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【パロディ】大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立

昔々、神奈川県の横浜市に、こしきぶちゃんという、それはそれはかわいらしい女の子が住んでいました。
こしきぶちゃんは超絶かわいいだけでなく、イタリア語がペラペラで、時々、翻訳のアルバイトを頼まれることがあるほどでした。

こしきぶちゃんのお母さんは、遠く離れたイタリアのエミリア・ロマーニャ州に住んでいます。
離れて暮らしてはいますが、二人はとても仲が良く、お互いに「こしきぶちゃん」「いずみちゃん」と呼び合う、友達母娘おやこでした。
こしきぶちゃんにイタリア語を教えたのも、お母さんのいずみちゃんなのです。

ある日、こしきぶちゃんは、美濃和紙に関する翻訳をすることになりました。
イタリア語で書かれたA4のコピー用紙十数枚分の文章を日本語に訳すと、三万円が貰えるバイトです。
こしきぶちゃんは、最初から二ページ目の半ばまで目を通し、心の中で言いました。
「こんな簡単なテキストを僕に訳させるとか、頭おかしいんじゃねぇのか。Google翻訳を使えば済む話だろ。しかも三万も払うなんて... これ、どう見積もっても推敲含めて二時間あれば終わるんだけど。時給一万五千円とかウケるw」

当時、高校生で自分史上最高にイキっていたこしきぶちゃんは、時価三万円の紙の束を散らかった部屋の隅に放り出し、そのまま遊びに行ってしまいました。

それから、五日後。訳出物の納期二日前の夜のことです。
こしきぶちゃんが横浜の実家から、イタリアにいるいずみちゃんとSkypeを繋ぐと、いずみちゃんが言いました。
「君の部屋、すごく汚いな。少しは片付けろ」

こしきぶちゃんは、
「僕しか使わないんだから別にいいだろ。指図すんな」と反抗しましたが、片付けないなら今度イタリアこっちへ来たときに新しいスマホを買ってやらない、と脅され、しぶしぶ部屋の掃除を始めました。
まったく、娘を脅迫するなんて、とんでもない毒親です。

片づけを始めて数分が経ったとき、こしきぶちゃんは部屋の片隅にあるものを見つけました。

「あ、やべぇ」
それが何なのか、すぐにわかったこしきぶちゃんは、思わず声を上げます。

「どうしたんだ?」
きっとろくなことにならない、と予感したのでしょう。いずみちゃんが顔をしかめて尋ねました。

「翻訳の仕事頼まれてたんだけど、忘れてた」

「...納期は?」

「明後日」

「ローリス(?)、仕事はできるだけ早く終わらせて、締め切りの一日前に納品しろっていつも言ってるだろ」

「うるせぇな、わかってるよ。今日終わらせて明日提出すればお前の言った通りになるんだから、それでいいだろ。なぁ、そんなことより、一回だけチェスしよ。その後でちゃんとやるから...」

「今すぐにやれ! 」

「後でやるって言ってんだろ!」

「俺は『今すぐにやれ』と言ってるんだ。 新しいスマホが欲しくないんだな?」

「...わかったよ」

Skypeを繋いだまま、タブレットの中のいずみちゃんに睨まれながら、こしきぶちゃんはラップトップを開きます。
一ページ目、二ページ目と順調に翻訳を終え、三ページ目の半ばにさしかかったときのことでした。
キーボードを軽快に叩いていたこしきぶちゃんが、はたと手を止めたのです。

いずみちゃんが、
「怠けるな」と、鬼のような顔で言いましたが、こしきぶちゃんはタブレットに一瞥もくれず、PC脇に置いてあった紙の束を手に取り、紙面に視線を落として眉根を寄せます。
そして、そのままの表情で、ゆっくりとページをめくり始めたのですが...
彼女は途中で完全に動きを止め、最後の一枚に行き着くことはありませんでした。

いよいよ様子がおかしいと思ったいずみちゃんは、
「どうしたんだ?」と心配そうに聞きます。

すると、こしきぶちゃんは、
「...わかんない」と、呟くように言いました。

「...なんだって?」

「なんて書いてあるのかわかんない。知らない単語がいっぱい出てくるし、知ってる単語が多い部分もなに言ってんだか全然...」

急に早口になり、狼狽を露わにするこしきぶちゃんに、いずみちゃんは、
「とりあえず落ち着いて」と、優しく言いました。

普段は明王のようないずみちゃんですが、こしきぶちゃんが本当に困ったときには、たとえ彼女に非があろうとも、いつでも彼女の味方なのです。
いずみちゃんは続けます。
「jpegでもpdfでもいいから、本文のデータを送って」

こしきぶちゃんは言われるがまま、Outlookを開き、いずみちゃんにpdfファイルを送ります。
それをデスクトップで開き、最後まで目を通したいずみちゃんは口を開いて、ため息をついてから言いました。
「美濃和紙の製法をアマルフィペーパーの製法と比較して説明してるね... 難しくて一回読んだだけじゃ俺もよくわからないけど。どうしてこんな仕事を引き受けたんだ」

「だって頼まれたから...」

「頼まれたからといって何でも引き受けるんじゃなくて、内容を見て難しそうだったらちゃんと断らないと... せめて俺に相談してから受けるかどうか決めればよかったのに」

「僕はどんな文章でも一人で訳せるもん! お前の助けなんかいらないし、内容を見る必要もない! それに、『難しいからできません』なんて言えるわけねぇだろ、かっこ悪い!」

「引き受けておいて、『やっぱりできませんでした』って言う方がよっぽどかっこ悪いよ...」

「そうだよ! どうすんだよこれ! お前は日本語がわからないから訳せないし、今から辞書とかネットとかで調べながら翻訳してたら明後日までに終わるかどうかわかんない! 締め切りを過ぎてから納品したら、苦戦したって思われるじゃん! そんなのやだ!」

過去の自分に言いたいことは山ほどありますが、かわいそうに、こしきぶちゃんのオニキスのような美しい目に溜まった涙が、今にもあふれ出しそうです。

いずみちゃんも言いたいことはたくさんあったでしょうが、優しい声でこしきぶちゃんを元気づけました。
「大丈夫だから泣くな。今から俺がネットで調べながらこれを読んで、簡単な言葉で君に説明するから、君はそれを訳すんだ。そうすれば内容は同じになるはずだから、意訳したことにすればいい」

そして、翌日の夜...
こしきぶちゃんの受信トレイに、一通のメールが届きました。
『期日前の納品ありがとう。本当に助かったよ。内容も難しかったし納期も短かったけど、君ならできると思って頼んでよかった。イタリアの友達も手伝ってくれたんだろう? お礼を言っておいてね』

それを読んだこしきぶちゃんは舌打ちし、このような文句を文末に添えたメールを返信しました。
『友人は忙しいし時差もあるので、日本こっちにいるときは彼と連絡を取らないんですよ。だから、翻訳の仕事は全部、僕一人でやっています』

いずみちゃんが送ってくれたスミレの写真

240309