう少なくなってきたから…」とのこと。
なぜ言わない。
私は母のマスクの数の管理までしないといけないのか。
しかも一昨日薬局に行ったばかり。
買い物へ行く時はなにか欲しいもの、食べたいものはないか必ず聞いている。
あと何枚あるの?と聞くと、「えっとー1枚かな」とのこと。
深ーいため息が出てしまう。
母は小さめのマスクをしているが、家には普通サイズしか在庫がない。
言わずにいたかったが無理だった。
「なんで1枚になるまで言わないの?洗って使わないでって言ってたでしょ?」
「うん…でも…うん…ごめん」
「これ捨てるよ!」と言う私に何か言いたそうな母を無視して、「大きいかも知れないけどこれ使って」と普通サイズのマスクを手渡す。
すると続けて母が言う。
「ごめんこれ…昨日いっぱいで干せなかったのよ」
そこには干すハンガーが足らず小さく畳まれた濡れたままの洗濯物。
なぜ昨日言わない。
夕べ確かに『洗濯したわりには小物が少ない?』と不思議に思ったのに、私は疲れていて聞く余裕がなかった。
ふたつめの深ーいため息。
またもや言わずにいたかったが無理だった。
「なんで夕べ言ってくれないの?濡れたままこんなところに置いていたら臭くなっちゃう」
朝から立て続けに2回も深いため息を吐くとは思ってもいなかった。
この note をしていて良かったと思える瞬間。
それはこうやって吐き出したい時に吐き出すことができた時。
日常のこういう些細なイライラは、常日頃から吐き出さないと〝ちりも積もればなんやら〟で、ある日気が付けばとんでもない大きさに膨れ上がってしまっていることもある。
私はそれを体験している。
感謝
嘘の話しから始まり、卒寿のお祝い、そして今朝のため息と…。
話しが少しバラけてしまったが、私が今日の note で書きたかったことは、〝子供達への感謝〟である。
私の母へついている嘘、乳癌であることを黙っているという事実。
これは母か私のどちらかがあの世に行くまで…その時までは、出来ればつき通したいと思っていて、その事実を子供達やそのパートナーにまで共有させていることは、本当に申し訳ないことだと思っている。
お母さんのわがままを聞いてくれてありがとう。
この場を借りて言います。
心から感謝しています。
そしてそんなことを打ち明けられるのも、この note という居場所のおかげ。
子供達に感謝。
note に感謝。
生きていることに感謝。
※最後まで読んでいただき有難うございます!
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