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小説 #07 壺井少年@アメリカ議会図書館

大学院生だった僕はその日、修論の資料を集めるために議会図書館を訪れた。当時、フィールドワークでワシントンD.C.に滞在していたのだ。夏の終わり、レイバー・デイごろだったと記憶している。

荷物を預けるクロークの受付の女性は、ぽってりと厚い唇からはみ出そうなくらいにリップを塗っていて、僕の目をじっと見て僕のリュックを受け取った。僕は繊細HSPなので、それですっかりビビッてしまったのを覚えている。

僕はその後コピー室でコピーをしていて、本の大きさに合わせて用紙のサイズを変えたかったが、やり方がわからなかった。そばにいた男に尋ねたら、余ったところを切っちゃえばいいよ、と言われた。

確かに、まわりにべったり黒い部分のあるコピーって、ほんと不格好だ。切ればいいか。つうか、それってトナーの無駄遣いだよな。アメリカ人てそういうこと気にしないみたいだ。

「切っちゃえばいいよ」
しかしそれは、僕にとって、どこか天啓じみたアドヴァイスだった。

そのあと閉架図書を請求して、受け取るまでにわりに時間があった。それで僕は、地下にあるカフェで時間をつぶすことにした。

地下には飾り気のない、窓のないフェリーの中みたいな通路が交差している。案内表示には載っていない、防火扉の向こうにまで地下道がのびている。メインでない、脇道の通路は、奥がぼんやりとして薄暗く、赤い非常灯だけがついている。もしうっかり迷い込んだらと考えただけでぞっとした。

そのあたりを歩いているのは、首からタグを下げた、図書館で働いている人たちだけのようだった。僕のような、学生の来館者は見かけなかった。彼らは行き先をちゃんとわかっていて、もちろん迷ったりせずにbriskに歩いて行く。

地下のカフェの入り口には小さな売店があり、頭から布をかぶったエキゾチックな衣装の女が売り子をしていた。チョコバーとかそういう乾いたものが並んでいたと思う。

奥のカフェスペースは、広くて明るく、そこにいるのもやはり、タグを付けた大人ばかりだった。

僕はそのころ何でもノートに書いて気持ちを落ち着けるっていうのをやっていたけど、今ほどうまくできなくって、ノートを広げていても少しも集中できなかった。

言葉はうわっつらをかすっていくばかりで、僕が本当に感じていることには少しも達していなかった。僕はノートにさえ、遠慮していたのかもしれない。ノートにさえ!ノートだからこそ!

その時僕が使っていたのは、ブルーのBicのボールペンと、雑なつくりのらせん綴じのノートだった。D.C.のどこかのドラッグストアで買ったのだったか、日本のソニープラザで買ったのを持って行ったのだったか、とにかくそれらはアメリカ製だった。

僕はそのアメリカ製のノートにしっかり慣れていて、十分にほぐされているはずだったのに。思い返せば、僕はぜんぜんほぐれてなんかいなくって、いつも遠慮したことしか書けなかった。

遠慮!どうしてだろう?
いや、どうして?、と理由を聞く疑問形は、少しも僕の役に立たない。それはこの頃知った、役に立つ発見。

とにかく僕は、いかなるノートとペンを使っても、縮こまり、遠慮したことしか書けなかった。いい加減にもう大人だろうという年になってもまだ、そんなふうだった。

そこへさらにアメリカの、しかもD.C.の堅い空気にやられて、僕はすっかり縮こまっていた。僕の〈ベルカナ性〉が、梅雨時期の古い傷のようにじくじく痛んだ。

あるいは僕は、あの暗い地下道を、垂直方向にもっと深く降りてゆき、そこにある僕の古層を探すべきだったのだろうか・・・。


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