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【自己紹介】

こんにちは!中田涼子です。

noteで有料・無料含め、いくつか記事を書かせていただいているのですが、そういえば自己紹介をしていない。笑

というか、どこの場所にもちゃんと書いていない。笑


ということで、

遅ればせながら、自己紹介させていただきます。

簡単にまとめますね。

中田涼子はこんな人

①福岡生まれ、京都在住の40歳。
②中学で不登校になる、その後も精神疾患をくりかえし、その歴20年以上
③保育士のパートをしています。
④起業歴は10ヶ月。
⑤メンヘラ、借金、ニートと割と人生残念さ重め。笑
(2023年6月現在)


こんな感じの経歴です。ちょっと人とは変わってる…かな。

私の自己紹介をお読みになって、「あぁ、これに比べたら、俺の人生幸せだわ~」「ここまでバカなことしてない私、まともだったわ」とちょっとでもホッとしていただけたら、本望です。笑


それでは始めさせていただきますね。


第1章 人生終わったと諦めた日


大阪のどこかも覚えていない高層ビルの屋上。そこから下を見下ろして、「このまま落ちたら、人生終われるかなぁ…」と考えていた。

大学三回生の冬。
そろそろ就活が始まろうという頃。

サークルの就活対策合宿に参加していた私は、打ちのめされていた。

模擬面接をしてくれたのだが、全然話せない。
思考がまとまらない。

これからもっと荒波の中に出ていくのに、こんなんじゃ全然だめだ。


周囲の「がんばろう!」と意気込む空気をよそに、どんどん気持ちは曇っていった。

夜になっても寝付けない。
一人悶々と夜を過ごした。

そして、朝になり、私は「体調が悪い」と伝えて早退させてもらった。

滋賀の琵琶湖沿いの合宿所。
その日は雪だった。

駅までの道をとぼとぼと歩き、一人駅でノートに遺書を殴り書きした。
そのまま大阪行きの電車へ。

気づいたら、冒頭のビルの屋上にいた。


第2章 精神疾患との闘いの日々


いきなり冒頭から暗い話ですみません。笑


実際には、この後ちょうど下宿先に泊まりに来ていた従姉に泣きながら電話し、迎えに来てもらいました。

その足で実家へ。

病院での診断結果は、強迫性障害とのことでした。


ちょうど就活が始まる直前の12月、クロネコヤマトさんの荷物を仕分ける単発バイトをしていました。

早朝から授業の始まる直前まで。

楽しかったですが、やっぱりお仕事なのできついこともあり、社会に出るという事について少なからず恐怖も植え付けられていたのかもしれません。

体力的な疲れも溜まっていたかと。


実は、精神疾患になったのは、この時が初めてではありません。

最初は、中学3年生の時でした。
なので、2回目の罹患。

前回、地獄のつらさを味わっていたため、絶望感はより大きかったように思います。


15歳でうつになり、17~18歳で寛解していましたが、21歳での再発。

そこから、39歳。


つい最近まで、精神疾患とのお付き合いが続いたのでした。


第3章 幼少期のこと


私は、福岡県北九州市の生まれです。
「無法松の一生」で歌われる(例えが古すぎる…)「小倉生まれで玄海育ち」というやつ。

幼少期に神奈川県に住んだこともあるらしいのですが、当時の記憶がありません。

その後両親が離婚したため、小倉の母方の祖父母と共に、母と4人家族で育ちました。

なので、父親の顔はまったく覚えていませんし、離婚後一度も会ったことはありません。


小学校は公立に行きました。
小倉の中でもそこそこ治安の悪い学区だったので、いろんな子がいましたね。

それはそれで楽しかったです。

いじめられたりとかも多少はありましたけど、本人無自覚だったので、あまり深刻にもならず。

ですが、中学校が輪をかけて荒れていたのもあって、私立の女子校に進みました。

そこで初めての転機が訪れます。


第4章 中学で不登校になりました。


そこそこ優等生で過ごしていた中学校生活。

3年生のある晩、突然ものすごい不安に襲われました。

このまま日々が続くことへの焦燥感、絶望、なんだかいろいろなものがないまぜになって攻撃してきたんです。


学生時代に思っていたことは、以前Twitterに書きました。



勉強できるデメリットについてつらつら書きましたが、これ今思えば自分で勝手にかけていた制限で。

「勉強ができるんだから、人格も完璧じゃないといけない」と自分自身にプレッシャーをかけていたんだと思います。


