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昨日の昼下がり、たばこの煙が漂ってきました。

脊髄反射レベルで出どころをサーチ、秒で発見。「公園内禁煙の看板の前でタバコ吸ってるよ」と声に出し、一緒にいた友人を怖がらせてしまったのですが。(ごめんなさい)

ま、それぞれ事情はあるしね~というスタンスで、わりと怒らない方の人間だと思ってるのですが、たばこの煙だけは、どうにもこうにも。

洗濯物をベランダで干しているとき、たまにたばこの匂いがすることがあり、そのときもやはりかなり大きな声で「あ、たばこ、けむ!」と口から出ます。条件反射です。

子どもたちには、「なにされるかわからないから、口に出したらいかんよ」と、一応補足するのですが。
親のすることは習ってほしくないことから真似るので、危ない状況です。

たばこを吸わない人でたばこの匂い、煙好きという人はほぼいないだろうなぁとは思うんですが、それでも、たぶん人並外れて過敏に反応するので、なんでこんなにたばこを毛嫌いするのかなぁと考えてみました。

たばこの煙は、空気を汚すんですよね。
生命は呼吸をしてエネルギーを生み出しています。
とてもとても重要な欠かせない生命活動を、何気なく、なんの迷惑であることを鑑みず、無造作に、傍若無人に、妨げている、ということが許せない。

ついでに言えば、父はチェーンスモーカーでした。
父は悪い人ではなかったけれど、当たり前に家族よりも自分を優先する人でした。
恐らく、これも、係わっている。

そして、許せないもの嫌いなものは自分に認めていないもの、とライティング・ライフ・プロジェクトで教えてもらいました。

わたしはなにを自分に許していないのだろうか。

わたしにとって、たばこを吸う人は
当たり前に、周りの人という生命に迷惑をかけながら、自分の嗜好を優先するひと

わたしが自分に許していないことは、

当たり前に、ひとに迷惑をかけながら、自分を優先すること

生きていくうえで、ひとさまにお世話にならないということは決してない、とは理解している。

とはいえ、ひとに迷惑をかけて当然とはなかなか思えない。
ときに、ひとに迷惑をかけてしまうことは、生きていくうえでは避けられないことなのかもしれない。でも、できればなしでおきたい。

と、ここまで書いてみて、おごり高ぶってるなーわたしと気づく。
なにいっちゃってんの、ひとに迷惑をかけないで生きていけるはずないのに。

周りの環境は、自分の鏡。
いつでも、自分のことを教えてくれる。
たばこの煙のおかげで、またひとつ緩むことができそう。

わたしは、当たり前にひとに迷惑をかけながら、自分を優先しながら生きていくことを許可します。

できれば、迷惑ではない関わりであったらいいなと希望を持ちつつ。
いきかう意識が感謝であったら、いいなと思いつつ。

生きていくって、たぶんそういうことなので。

とはいえ、たばこの煙は嫌いなので、見かけるor漂ってくる煙を察知したら、遠くに離れるようにはしてしまうだろうな。
ま、仕方ないでしょう。それくらいの距離感でつきあっていく。

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