5.25 ルアンパバーン、ニョック・チョーク

楽しかったヴァンヴィエンに別れを告げ、
ルアンパバーンへ。

中国ラオス鉄道の駅は街の中心からは遠く、
駅まで送ってくれたのは
おなじみのトゥクトゥクの
ドライバーさんだ。

朝9時にオフィス前集合。
てっきりみんなもいると思ったら
遅番だったり仕事が入っていなかったりと
奥さん1人だけだった。

彼らと熱いハグをして
バイバイをしたら絶対泣いちゃう、
そのくらいの気持ちで2人ともいたので
少し拍子抜けし、みんなと
バイバイが言えなかったのも名残惜しい。

楽しすぎて最高な彼らには
ビールのお礼も込めて
たくさんお金を使わせてほしく、
駅までもちょっと贅沢だが
トゥクトゥクでお願いした。

少しシャイだけど優しくて
穏やかに見守りながら会話をしてくれる
めちゃくちゃいい人。

これがヴァンビエンのみんなと
最後の別れかと思うとさみしい。

中国ラオス鉄道は本当に
街からはかなり遠いところにあって、
中国語のコンテナがずらりと並ぶ光景は
いろいろと思うところがあった。

鉄道は席が決まっていて
ボックス席だった。
荷物を置く棚が高すぎて
キャリーを持ち上げるのに届かない。

前に座っていたお兄さんが上げるのを
手伝ってくれるも大変そうにし、
もう1人隣のおじさんも手伝ってくれた。

お兄さんとおじさんにお礼を言うと、
お兄さんはおじさんに肩の傷を見せて
少し痛むから持ち上げるのが大変だった、
ありがとう、と伝えていて
無理させてしまったと
彼の優しさに少し心が傷んだ。

疲れていてうとうとしていると、
隣の人に寄りかかりそうになったのか、
あとからきた目の前の席と
隣のボックスの席の感じの悪い
おじさん集団に睨まれていたのかは
分からないが、
お兄さんが足でちょんちょんと起こしてくれた。

アイコンタクトでお礼を言うと、
微笑んでくれる。
その後も少し目が合うと、
すごくゆっくり優しく微笑んでくれる。

彼は服は現代的だが、
モン族のようなどこかの民族の
見覚えのある独特な形と布の
赤いショルダーバッグを背負っていた。

降りるときになって、
荷台に載せたキャリーは
降ろすのは自分でできるから大丈夫、
とジェスチャーしたつもりが、
降ろすのもお願い、と見えてしまったのか、
取ろうとしてくれる。

肩が痛くて大変でしょ?と
慌てて断るも、反対側の腕をグーパーして
こっちは大丈夫だから、と見せて
降ろしてくれた。

重そうな靴の箱のようなダンボールに
別のカバンとモン族のショルダー。
お兄さんも荷物が多い。
どこへ行くのだろうか。

目の前と横のおじさん集団だけが
話していて、斜め前のお兄さんとは
会話はほとんどなかったが、
優しさとどこか影が溢れでていて
なぜかとても印象に残った。
彼の人生に、たくさん幸せが訪れたらいいなと
しばらく考えていた。

ルアンパバーンの鉄道駅に着くと、
ここもまた街からはかなり遠いようだった。
ミニバンの乗り合いで25分ほどかけて
ルアンパバーンの中心へ向かう。

歩道がなくまわりに何も無い
車との距離が近い山道をこどもが歩いていたり
爆弾の解体加工工房がちらほら見えたり、
こどもが原付に2人乗りしている。

ベトナム戦争の帰り道、
着陸ができないからと米軍が
推定8000万個と大量の不発弾を
ラオスの広範囲に落としていき、
農業や林業、経済発展の
妨げになっている。

NPOなどの撤去作業も行われているが
推定では全体の1%ほどとも言われており
農作業中に鍬を入れた瞬間や
こどもがおもちゃと間違えて爆発してしまうという悲惨な事故もあるという。

