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在日朝鮮人の太平洋戦争<祖父の少年期>

夫の祖父(義祖父)は
随分と楽しい少年時代を過ごしたらしい。

高等小学校時代の思い出話を
何度か聞かせて貰ったことがある。

学校に入学する前は
義祖父の両親は日本人からのイジメを
随分と心配していたようだが、
いざ入学してみるとイジメに遭うようなこともなく
友達にも恵まれて楽しい学校生活を送ったようだ。

そんな義祖父が少し寂しそうな表情で
話してくれたことが有る。

「私は高等小学校時代、
成績はクラスで1番だったけど
朝鮮人だからという理由で級長になれず、
副級長だったんだよ」

時代背景を考えると
仕方の無いことだったのだろう。

朝鮮人が級長というのは
前例が無かったらしい。

級長は担任教師による指名制であり、
クラスで成績1番の生徒を選ぶことが
慣例だったとはいえ
1番の生徒が朝鮮人では担任も苦慮したことだろう。

「そこまで級長になりたかったわけじゃないんだよ。
ただ、クラスで1番になっても
朝鮮人だと認めて貰えないのかと悲しかった」

義祖父は子ども心に
複雑な思いを抱いたようだ。

どんなに頑張っても
朝鮮人は認めて貰えないのかと
落胆したのだと思う。

日本人が当時としては
朝鮮人を公平に扱おうと
していたというのは事実だろう。

確かに日本人でも
副級長になれなかった生徒が
たくさんいたわけで、
当時の欧米の植民地と比較すると
日本人はむしろ朝鮮人の子供を
公平に扱っていたと言える気もする。

この日 聞いた義祖父の少年期を
どのように解釈したら良いのか分からなくて
今でも私の中で結論は出ていない。

ただ、義祖父は
日本人のクラスメイトと仲良く過ごし、
放課後はよく友人たちと遊んで
楽しい子供時代を過ごしたそうです。

そしてその友人たちのうち、
ほとんどがその後の空襲で亡くなったそうです。

最後までお読みくださって本当にありがとうございました。