旧東海道ひとり旅_5【戸塚宿】
東海道五十三次 5番目の宿場町は、戸塚です。
実は、戸塚はもともと宿場町ではありませんでした。
しかし、4番目の宿場・保土ヶ谷から、戸塚の先にある藤沢宿までの距離が17㎞と長く、おまけに、戸塚は江戸側の権田坂と京都側の大坂に挟まれていて、途中休まずに歩き続けると足がバラバラになりそうな人が続出したのでしょう。そのため、幕府に無断で、旅人を馬に乗せたり宿泊させたり...ということが行われていました。
この辺りを支配していたやつは「そういう商売すんな」と、通達を出したのですが、土地の有力者は幕府に嘆願書を提出し、戸塚は保土ヶ谷と藤沢より3年遅れて、1604年に正式な宿駅として認められたのでした。
ちなみに、1604年といえば、オランダで、カレル・ヴァン・マンデルとかいうやつが、ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』をパク...模範に、北方ルネッサンスの画家の画業をまとめた年です。(Wikipedia調べ)
今回はガイドブックを参考に、
・吉田大橋
・江戸方見附跡
・澤邊本陣跡
・富塚八幡宮
...を訪れることにしました。
■吉田大橋
橋には歌川広重の浮世絵(↓)が飾られている。
(↑)中央の道標に「左かまくら道」とあることから、ここが東海道と鎌倉に向かう道の分岐点であると推測される。
「この絵からそんなことが分かるなんてすごいなぁ」と思いました?
参考図書(本記事末尾に記載)からパクったに決まってんだろ。
■江戸方見附跡
(↑)見附(もしくは見付)とは、宿場の出入り口のこと。ここは戸塚宿の江戸側の出入り口だ。
「へぇ、そうなんだ。そんなことを知ってるなんて博学だなぁ」と思いました?
石碑横のキャプションからパクったに決まってんだろ。
■澤邊本陣跡
(↑)本陣とは、大名や公家、幕府の役人など、いけ好かな...身分の高いやつの宿泊施設。
大名はベッドや燃料、バスタブなどを持参したので、基本は建物貸しだったとのこと。門や玄関、書院の設置も許されていたとか。
■富塚八幡宮
階段を降り、境内へ戻ると...
この連載では、"1記事につき、できる限り1首または1編の短歌かイタリア語の詩を詠む" というルールを設けていますので、ここで一首...
あっ!リスだ! すげぇかわいい 写真撮ろ!
ホームで気づく 句碑の写真は?
引き返して撮った写真がこちら(↓)
(↑)神社の境内には松尾芭蕉の句碑がある。
鎌倉を 生きて出でけむ 初松魚
江戸の人々に珍重された初鰹が鎌倉に水揚げされ、海水と共に江戸へ運ばれていく情景を詠ったのだそうだ。
東海道五十三次 5番目の宿場町、戸塚はここまで。
次回は6番目の宿場町、藤沢へ行ってみたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
参考図書
・ビジュアル版 鑑賞ガイド 地形がわかる 東海道五十三次 (大石学[監修]、朝日新聞出版)
・東海道中膝栗毛(上) (十返舎一九[作]・麻生磯次[校注]、岩波文庫)