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月の繭 

 (本文3994文字 ルビ含まず)


 病院のベッドに二日間、俺はいた。
 
 警備員の仕事中に熱中症で倒れ、救急車で運ばれて入院したのだ。幸い、それ以上には悪化することはなく退院の許可が出た。この病院は俺が住む町とは結構離れているが、俺に家族はなく迎えもない。暑いさなかを避け、夕暮れ近くに一人で退院をした。

 駅を目指しておぼつかない足取りで歩いていると、見知らぬ公園が現れる。常緑の大きな枝を張った木が存在感を示す間口と、どこへ抜けていくのか分からないような奥行きがあった。
 災害時の地域の避難場所に指定されているらしく、入り口近くの看板にはかなりの広さを読み取れる地図が描いてある。ここを抜けていけば駅の近くへ出るようだ。
 遊歩道のように整備された公園のなかの道は、木々の枝葉がアーケードのようになり適度に真夏の陽を遮ってくれる。大層にうるさいセミの声さえも今は心地よい。これは良い所を見つけたと思った。

 こんな公園なら暑さを避けて散歩などする人がいそうなものだが、なぜか誰にも出くわさなかった。だが一人が常である俺には似合う場所なのかもしれない。少し休んでいこうか。頼りない足も弱音をはく。俺は木々が開けたところで目に付いたベンチへ腰をおろした。

 倒れたせいもあるだろうが、衰えを日々感じるようになっている。孤独であるがゆえに、老いていくことはきつい。頭髪は薄くなり、手足の血管は浮き上がって皮膚のしわが増えた。鏡を見るたびに自分の顔は何処へいったのかと、両手で垂れ下がる頬をひっぱり上げたりする。
 
 活き活きとしていた人生は、前職の失敗を清算する時間のなかで消えていき、苦労に耐えられず、当たり前のように妻や子も出ていった。
 
 気が付けばこの有様だ。生きる力が減っていくのが砂時計を見ているようにわかる。

「こういうのをつまらない人生というのかな」ベンチで項垂れ呟いた。

「つまらないのか? なら、変われよ」突然に背後から声が聞こえる。

「なあアンタ、相当、長いことその恰好なんだろ? じゃあ、もうそろそろいいだろ」
 俺は恐る恐る振り返るが声の主が見当たらない。熱中症が響いての幻聴か? いかん。早く帰ろう。

「巣に帰るのか?」心を読み取られたように問いかけられる。俺は頭の中でそうだよと答えながらも、ああ俺はもうだめなんだとベンチの背もたれに額を当てた。

「巣があるならいいじゃねぇか、今夜は満月だ。早く帰ってまゆを作れよ」

 まゆ?
 俺はベンチに身を隠しながら声の主を探した。しかし辺りに人影はない。

「どこ探してんだよ、俺はここだよ」
 下の方から声は聞こえる。背もたれ越しに覗いたそこには、15㎝ほどの砂が掘られたすり鉢状の穴があった。まさかここから声が聞こえるのか?

「そのまさかだよ。でけぇくせして、肝っ玉ちっちぇなあ」
 俺は口に出していない。心の中で思っただけだ。頭がおかしくなってしまったんだ。
「俺はここにいるじゃねぇか」
 
 俺がその穴を見つめていると、穴の中心で何かがモソモソと動き、砂をぷっと俺に向けて吹き付けた。

「これっぽっちの砂じゃ、おちてこねえな」
「何をするんだよ」俺は顔に付いた砂を掃いながら、モソモソに話しかけてしまった。
「エサを捕まえる為さ。こうすりゃ穴に落ちる」
「俺は餌じゃない」
「そうだな。デカくてしかも不味そうだ」
 俺は声の主の穴をもう一度覗く。モソモソが頭らしきものを砂から出した。
「愚痴ばっか言ってるからメシだと思ったんだよ。美味い働き蟻の連中も文句を言いながら自分たちの餌を運んでやがるからな」
「俺の心の中がわかるのか?」
「ああ」
「蟻を食ってるのか? いつも?」
「ああ」
 そうか。巣に落ちてくる蟻を喰らう。こいつはアリジゴクっていう奴か。
「そう呼ばれてるみたいだな」モソモソが即答する。

「なぜ人間の言葉や気持ちがわかるんだ?」
「それはまあ、いいじゃねぇか。わかるんだからさ。それよりアンタ、なんで嘆いてばかりいるんだよ」
「お前には分からんよ。会話ができるのは驚きだが、虫は虫だ。人間より、はるかに寿命が短いお前に、人間が年を取るということの苦痛が」

「確かに俺達は年寄りになるから死ぬんじゃねぇよ。死ぬのは役目を終えるか、天敵に食われるかのどっちかだ。なかにはアンタらに踏まれておしまいというのもあるけどな」
 
「お前は、なんだっけ、カゲロウになるんだろう? 何の為に生きるんだ?」
「巣の中で飯食って、繭を作り蛹になる。最後は羽化して、お前より高い所を自由に飛び回るんだ。そしていいのを見つけて子供を残すんだ」

「でも、長生きはできないだろ?」
「俺達ははねが生えてからも月が満月になるくらいは飛び回れるぜ。食われなきゃな。俺に似たやつらは一夜しか時間がないから、そりゃ忙しいらしいが」
 モソモソはぷっぷっと砂をまき散らした。笑っているように思えた。