さらに、爆弾の二次利用としての
アクセサリーなどの産業もあり
深い知識がない人も生活のためり
解体作業をしていたり
危険であってもその土地を開拓せざる得ない
生活をしているという記事を読んだ。

ラオスは自国の通貨が不安定で
アメリカドルやタイバーツも流通していたり、
ラオス中国鉄道があったり、
街のいろんな所でこどもたちが働いていたり、
中心を少し離れただけでも
貧富の貧しい暮らしをしている人が
いたりと聞く。

ビアラオが美味しい、人が素朴で優しい、
自然が美しい、物価が安くて治安がいい、
そんな単純なことばかりではない。
まだまだ見えていないことや
知るべきことが山ほどある、
そう感じる国だ。

それでも私たちが街を歩いていると
笑顔で一緒に飲んでくかい?と
愉快に誘ってくれて乾杯した思い出が色濃い。

ルアンパバーンの宿につくと、
目の前の道路でおじさん達が酒盛りをしている。
目が合うのでサバーイディーと挨拶すると
一緒にどうかい?と昼間から言われ、
ちゃっかり参加する。

ビールと交流好きなわたし姉妹と
飲みべが高く挨拶のように誘ってくれる
ラオスは相性が良すぎる。

ヴァンビエンで飲んでばかりいたので、
ルアンパバーンでは流石に、
と話していた側から到着後すぐに乾杯。

ヴァンビエンでいろんな乾杯や
一気、飲みの例えや単語を仕入れているので
披露するととてもよろこんでくれる。

友達が隣の街から遊びに来てるんだ〜
と言って、昼間から友達と飲んでいる
明るい陽気なおじさんたち。
なんだかとても幸せに見えた。
最高な時間をおすそ分けしてもらえて
わたしたちもなんとも幸せ者である。

流石にルアンパバーンでは
ずっと居座らず、街歩きもするぞと
3杯くらいでバイバイすると、
もっと飲め飲め〜というので
宿がすぐそこだから
夜また会えるよ、と言って一旦別れる。

少し街歩きをしたが、
暑くて熱中症気味に。
お腹も空いたので涼しいカフェに立ち寄る。

わたしたちの会話は
ラオスでの愉快な飲みの思い出で
持ち切りだ。しばらくこれだけで
笑って議論できるほど、
濃い思い出がたくさんある。

教えてもらったナイトマーケットが
始まる時間になり、見に行ってみる。
ルアンパバーンは地べたに
レジャーシートスタイル。

ここでもお店を手伝うこども達の姿が
たくさん見られる。

2.3歳の小さい子もいて、
家で面倒を見る人がいないから、
家族みんなでお店をやっているのだろうか。

ビアラオTシャツが売っていて、
しかも60キップ(≒420円)で即買い。

お米のウイスキーも有名らしく
置いてあるお店を見つける。
何か惹かれて寄ったお店は
他のところ少し品揃えが違う。

有名なアルコール度数の高い
ウイスキーだけでなく、
甘い違う種類のお米からできた15%ほどの
ものも取り扱っているという。
しかもテイスティングしたい?と
少し味見もさせてくれる。

こっちの15%の方が
甘酒のような味でとても美味しい。
聞くと、お米のウイスキーを作っている
村があり、そこに家族の工房があるという。

手仕事と食と酒文化が好きなわたしたちは、
ぜひ訪ねてみたい!と村の場所と
工房の場所を教えてもらう。

おじさんたちに手土産にと
小瓶のお米のウイスキーを2つ買い、
ビアラオTシャツも着たら絶対よろこぶと
ウキウキしながら帰路につく。

でももしまだおじさん達がいたら飲むけど
少し寝不足と熱中症気味だし、
今日は絶対ちょっとだけ、と
妹と約束して宿に戻る。

おじさんはすぐに気が付いて、
遠くから手を振り、戻ってきたね〜!
さあ飲むぞ!とすごくうれしそうに
歓迎してくれる。
別の友達夫婦に奥さんもいて、
さらに盛り上がっていた。

