見出し画像

本の話|アスリートの姿に我々が得るべきは感動じゃなく刺激

マイナス 5.6 。電卓の液晶ディスプレイがそう示している。会社へと戻る道すがら、忘れないようにずっと暗唱していた数字を、オフィスの机に仕舞っていた昨年の健康診断の結果表に記された体重で引いてみた。もう少しだけ、絞る時間が欲しかったな、というのが正直なところ。でも、健康診断の受診状況を管理するスタッフから今月中に受診するよう依頼されていたので、月末までに都合のつく日といえばその日くらいしかなかったから仕方がなかった。

お腹まわりもどれくらいすっきりしたのかを確認したかったが、病院で計測した腹囲の数値を忘れてしまった。なので、ウエストサイズの減少の把握は早々に諦め、出勤途中のコンビニで買った1本のバナナをインサイドデスクから取り出す。すると、朝ごはん食べてないんですか?と、僕の仕事をサポートしてくれている若手の女性スタッフが声をかけてきた。朝食を採って受診すると結果が思わしくないことがあるんだと話したら、「女子みたいですね!」と返してくる。僕は血液検査のことを言ったつもりだが、どうも言葉足らずだったみたいだ。とはいえ、誤解を解くためにわざわざ補足するのも面倒な気がして、とりあえず笑っておいた。たぶん、その時の僕は何よりも先ずはバナナが食べたかったんだと思う。

*

この場所で「走る」ことについて綴るとき、「#ランニング記録」というハッシュタグをつけているが、これまで日々の走行距離を載せたことはなかった。というよりも測ったことがなかった。自宅から数十メートル歩くと片側二車線の道路に出る。そこからゆっくりと走り出して、山のほうへと向かう。中間地点のちょっと手前まではずっと緩やかな上り坂。その坂道が一旦は平坦になる地点で折り返し、そこから重力の力も借りて一気にペースアップ。往路はひたすら我慢の走りだけれど、この復路があると思えば耐えられる。昨年の秋に再び走り始めていくつかのコースを試してはみたが、この道が最も楽しい。

先日初めて、ウェブの地図サービスを使ってコースの距離を測定してみた。全長、5mile. マイルで書くのは、キロメートルで表記すると中途半端な感じがしたから。それと、今読んでいる大迫傑さんの著書第二弾『決戦前のランニングノート』の影響があることは否めない。大迫さんが2021年頃から再びつけ始めたという練習日誌には1日の走行距離がマイルで書かれていて、そこに添えられる約二百字ほどの自らに向けた厳しさは、読んでいるこちらも自分を律しなければとの想いに駆られるくらいに鋭利である。

*

何も考えずにその背中を追ってさえいれば、それまで見たこともない場所へと導いてくれた、人生のペースメーカーたる諸先輩方はいつしか僕の前からいなくなった。気づけば、押し出されるように立たされた先頭で、レース展開やペースを掴みかねている。かといって、遙か後方で随時スタートを切る若い世代の長距離走者たちを脅威とは感じない。新たな主義主張やルールが適用される彼らはそもそもカテゴリーが違う。その存在に一喜一憂するほうがおかしい。

こうなれば、別の競技に『生き方』のベンチマークを求めるのが賢明な判断というものだろう。しかも、信用に値するのは自分に厳しい者の言葉のみ。世間には根拠や裏付けのない大言壮語が多すぎる。そういった意味で、前作の『走って、悩んで、見つけたこと。』と同様に、先述の『決戦前のランニングノート』に垣間見る大迫選手の思考からは大きな刺激を受けた。やさしくなるためなら、自己肯定感を満たすジョギングのような読書でも構わない。でも、強く生きるためには、あえて自分を追い込むスピード練習のような本選びも必要じゃないだろうか。《大迫傑》という妥協なきアスリートが自身の著書で見せた思考の断片に触れ、そんなことを想う。




この記事が参加している募集

推薦図書

ランニング記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?