 俺は人間だ。ただ生まれて、子供を作るだけじゃない。虫とは違う。そう言おうとしたが、項垂れていた自分を思い返し、言葉がでなかった。
 
「同じさ。俺達だって意味があるんだよ。俺が羽化した姿はもっとも輝かしい瞬間だ。アンタみたいに嘆いてちゃ勿体無いんだよ。アンタの言いたいこともわかるけどな。」

 虫に説教されてるのか。

 腹立ちまぎれに足で周りの砂をかけ、そいつの巣を埋めてしまった。そして逃げるように公園を抜け出た。

 二日ぶりに帰ったアパートの部屋は熱に満ちていて、また調子が悪くなりそうだ。扇風機の風が冷気に感じるのには夜半までかかった。開け放った窓から見える月は、モソモソが言った通り満月だ。
 今頃、あいつは繭を作っているのだろうか。そもそもあれは現実だったのか? 月明りの中で俺は万年床に身を丸める。

 やっと寝付いてみた夢は、随分と俺を遡った。長く辛い時間の前、若く情熱を持って生きていた時に戻っていた。絶対幸せにすると妻へ誓う自分がいた。起業してオフィスを構えた頃、5人の仲間と門出の祝杯を挙げたあの時。一浪したが希望大学に受かった喜び。高校の時の初恋。中学、小学校、そしてなんの不安もなく母に抱かれ、乳房を探していた頃。人生が逆再生されていく。

 ぼんやりと月が浮かぶのがわかる。あいつの声が響く。
「よう、そろそろ起きたらどうだ」

 なんだ? お前、なんで俺の夢にいるんだ。
 途端、俺は目を覚ます。自室と違う様子に眼を凝らすと、俺は荒くいた和紙でできた紙風船のようなものの中にいた。

「さあ、出てこい」あいつの声が再び聞こえる。
 
 俺はそれを破ろうと手に力を込める。案外簡単に破れ、頭と上半身を出すと、そこは見慣れた俺の部屋だ。外はまだ暗い。開け放たれた窓からやはり満月が見える。

「よう、どうだ? 気分は」
 俺は咄嗟に自分の手を見る。月明りに照らされたのはいつもの老いた手だ。何を期待しているのか、バカな事を。
「何も変わらんよ。お前と違って……」俺はそう言ってあいつを探す。

 窓辺りにふわふわと飛ぶものをみつける。あいつだ。満月の光をその翅に纏い、反射させ煌めいている。自由に舞うその姿には、アリジゴクのモソモソの面影は微塵もなかった。
 
「アンタも飛んでみろよ」

「俺は飛べないよ。人間のままだ」
 俺は老人のままの両の手で無精ひげの生えた頬を触る。
 
「そうか、飛べないか。でもアンタはきっと変わるぜ」
「変わる? 何が変わるというんだ」
「満月に繭から出たじゃねぇか」
「これは繭なのか? 何でこんなものが」
「アンタの為にひと肌脱いで包んでやったんだ。俺もアンタと一緒にくるまって一足先に出てきたけどな、やっぱりアンタはデカいから時間も倍かかってるよ。あれから2回目の満月だぜ」

 2回目の満月? 俺はさっき眠ったばかりだと。
 俺は2カ月近く眠っていたことになる。誰にも気付かれず、起こされることも、助け出されることもせずに。

「よかったよ、アンタが出てくるところを見られて。俺はもうすぐ終わりなんだ」
「終わり? なにが終わるんだ?」
「俺の役目が終わったってことだ。良かったよ、アンタに引き継げて。俺の命が終わるということは、次の命が生まれるということだからな」
「引き継ぐ? なんだよ、どういうことだ」
 
 俺の言葉を最後まで聞いたかどうかも分からず、あいつは飛ぶのをやめた。はらはらと舞う花びらのように窓枠の上に音もなく落ちた。あいつは命を終えたのだとわかった。
 
 月明りの中、動きをとめたその翅だけはまだ輝いていた。

 あいつは絶頂のままいったのだ。そして何か俺に託したかのような口ぶりだった。こんな俺に何を。

 俺は破れた繭の中にもう一度戻った。この中に居てもその答えは分からないし何も変わらないだろうが、なぜか急激に襲ってきた睡魔に勝てそうにない。次に目覚めるのはまた満月の夜なのだろうか。俺はまた丸くなって眠りについた。

 そして次の満月にやはり俺は目覚めた。

 以前と違うのは、俺の周りには大勢の人がいることだ。新しい毛布にくるまれた裸の俺を心配そうに見る大人が何人もいた。哺乳瓶で与えられるミルクは暖かく、懐かしい味がする。辺りを見渡せば、ここは俺がいたアパートの部屋だ。畳の上にはあの繭が切り刻まれている。

 万年床には老人の俺の抜け殻があった。小さく丸まって眠ったそのままの、間違いなくあの時の俺だった。哺乳瓶を俺は掴もうとする。俺の手は赤子の手だ。

 俺はあいつから、新しい命を引き継いだのだろうか。カゲロウになったあいつが人間を再生したというのだろうか。

 その答えを俺が知るのはまだ早い。俺は生まれたばかりなのだから。けれど命を誰かに引き継ぐことにためらいはしないだろう。そして老いることも。そんな気がする。

 抱かれながら、俺は窓際にあいつを探した。そこにいる大勢の大人が誰一人気づかないであろう、あいつの姿を。


 完

月のしずく 柴咲コウ



沢山の方に教えを頂戴し作り替えた作品です。結局のところSSにはなりませんでしたし、頂戴したご意見に胸をはった作品に仕上がったとは言えないかもしれません。つまらないかもしれないけれど、今の私が書けるベストを尽くしました。こうやって少しでも成長していきたいと思います。

皆様に感謝を込めて。

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