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子供のためのオルセー美術館(43)マネ・スペイン②スキャンダルのはじまり/マネにとって史上最高の画家はだれ?
スペインのギター弾きの次に描いた絵は
あの評判の美しいバレリーナ、ローラ
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スペインの民族衣装のドレスはセビリアの花でいっぱい
赤、オレンジ、ピンク、レモンに黒…
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ところがこの絵を見て、今度は誰もが言いました。
「これは許されない。スキャンダルだ!」
当時のフランスでは、神話や昔話に出てくる女の人を絵に描くのがふつうでした。
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ところがマネは、今生きている情熱的で美しい女性をモデルにして描いたので みんなからきびしく批判されたのです。
マネはこの絵を最初の一歩にして、この後みんながあっと驚くような絵を次々に描いて新しい絵の時代の先頭をいくことになります。
バレリーナローラの絵を描いた3年後、マネは初めてスペインに行きました。
そしてプラド美術館でこの2枚の絵を見て
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「やっぱりすごい、画家の中の画家だ!おどろきの絵だ!」
感激して友達のファンタン・ラトゥールに手紙を書きました。
パリのルーブル美術館にもあるその画家の作品を、マネは何度も描きうつして練習していたのです。
スペインの巨匠、ベラスケスの絵でした。
当時のマネにとって史上最高の画家は、ベラスケスだったのです。
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Édouard Manet
Lola de Valence 1862
エドゥアール・マネ
ローラ・ド・ヴァランス 1862
マネがイベリア半島を訪れたのは1865年のことであったが、1863年にギャルリー・マルティネで展示された《ロラ・ド・ヴァランス》を含め、すでにいくつかの「スペインの主題」を描いていた。このアトリエの肖像画は、パリで大成功を収めたスペイン・バレエのスターを描いたものである。マネは当初、モデルをニュートラルな背景に配したが、数年後、舞台裏から見た風景、舞台そのもの、そして観客席から見える背景を加えて修正した。
スペインは非常に早い時期からマネにインスピレーションを与えた。
この絵は、スペインの伝統的な衣装を身にまとった踊り子を描いたもので、1860年に描かれた『スペインの歌い手』とある意味で呼応している。この2つの作品は、画家がスペイン美術とディエゴ・ベラスケスの影響を強く受けたヒスパニック時代の特徴である。
ローラ・ド・ヴァランスは、マネの作品の中で初めてその主題が示唆するエロティシズムが不評を買うが『草上の昼食』や『オランピア』の大スキャンダルへの道を開いていった。
この絵に心奪われたボードレールの詩
(オルセー美術館は、ボードレールが望んだように、この詩が額縁ではなく絵の下部に描かれていることに言及している)
Entre tant de beautés que partout on peut voir, Je comprends bien, amis, que le désir balance ; Mais on voit scintiller en Lola de Valence Le charme inattendu d'un bijou rose et noir.
いたるところ逢うことのできるかくも多くの美女の間に
欲望のゆれ迷うことは、友らよ、私も理解する
さあ、みたまえ、ローラ・ド・ヴァランスのうちに閃く
薔薇色と黒の宝石の、思いもかけぬ魅惑を (阿部良雄訳)
Diego Rodríguez de Silva y Velázquez
ベラスケス
イソップ Aesop 1639-41
メニッポス Ménippe 1683
プラド美術館
Amaury-Duval La Salutation angélique 1860
アマウリ=デュヴァル
天使の挨拶 1860
( マネと同時代の作品 国務省および皇帝の宮内省から画家に注文され批評家に気に入られた)
アマウリ=デュヴァルは、アングルの主張する線と色彩を組み合わせることを望み、繊細な色彩を持つ絵画を制作した。背景のパーゴラの柱によって構成されたシンプルな構図は、ラファエロとナザレ派として知られる同時代のドイツの画家たちの影響を併せ持つと考えた批評家たちにすぐに気に入られた。
お読みいただきありがとうございました。
大好きなベラスケスやゴヤのインスピレーションを得ながらも新しい作品に突き進むマネ。多くの非難の中、ドラクロワ、ボードレール、またドガをはじめとする若い画家たちの支持を得ます。
マネが画家の活動を始めるとほぼ同時に始まったヒスパニック時代の作品はまだ続きます。改めてご紹介します。
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