中学の時も、冒頭の自殺未遂の時もです。

完璧主義に陥っていた。


成績いいんだから、いい就職先見つけてお手本にならなきゃみたいな。

どんだけ傲慢なんだと思うんですけどね、今は。

当時は真剣にそう思ってました。


そんなこんなでその日以来、学校に行けなくなり、保健室登校をしたり、お休みをしたりしていたのでした。


第5章 高校中退から大検受験、そして大学進学へ


そのまま学校へ行ったり行かなかったりが続いていました。

しかし、幸い中高一貫校に通っていたので、学校側のご厚意で簡単な試験の後、高校に進学させていただきました。

そこで心機一転、高校生活。
とはならなかったのです。

高校生活3日目で、すぐにまた行けなくなってしまったのでした。


結局、高校1年生の冬に高校を中退しました。
その後、高卒資格の取れる試験を受けることになったんです。


高卒認定試験、当時は大検と言っていましたが、(高卒資格は取れず、大学や専門学校など上級の学校に進むための資格試験でした)その受験のために専門塾に入ることに。


そこでの経験は、私の人生を変えてくれました。


様々な事情で学校をやめたり、元々進学しなかったけど資格を取るために集まった仲間。

年齢も背景もバラバラで、今まで出会いもしなかったような人種の人たちもいました。

社会人の方も多かったですね。


カラオケに行って遊んだり、人生観を語り合ったり、恋愛にうつつを抜かしたり。

いわば、学生らしいと言えばそんな感じで遊び興じていました。


そんな感じで1年間楽しんで過ごして資格を取ったのち、一転、翌年は大学受験予備校に通いました。

浪人生たちと席を並べて毎日勉強。

でも、勉強自体は嫌いじゃなかったので、楽しかったです。

塾なので、授業も面白かった。

浪人生ということで、同じく挫折を味わった同志がいたことも大きかったんだと思います。



満を持した、大学受験。

京都の大学に無事合格し、福岡から上洛して一人暮らしをすることになったのでした。




第6章 学生生活から社会へ。社会不適合を自覚する


大学生活は楽しかったです。

入学したのは、同志社女子大学。
学生は、みんなのんびりした優しい子たちばかり。

のびのびと学生生活を楽しむことができました。


サークル活動では児童養護施設にボランティアへ。

そこでの子どもたちとの交流が、私が保育士になった原点です。

授業より熱中して通ったんじゃないのかな。


大学を謳歌していた私ですが、冒頭にある通り、就活の段階でつまづくことになります。

とにかく、社会に出ることへの恐怖心が大きかったんですよね。


不登校時代に母の職場に寄せてもらっていたのですが、そこは特許事務所。

ひとつのミスで特許が飛んでしまう。

そんな世界でしたので、「仕事におけるミスは絶対NG」という思い込みがあったのも、一因かと。


という訳で、典型的なモラトリアム症候群だった私。

大学院の中退という経歴の後に、パートで保育園に勤めることになりました。

ミスに対する恐怖心が拭えていないにも関わらず、保育園と言えば、お子さんの命をお預かりするお仕事。

子どもが好きとはいえ、なんでそんなところを選んだ?という感じですよね。

案の定プレッシャーに耐え切れず、長く働き続けることはできませんでした。


これもまたツイートしたことがありますが、社会不適合ってなかなか働き方の選択が難しいなぁと思います。

無理してお勤めすることもできてしまいますから、体調を崩しては辞め、またチャレンジしては辞めを繰り返している人も多いはず。

ご多分に漏れず、私もそれをくりかえしてきたタイプでした。




第7章 スピリチュアル、ビジネスごっこ、そしてOD癖の発症


仕事は長続きせず、体調も安定しない。

そんな中、自分の生き方を模索して自己啓発やスピリチュアルな分野に傾倒していきました。

受け止める器もないのに、自らの闇につっこんでいって収集不可能になったり、迷走の日々が続きます。


その流れでネットワークビジネスやネットビジネスにも出会いました。

しかし、そもそもパートも勤まらない、体調も安定しないという土台がぐらぐらな状態でビジネスをしようというのも笑止な話。

ちっともうまくいきませんでした。

それどころか、それらの勉強や投資にお金を使い込んで、逆にリボ払いの借金ができる始末。


このお金の不始末については、正直今も向き合っている最中でもあります。

この辺については、もう少し地に足がついたらまとめてみたい考察でもあるのですが、まだ渦中なのでサラッと流させていただきますね!