ラオスはどのおじさんも陽気でオープンなのか、
たまたまわたし達の選ぶ宿のゼロ距離に
街1番のビール好きがいるのかは不明だけど
ラオスでの地元の人との乾杯は
ずっと恵まれている。

1分待って、宿で荷物を置いて
着替えてくるから、と言うと、
ダメダメ、飲むぞ!
ほんとに1分、2分、ならいいぞ!と
わんやわんやしている。

シャワーを浴びて化粧直しをして参戦ではなく、
ビアラオTシャツに着替えて
手土産のお酒を持参する20代姉妹。

戻っていってビアラオTを見せると
またよろこんですごく盛り上がってくれる。
この笑顔と笑いが取れたら、
もう元を取って買った価値がある。

明るい旦那さんと、
美人でサバサバとしているも
実はめちゃくちゃ飲める奥さんが
クールにモッモッ!(イッキ!)と
声をかけてくれる構図が
ラオスの定番なのかもしれない。

奥さんはたくさんはおしゃべりな旦那さんと
よく飲みなぜが飲みのラオ語だけ
詳しいわたしたちのやり取りを見守りつつ、
モッ!モッ!と言って乾杯したすぐに飲み干し、
わたしたちのグラスを指してまだあるじゃない、
モッ!モッ!とクールに微笑みかけてくれる。

途中でちらっと立ち寄った同世代くらいの
明るい女の子が、わたしたちに向かって
手を合わせて足を片足ぴょいとあげ
首をかしげて明るく
「サバーイディ〜!」と言って
帰って行く。

あの挨拶の仕方だけで、
彼女が明るく楽しくコミュ力が高くて
仲良くなれそうなのが感じられる。
彼女とも1杯やりたい。

青いマンゴーがあり、
上から取れたんだぜ、と
上の木を指さすと、
マンゴーがなっている。
産地直送スタイルだ。
庭や横の木のマンゴーを
さっと取ってきて飲む感じがまた楽しい。

それをとうがらしと塩をつけて
食べるタイと同じスタイルで
おつまみにしていた。

ひまわりの種も
上から取れたぜ、と言われて
何でも成る木だねぇと
みんなで笑う。

夜の少し涼しくなって、
でもまだ蒸し暑く、友達家族と
家の前で氷を入れたビールで
昼間から夜まで乾杯している。
なんと心地よく楽しくて幸せな時間だろう。

わたしはかなり具合が悪く、
水を飲んでもしっくりこない。
だけど、氷入の冷たくて少し薄まった
ビアラオを飲むと、これだこれだと
体がよろこんでいる。

けれどもさすがに
あまり飲まないようにしていたが、
妹はお酒が好きでたくさん飲めることが
1番陽気でビアポリスのおじさんには
すぐバレていてじゃんじゃん注がれる。

妹の知り合いと飲むといつも
酒好きのおじさんたちがうれしそうに
〇〇(妹の名前)は飲むよ〜食べるよ〜と言い、
香港でも〇〇 can eat 〇〇 can drinkと
楽しそうに言われていた。
よく食べてよく飲むノリのいいやつは
万国共通でよろこばれる模様。

流石に今日は早めにかえるぞと、
この1杯が終わったら、というと、
何言ってるんだーい、
ここにまだ6本あるから
これが終わったらだろう?!
とみんな帰してくれない。

どんどん注がれて
何回かタイミングを逃す。

次はもう注がれないよう
グラスを持って席を立ってから、
最後に乾杯ー!と言って飲み干し、
まだここに泊まってるから
また飲もう〜またね!と
言ってバイバイする。

ラオスにきて何度
ニョック・チョーク!と乾杯しただろう。

深夜部屋に戻ると、
犬か何かウォッウォーンという
動物の声が聞こえる。

妹に、この鳴き声ニョック・チョークって
聞こえない?と言って2人で笑っていた。


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