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原点回帰 #02

自室の本棚の本を時々まとめて処分している。本を所蔵している棚の大きさは概ね掃き出し窓一枚くらい。学者やコレクターでもない限り、それほど大きな本棚は必要ないだろう。だから、棚のすき間がなくなると、手もとに残したい本だけを置いて他は処分する。何年かの周期で、その時間や時代を生きるために必要な本を見直す。僕たちの身体を構成する骨や血液、そして内臓が細胞レベルで日々少しずつ入れ替わるように。

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新陳代謝の激しい僕の本棚の中にあって、これからもずっとその場所に有り続けるだろうという予感のする二冊の自伝がある。そのひとつが、坂本龍一氏の57歳までの半生を綴った『音楽は自由にする』であり、もうひとつが、同氏の最晩年までを記録した『ぼくはあと何回、満月を見るのだろう』。約十四年の時を経て刊行されたこの二冊の自伝。同じ人物によって語られた言葉であるにもかかわらず、両者の性格が異なっていてとても興味深い。

随所に見られた「不遜でしたから」との控えめな言葉に代表されるように、総じてパッシブな姿勢で貫かれた最初の自伝とは違い、二作目ではあちらこちらに自らの政治的な立場や社会問題に対する持論を明確に表す発言が見られることもあってか、本文から受ける印象にはザラリとした感触が残る。確かに、第一作の『音楽は自由にする』でもその片鱗はうかがえた。それまでのポップス路線が必ずしも成功とは言えなかった反動から生まれたアルバム『 BTTB 』や、二十世紀を総括するとのコンセプトで作られたオペラ『LIFE』に滲む世界への憂い。そして、2001年に起きた同時多発テロに対するおそれ と哀しみ。

とはいえ、二作目の自伝『ぼくはあと何回、満月を見るのだろう』で最も多くページが割かれているのが前作の自伝で描かれなかった2009年以降の音楽活動の足跡。僕はこれまで同氏が病気療養のために活動を制限されているとばかり思っていたが、真相は日本のマスコミやプロモーターが興味を示さなかっただけだった。そして物語は最後のピアノ・ソロとなったテレビ番組の収録後の感想を綴ったところで唐突に終わりをむかえる。

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月の満ち欠けの周期は約30日だそうだ。だから理論的にはおよそ1か月に1回の割合で満月が見られる計算になる。でも、その日の天気が曇りの場合もあれば雨の日もあるだろうし、満月の夜に必ずしも外を出歩いたり窓から空を眺めるとは限らない。そう考えると、人に与えられた時間の中で満月を見る回数というのは意外に少ないのかもしれない。





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