【読書】プロセスエコノミー
◆読む目的
◆要点・まとめ
インターネットの浸透、テクノロジーの発達により、”良いもの”を作ることは誰でも容易にできるようになった。
良いものを作って、安く提供して、適切に知ってもらい、適切に届けること自体を一瞬でコピーできる時代となったため、全ての水準が上がり続けている状態。
そして、水準が上がりきった結果、アウトプットの差が小さくなり、差別化が難しくなってきている。
そこで、プロセスを共有し、少数でも熱いファンを作りながらアウトプットしていくことが、大きな武器となる。
つまり、差別化を図るポイントがプロセスに宿ることになる。
そして、そのプロセスに価値が高まっていった先にあるのが、「プロセスエコノミー」である。
現代の動向として、生活必需品のようにただ役立つ商品ではなく、役に立たなくても、自分に特別な意味を与えてくれるものの方が市場価値が高くなっている。
機能性が優れているものは1つあればことが足りる。
しかし、機能性でなく、ストーリーがあるものに対しては1つでなくても良い。むしろ多様性があり、価値が高い。
たとえば、ランボルギーニという車には機能性で優れている面は全くないが、価格は最低でも1000万円以上する。
役に立たなくても、乗る意味があるから価値が高い。
そして、「意味がある」商品を目指す場合、そのプロセスを消費者と共有し、その「意味」を伝えていくことが重要な役割を果たす。
日本の学校教育では、一つの正解を導き出す「正解主義」、完璧な状態のアウトプットを世に出す「完璧主義」にとらわれすぎている。
しかし、「◯◯が正解だ」と定義したところで、変化の激しい時代には、その定義自体が変化することが多い。
それならば、修正することを前提とした方がいい。
正解を出すことにこだわりすぎずに、試作版でもいいからとりあえず表に出して、多様な人からのフィードバックを受ける。そして、その都度、柔軟に改良を重ねていく方が時代にフィットする可能性が高い。
プロセスを公開し、反応を見ながら変えていくことは、激動の時代における最善策であるに違いない。
ものやサービスが溢れているレッドオーシャン市場で、「What」「How」だけで勝負しても、勝ち残るのは非常に厳しい。
大事なのは、なぜやるのかという「Why」(哲学、こだわり)の要素。
「What」や「How」は一定のモノサシで測れるものであり、偏差値に沿った優劣が決まるが、「Why」はその人の生き方に拠るもの。
自分の中にある「Why」を開示して、オリジナリティを出しながら、狭くても深い支持を得ることが、レッドオーシャンで勝ち残るためには重要。
ただ、プロセスエコノミーには弊害もある。
例えば、プロセスを上手に開示することによって、実力以上に資金やファンを集めることが当たり前になると、刺激の閾値が高くなり、プロセスの刺激が増え続けないと、次に進まなくなる。
すると、プロセスを共有し熱狂すること自体が目的化してしまい、そもそも自分は何のためにやるのかというのが置き去りになってしまう。
また、まわりの人から注目を浴びる中、プロセスエコノミーの中で観客の期待に応えることが目的となってしまうケースもある。
そして、いつの間にか観客が主体になり、外から求められる無謀なチャレンジをし続けなければならず、プロセス自体に人生が操られる。
そうならないためにも、自分の「Why」に常に立ち戻ることが重要。
自分は何のためにやるのか、自分の一番大切にしているものは何か。常に自問自答し、振り返り続けることが大切。
今までは、一つの決まった正解に向かって、他人よりも早く正確に作業をすることが求められた。
しかし、変化の時代には、どこにゴールがあるかわからない。
自分ですら最終的なゴールはわからない、ただこの瞬間が楽しいから、夢中になって走る。そして、その熱がまわりに伝染していき、多くの人を巻きこく。自分でも想像していなかった遠いところまで辿り着き、最終的に誰かの喜びにもなっていく。
そういった「プロセス目的的」な生き方が思わぬ結果を生む。
私たちは、より創造的でワクワクする未来を創るために、「自分が作りたいものを作る」ために命を燃やすべきである。