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「ショック」という氣持ちを深堀りしてみた

今日の午後ショックなことがあった。

それについて深堀りして氣づきがあったので、シェアしようと思う。


事実関係について


Aさんが「協力して!」という呼びかけをした。

それに私は応じた。

それは、A さんだけではなく、共通する友人のBさんのためになることだとと思ったから。

そう。

私はAさんとBさんの役に立ちたいと思ったのだ。

だから、協力することが終了したとき、私は満足感に包まれていた。


しかし、今日になって、Bさんから言われた。

「昨日の作業、ちょっと違うんだよね。

一部削除しておくから。」

Bさんに喜んでもらいたくてやったんだけど、喜んでもらえなかった。

事実としてはそんな感じだ。


ジワジワとショックがやってきた


そうか、そうだったのか。

Bさんにいわれたこと(正確には文面なので、「書かれたこと」だ)は最初はそんなにたいしたことではないと思った。

でも、ボディブローのようにジワジワと来た。

その後の感情はこうだった。

「Aさんに言われて一緒に協力したら、Bさんに喜んでもらえると思ったのに!」

「Aさんの呼びかけに、応じなければよかった!」

「私の作業内容がわるかったのか?」

「私の作業する能力が低かったのか?」

自分の中は混沌としていた。

でも、途中で氣が付いたのだ。

そんなにショックをうけるほど、私はBさんが大好きなんだ!ってことに。


自分の気持ちをねぎらう


そっか、自分はBさんが好きなんだ。

だから、一生懸命作業したんだね。

そこまで夢中にできた私って素敵だね。

その人のためになるだろうと思うことに集中できた私ってすごいね。

Bさんとよりより関係になりたくて、やったんだよね。

相手のためにできる私って素晴らしいね

そうやって、自分のやったことをねぎらった。

だって、それをやった自分を否定したら、自分が可哀想だから


結果としては、Bさんに認められなかったけど、自分のやった努力を自分で否定しちゃったら、だれも認めてくれない。

せめて自分だけは自分の味方にならないと!


これからどうする?


努力した私は素晴らしい。

ショックだと感じることは、できれば避けたい。

こういう経験を減らすために何をするべきなのな?

それは、相手が本当に望んでいることなのかを観察する、または直接聴いてみることだと思う。

きっとこの人はこれを望んでいるだろうと、勝手に思い込んでしまう。

それでは、相手は迷惑なこともある。

だから、相手がなにを欲しがっているのか見極めることが大切なんだ

今回は、Aさんの言う通りすればいいだろう、と思った。

正直、今回のBさんの対応でAさんも凹んでいることだろう。

(実はAさんと直接連絡する手立てがなく、想像しかできない。)

Aさんもおなじような氣付きがあったらいいな、と思っている。

だって、きっとAさんもBさんが大好きだ。

それで協力をよびかけたのだろうから。


みんな大好きな人の役に立ちたいんだよね。

その氣持ちって素晴らしいよね。






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