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ひと夏の蟻地獄 (公募落選供養 ※含むお願いごと)

 その日もできるだけ日陰に退避していた。定年退職後、警備員の仕事を始めた私は工事用車両出入口で歩行者や車両の誘導を行うのだが、この夏の暑さは全く容赦ない。工事現場の隣地には常緑の樹が大きく枝を張る公園があり、休憩時にはそこで暑気からひと時逃れるのが常だった。

 いつものように昼食をとベンチに座った時、足元に蟻の行軍を見つけた。暑いなかご苦労なことだ。公園は地域の避難場所に指定されているらしく、防災備品用の小さな倉庫が置かれており、列はその床下へ続いている。
 
 覗き込むと小さなすり鉢状の穴があり、細かい砂が掘り出されていた。巣穴かと思ったが行軍はその脇を通りもっと奥へと続いていた。
 列から離れた働き手が一匹、そこへ入った。間違いに気付いたのか退出しようとするが、斜面の砂がサラサラと崩れて出られず、あがくほど穴の中へ引き込まれる。
 ああ、これは蟻地獄というやつだ。中にカゲロウの幼虫がいて、落ちてきた蟻などを食すのだ。倉庫の下に巣を作る蟻たちも生きる知恵だが、巣の近くに罠をはるここの住人も賢い奴だと思う。
 
 地獄の口に引き込まれた蟻は次第に動かなくなった。他人の食事風景をじっと見るのもマナー的にどうかと思うが、この住人は気にしないだろう。そして餌を運んでいたのに餌になってしまった蟻は、ぽいと穴の外へ放りだされた。どこを食われたかは分からないが、弁当ガラのように捨てられてしまった。 

『旨かったか』と地獄の住人に訊くが何も答えることはない。すでに満腹の安らぎに夢を見だしたのかもしれない。
なんだか少し羨ましかった。
 目の前に飛び込んでくるごちそうを苦労もせず食し、あとはぽいと捨てるだけ。後片付けをする警備員のことなど考えもせず、次のゴミ回収日に早出をする必要もない。
 
 その日の仕事が終わり、公園にまた寄ってみた。あれから四時間以上は経っているが行軍は続いている。

『すまんな、今日は先に帰るよ』行軍に声をかけて公園を横切る時、ブランコの横に三m四方くらいのガードフェンスで囲まれた区域があるのに気付いた。【整備中】とプレートが貼ってある。フェンスネットの部分から覗いてみると、すり鉢状の大きな穴が開いている。スケールは違うがあの蟻地獄とそっくりだ。その斜面に小さな子供の野球帽が落ちているのを見つけた。フェンスの繋ぎ目にはなんとか人が入れるくらいの隙間が空いているところがあり、子供ならば楽に入れてしまう。まさかとは思ったが中へ入って確認してみることにした。
 
 帽子近くを覗き込んでも、何も変わった様子は無い。杞憂だったかと安心した瞬間、足元が崩れて一気に穴の中心部へ滑り落ちてしまった。蟻地獄が頭をよぎるが人間を食うほどの怪物が現れることはない。それよりも周りの砂が陽に焼かれていて暑い。怪物に食われる前に中華鍋で焼かれるようだ。何にしても幸い怪我もなかったので四つん這いになり斜面を上がろうとした。             

「別にあんたは食わないから大丈夫だぜ」
 穴の中心あたりから声が聞こえた。愛嬌も感じるアニメの声優のような声だが突然のことに私は一瞬、固まった。
「誰だ、まさかアリジゴクか」
「そうだな。そう呼ばれるな」
 穴の真ん中にモソモソと動くものが見えるが砂のせいでよくわからない。
「食わないのは助かるよ」
 私はできるだけ平静を装う。
「俺は今夜、蛹になる。もうすぐ変身するのさ。だから餌は必要ない」
「それなら用はないだろう? 帰るよ」
「待てよ、あんたはここに来たから権利があるんだ」
「権利? 私は人間だ。君とは多分、生きる世界が違う。だから権利といわれても」
 穴から出ようとする私にアリジゴクはぷっぷと砂の粒をかけた。思わず手でよけるがズルズルと滑って穴の底まで戻ってしまった。
「ここはあんたにもいいところだと思うぜ」
「いや、帰る」
 
 私はまた斜面を登ろうとするが、砂をかけられるたびに滑って穴の底へ戻ってしまう。ついに足元は砂に埋もれてしまった。私を食わないと言ってもここから出られないのはマズい。大声で助けを呼んだがフェンス越しに覗く人は居なかった。

「なあ、あんたは翅が生えたりしないのか」
 アリジゴクは砂の中から尋ねる。
「人間だから翅は生えないよ」
「それじゃずっと土の上か?」
「空を飛びたきゃ飛行機に乗る」
「飛べるのか」
「飛べるさ」
 
 アリジゴクは少し間をおき『なら俺たちとかわらねぇな』と言った。
「俺もあと三十回くらい月が出れば翅が生える。カゲロウになるのさ。俺が飛ぶところを見たいだろう?」
「それは見てみたいと思わないこともないが、私は家に帰って休みたい。君が羽化する頃にまた見に来ればいいんだし」
 私はなるべくアリジゴクのご機嫌を損なわないよう、そう言った。
「けど、タイミングがあうかどうかわからないぜ。ここに一緒にいれば俺の雄姿は必ず拝めるんだ」
 
