「ありがたい」という感情を育む
誰でも親に言われたことがあるだろう。
「人になにかしてもらったら、ありがとうと言いなさい」と。
極論を言えば、人に何かしてもらったとき、自分が嬉しいことでも、嬉しくないことでも「ありがとう」というクセがついてしまった氣がする。
「ありがたい」とは?
出来事や、人にしてもらったことで、嬉しいとき。
自分の内側にふつふつと湧いてくる、じんわりと温かく感じる感情。
それが「ありがたい」。
でも、このありがたいという感情を感じるようになったのは、ごく最近のこと。
人に何かされたら、ありがとう。
その時になにも感じないときさえ多かった。
不満が減ってくると感じられる「ありがたい」
世の中に不変不満がある。
親に、家族に、上司に、同僚に、学校の友達に、知り合いに、誰かしらに、恨み辛みを持っている人はいるだろう。
わたしは数年前まで母親のことを毒親だと思っていたくらいだ。
でも、それは止めた。
自分を育ててくれた親のことを毒などと呼ぶのは、もってのほか。
そりゃ、子育てに関して、一部間違ったことがあったかもしれない。
でも、親のことを否定することを止めたんだ。
そうしたら、やっと出てきたんだよ「ありがたい」という感情が。
強く憎んでいるうちは、自分の内側な温かく柔らかいものを感じる余裕は無いのかもしれない。
「ありがたい」をいつも感じるために
実はあまり知られていないのだけれど、感情や思考は自分で選ぶことができる。
ある出来事があったとき、怒ることも喜ぶこともできる。
ポジティブな感情を選ぶこともできれば、ネガティブな感情を選ぶことができるんだ。
そのポジティブな感情をいつも意識して選ぶようにしていると、日頃からの何氣ない出来事一つ一つに感情の念が湧いてくる。
それが「ありがたい」。
朝から太陽の光を浴びられてありがたい
今日も食事ができてありがたい
雨風凌げる家に住めてありがたい
会うのが愉しみな友人がいるのがありがたい
ゆっくり眠れる布団があってありがたい
なんでも、ありがたいと思う種は転がっている。
🍀🍀🍀🍀🍀
だったら、ありがたいとどれだけ思えるのか?
そういうゲームをしてもいいんじゃないだろうか?
「なんで、そんなにありがたいと思いたいの?」
ありがたいと感じるようになってから、わたしの心は温かさに包まれている時が多いから。
「ありがたい」が溢れた先に「ありがとう」
何かの事象、出来事に対して自分がありがたいと思う。
コップに注がれていく「ありがたい」。
「ありがたい」という液体の水かさがどんどん増していく。
そのコップから溢れたものが、相手に対して言いたくなる「ありがとう」なんだろう。
心からありがたいと思っているときの「ありがとう」を言ってもらったら、すぐに分かるはずだ。
キラキラと光輝くエネルギーと共に、あなたの元に届くだろうから。
わたしはそんなありがとうを誰かに届けたい。
そのために「ありがたい」を育てていく。
心の在り方を変えていく
まずは、ありがたいと思えるよう、心を柔らかくしていきたいものだ。
強いネガティブな感情ばかり選んでいたら、心が固くなってしまうから。
ポジティブな感情ってどうやって選べはいいの?
そういう方は読んで欲しい。
「じぶんでできる浄化の本」
いつもじぶんが氣持ちよく過ごせるヒントがたくさん載っているから。