それと時を同じくして、数年にわたって抜けられなかったのがOD癖です。

OD、いわゆる処方薬を過剰摂取してしまうことですが、自殺未遂をくりかえしていた中で、一番とっつきやすかったのがODでした。

病院で胃洗浄をしたことも2度あります。


病院に運ばれるレベルまでいかなくとも、苦しくなると薬を過剰摂取してしまうという癖はなかなか抜けずにいました。

つい最近も、久しぶりに欲求に駆られましたね。


最初は「死にたい」が強かったですが、それで死ねないことはわかっていました。

(致死量に達する処方をそもそもされていないので)

ですので、最後の頃はとりあえず目の前の苦しさから逃れたい一心でした。

ボーっとすればちょっと楽なので。

その代わり、後が苦しいんですが。


第8章 瞑想と出会う、そして再度ビジネスを志すまで


その暗中模索の苦しさが抜けてきたのも、本当に最近のこと。

自分と向き合う旅を続け、いろんな情報に触れていく中で出会ったのが、いわゆる「引き寄せの法則」と呼ばれるものであり、同時に瞑想をするという習慣でした。

世間の「引き寄せの法則」と言えば、「願えば夢が叶う」のような思考の現実化というイメージなのかもしれません。


ですが、私が響いた「引き寄せの法則」のメソッドは、わたしたちの内側には、すべての人の無意識とつながる源と呼ばれる部分があるということ。

そして、その源と私たちは感情というシグナルで交流を持つ事ができ、源の広い視野と一致している時はいい気分を感じ、不一致の時には嫌な気分を感じるという点でした。


この詳細については、以前に記事にしています。


そして、源との一致を起こしやすくする方法として、普段から瞑想を行うことが効果的という事でした。

瞑想の意義については、私も度々記事にしてきましたが、最新のものがこちらになります。


人それぞれ合う合わないはあると思うのですが、私にはこのメソッドがぴったりハマりました。

そして、日々瞑想を続けていくうちに、40年来変わらなかった漠然とした不安感が霧が晴れるように薄れていきました。

生きるのがどんどん楽になっていったんです。


そんな最中、旦那が大病をしました。

幸い、命に別状はなかったものの、自営なので働かなければ当然お金は入りません。

今までなぁなぁで来ていたものの、さすがに「ヤバい!」と思いました。

それまでの私の優先順位は、「鬱を再発させないこと」でした。

瞑想と出会ったことにより、そこの最低ラインはクリアできるようになってきた。

じゃあ、私が稼げるようになりたい。
次なる望みが生まれた瞬間でした。



第9章 目に見えない安堵感から、物質的にも豊かになる


実は10年前にも、同じようにスイッチが入った瞬間がありました。

その時も、旦那(当時はまだ結婚していませんでしたが)の大病がきっかけ。

追い詰められないと本気になれないタイプです。


当時も全力でしたが、まだメンタルの安定感が弱く、自分の内側でなく外に正解を求めていた状態。

結局お金が尽きるのと同時に鬱堕ちしてエンド、という結果に終わりました。


ふりかえると、今回も同じようなプロセスをたどってきているんですよ。

「あ、前回はここが甘かったな」
「ここで踏みとどまれなかったんだな」

岐路に立たされるたびに、そう思わされています。


その岐路を一歩ずつ踏みとどまりながら、前に進んでいる感じです。

大きく異なっているのは、「自分の気分の良さ」を絶対的な指針にしていること。

情だの世間体だのでブレてしまった前回の二の轍は踏むまいと決意を固めていることです。


今の現状は、自分の内側に在る目に見えない安堵感はしっかり築かれた、あとはそれを外側の物質的な豊かさに反映させていく。

そのようなフェーズにあります。


第10章 私のめざすもの


今これを執筆している私は、まだ何者でもありません。

物質的な結果も出せていなければ、大金を稼いでいるわけでもない。

だから、結果で黙らせるなんて技も使えません。


言うなれば、基礎工事を終えて、上物がまだ何もできていない状態です。


ですが今、私は今までの人生のどの瞬間よりも大きな夢と希望に満ちあふれています。

ワクワクしかないんです。

だって、自分の未来が光り輝いていることがわかるから。

なぜなら、その光り輝く未来に必要なパズルのピースが、怒涛の勢いであちこちから集まってきているからです。


その今はかけらに過ぎないピースがピタッとハマった時、圧倒的な結果をみなさんのご覧にいれたいと思います。

だから、どうぞ見ていてほしい。


何者でもない、こんな挫折続きの人生を送っていた私がどんな人生を送っていくのか、それを見て希望を持ってほしい。


「あ~、あの子にやれるなら、私も、俺もきっとやれる!!」

そう思ってほしい。


そのために、私はずっと走り続けます。

一緒に幸せになりましょう!

幸せになるために生まれてきたこの人生、誰よりも光り輝いたものにしてやりましょうよ。


この自己紹介が、あなたにとってそんな希望の光となりますことを、心から祈っています。


ご清読ありがとうございました。



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