 アリジゴクは土色の繭のようなものを作りながら話を続ける。
「羽化して成長した最後の姿になるんだ。もう、落ちてくる餌だけ待っているみじめな俺とはおさらばだ」
「そこだよ。待っていても誰も食べさせてくれない。毎日働いてこそやっと食事にありつけるんだ」
 アリジゴクはすっかり繭の中に収まりかけている。

「なあ、だからここから出してほしいんだが」
「出ていきたきゃ行けばいいさ」
 アリジゴクは拗ねたように言う。
「あんたは俺をバカにしてんだろ。ずっと穴の中で落ちてくる餌を待ってるだけの俺を。蟻はクソ暑い中でも働いてるよ、あんたもそうなんだろ? 俺は待ってるだけさ。けど我慢もしてる。腹が減っても待って、落ちてくる奴だけを食ってるんだからな。それが俺の生き方なんだよ」
「別にそれでいいだろ、君はそういう生き物なんだから。人間は違うんだ。生きるために働く。それがこっちのやり方だよ」
「似てるな、蟻と。お前は食わないけど、旨いかもな」
少しぞっとしたがもう繭の中だからそれを壊してまで私を食う事はないだろう。
「私はもう老人だから旨くないよ」
 アリジゴクはそれには答えなかった。私はなんとかすり鉢状の穴からはい出した。
「じゃ、行くよ。邪魔したな」
 やはりアリジゴクは答えなかった。

 翌日から仕事帰りのたびに穴を覗いてみるのが日課となった。あいつは繭のなかで蛹になり成虫となるべく眠っているのだろう。いったいどんな姿で現れるのか、その瞬間を見たいと思い始めていた。それに権利があるとも言っていた。あれはどういう意味だったのか。
 
 フェンスの側で立っていると公園に来た子供らが穴を覗きにくる。この穴は何かと毎日のように聞かれたが、分からないが危ないからと言い、子供やその親たちも遠ざけた。できるだけあいつを静かに眠らせてやりたかった。雨の日はブルーシートをかけて土嚢を積み、直接に水が溜まらないようにしてみた。
 
 私はここでも警備員だった。

 数えて二十九日目の休日の夕刻、穴を見に行くと昨日まであったフェンスは無く、綺麗に土が入れられ整地されてしまっていた。
 私は焦った。セミのように土の中から自ら這い出してくるのだろうか。しかし大量の土を入れられて、このままだとあいつは羽化できずに地中で腐ってしまうのでは。
 居ても立っても居られなくなり現場の用具置き場からスコップを拝借し、とにかく穴の中心だった部分を掘り返し始めた。慣れないことに手も腕も腰も悲鳴をあげる。ようやく一mほどの深さの土を取り除けた時にはすっかり日も暮れていた。
 
 元の穴の深さであろう辺りは土から砂に変わっていた。もう出てきてもいい筈だ。そう思い砂を手でどけているとモソモソと動くごく小さなものを見つけた。街灯もあまり届かない穴の中ではっきりとした姿はわからない。
「よう、あんたか?」
 動くモソモソが言う。

「ああ、良かったよ。間に合って」
「あんたがまさか助けてくれるとはな。恩にきるぜ。これで俺はあと二十回は月を拝めるぜ。空を飛びながらな」
 外界へ向かいゆっくりと昇っていく。街灯に照らされ始めた背にはもう翅らしきものがついているようだ。その姿に私は少し感動もしていた。
 
 穴の近くにあった植栽まで結構な時間をかけ『彼』は辿り着いた。途中で随分と我慢していたのか糞もした。それから低木の枝に寄り添い、一時間位で幾何学的に精密にデザインされた美しい青に輝く翅をしっかりと伸ばしきり、トンボに似た彼の言う成長した姿が完成した。
「どうだ? 新しい俺は」
「ああ、見事だったよ。私は歳を重ねて身体も衰え、今はこのざまだ。けれど君は最後が美しいんだな」
「つまらないみじめに思える時間も無駄ではないということさ」
 
 彼は街灯へ向けてふらふらと飛び始めた。その様子は妙に優雅であり自由にも見えた。
「その穴はあんたのもんだからな」
 そう言って彼は私の視界から消えた。
 街灯の光と彼の翅の輝きが眩しく重なって、瞬きをした瞬間に見失ったのだ。
 
 あんたのものだと言われた穴だったが当然ここで暮らすことはない。八畳のワンルームがおそらく死ぬまで私の穴だ。ならばこの穴は元の通りに埋めなければならない。やれやれ、これは夜中までかかるだろうか。私は酷く疲れたせいか、半分ほど埋め戻して途中ひと休みをした時に穴の中でつい眠り込んでしまった。
 
 かすかな甘い匂い、柔らかな頬への感触。手を伸ばし乳房を探す。母に抱かれる夢をみた。

 随分と周りが賑やかなことで眼を覚ます。それはそうだ。公園の穴のなかで初老の男が泥だらけで寝ているのだから通報されても当然だ。私は慌てて言った。
「すみません、つい寝てしまって」
 
 私を見る人が叫んだ。
「おお、この赤ん坊、生きてるぞ」
「本当だ、泣いてる。良かったよ。警察は、救急車はまだか」
 穴から抱き上げられた私は光の中で掲げられた。
 頬に差す眩しい陽は、幾ばくかその暑さを和らげたように感じた。



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