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UNTITLED REVIEW|画一化する世界

この小説に関するレビューをウェブ検索してみると、これまで崇高なものと信じて疑わなかった多様性という言葉に対する自身の価値観を根底から覆され、打ちひしがれているとの趣旨の声で溢れている。僕は自分の読んだ本と同じ題名の本を別の誰かが読んだところで聞こえてくる本の声風や論意に違いがあって当然だと常々思っているから本来であればわざわざ文章にすることもないのだろうけど、今回の場合は本から受ける印象があまりにも世間と乖離しているように感じたのであえて言葉にしてみた。

多様性という言葉に限らず、ジェンダーやLGBTQあるいはSDGsなんかもそうだけど、新しい考え方や概念をひと言で言い表わす単語が世に出るたびに、僕はこの社会に存在するすべての事象の標準偏差が限りなくゼロに近づいてゆく気がして息苦しさを感じる。だから物語冒頭のモノローグで自分たちが想像できる範囲の中にあるものならそれを多様性という言葉で許容するよう努めるがその枠外にあるものは異端と見做す人たちのことを糾弾する場面に溜飲が下がる思いがした。

小説の前半は社会的少数者あるいはその家族を含む三人の視点からそれぞれの物語が語られ後半ではさらに二人の視点が加わる。最終的に五人の当事者の視点を通じて現代社会の潮流をあらためて思い知らされることになるのだが、個々のスタンスは総じてこの世界に悲観的だ。でも、どこか自分との本質の類似性を感じてしまう。だからなのかもしれないが、自身が通う大学の学祭で毎年開催されるミス・ミスターコンを廃止してその代わりにダイバーシティフェスなるものを開催しようとするバイタリティ溢れた学生らの姿が僕の目には異質な存在に映り、終始馴染めなかった。

誰もが他の誰かと繋がることを心から望んでいるわけではないし、誰もが世界中の人たちに自分のことを理解してほしいと思っているわけではないだろう。自分に対して直接的もしくは間接的にも利害関係がないのなら放っておけばいいじゃないかと僕なんかは思う。人によってはこういった行動を無関心と捉えるのかもしれないが僕にとっては他人を尊重するひとつのかたちである。だからこの物語における最大の山場として描かれる、とある集会に向かうために自宅を出た知人をその場に引き止め、言葉の限りをつくして阻止しようとする女子学生の行為は無用な親切に見えた。

この物語を読み終えて、二年前に開催された東京五輪の開会式でジョン・レノンの「イマジン」が流れたことを思い出す。どこかの国に帰属していなければ競技に参加できない大会で「国なんて無いんだと想像してみよう」という歌詞が流れることに僕は大きな違和感をおぼえた。むしろ、誰かが仕組んだ壮大なアイロニーじゃないか?と勘繰ったほどだ。そのときのことを今回の小説に描かれたダイバーシティフェスなるものを開催しようと奔走する学生らの姿に重ねてしまった。

あまりにも美しすぎる言葉は人々の思考を停止させ、世界を画一化へと向かわせる。

遠の昔にマスクは外しているはずなのに、いまだ息苦しさをおぼえるこの街の片隅で、ふとそんなことを思った。


The key to the title





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