見出し画像

親ガチャはあるよ。きっと。

みなさんの素敵な家族物語を聞くたびにそう思う。

私はもう私に生まれたくない。
この年まで生きてこられた事に感謝し不平不満を言わずに、生きるべきだということはよくわかっている。

ただ、今の私は喪失感と妬みや嫉みなど、ネガティブな感情に支配されて
どうしてこんな事になったのかと悔やんでもどうしようもないし、何も変わらないのに。

私にも私だけを見てくれる家族が欲しかった。
それなりに頑張ってきたと思う。
こんな悩みを抱えている人は山ほどいるよね。多分。

でも、周りが輝きすぎて辛い。
ポジティブ発言を聞くたびに、それはあなたが幸せだからそう思えるのよ。
なんとかなるって自信は環境に左右されるもの。
家族が、自分を大切に扱ってくれているという確信があるから
失敗し続けても、失敗を諦めた時点で失敗に終わり、成功するまで頑張れば
成功者になれるなんて。
私にしてみれば詭弁だ。

どこに生まれ、家が裕福か、愛情深く育ててもらえるかは、すべて外的要因で自分で選ぶことができない。

もちろん、裕福で愛情深く育てられてもろくでなしになる確率がない訳では
ないけど。
長い目で見たとき、世間一般にいう幸せを掴みやすい環境にいると言える。
その環境にいる人にとっては当たり前で何も感じないんだろうけど。

その環境が社会階層を作ることをわかっていないだろうか。
親ガチャは確かにある。
自分の努力ではどうしようもない部分がある。

これは、本から得た知識だから、うろ覚えではあるけど、アメリカの乳児院での調査。
乳児院に入っている、0歳児の子供の37%が1年以内に死んでしまう。
分かりやすく言えば、100人いたら、37人の赤ちゃんが死ぬ。
もちろん、乳児院には虐待などの事実はなく、適切なケアがされ、栄養のあるミルクが与えられ、清潔な部屋で育てられた子供がだ。

一つだけ足りないものは愛情のこもったスキンシップ。
親からしか与えられない、スキンシップ。抱きしめられたり
頭をなでてもらったり。いわゆる普通の親なら誰でもやっている事。
これがないだけで、人は死ぬ。

今、私には遠距離恋愛の彼がいるけど、年に2回しか会えない。
親も多分どこかにいるけど、2歳3か月の時に分かれて以来1度も会っていない。
この愛情不足を自分で埋める方法が知りたい。
誰か教えて。
恥ずかしいことかもしれない。いい歳してね。
でも、自分のネガティブな感情に生活が覆われている気がして怖い。

それに、これからもっともっと病気が進む。
どこまで、一人で戦える?

やるべきことはやっているよ。民間の身元保証会社とも契約し
喪主まで引き受けてくれるし安心。。
仕事だって、リモートワークに切り替えて、依頼も少しづつ増えている。

皮肉なことに私の仕事で、一番需要があるのが、愚痴聞き、悩み相談なの。
たくさんの悩みを聞いて勉強になる。
疲れるけど、苦情処理に比べれば非常に楽。寄り添う気持ちで聞いている。

私の心にも寄り添って話を聞いて。
うん。そうか。と言って欲しい。
今日はワガママで子供じみた私。
明日は違う私に会えるかな?

でもね、一つの救いは明日の心配をしている事。
本当に何も希望がないならば明日の心配はしないと思うから。
~おしまい~

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?