フランス現代思想の面々がどのように理論を組み立てているのか、いわば「フランス現代思想の創り方」について、あえて図式的に考えてみます。 これは、哲学者の千葉雅也による仮説のなのですが、フランス現代思想がつくられるとき、三つあるいは四つの原則が立てられるそうです。 それは、①他者性の原則、②超越論性の原則、③極端化の原則、④反常識の原則、です。四つ目はやや付け足し的かもしれません。 これらを順を追って説明していきます。 ①他者性の原則 基本的に現代思想において新しい仕事
ルーティン作成としての秩序化は、人間が「本能で動く動物になり直すこと」だとも言えます。これは千葉雅也による一種の捉え方です。 動物の場合は、何も強制されていなくても最初から決まった行動がとれますが、人間の場合には外からの「構築」が必要になります。 第二の自然をつくります。 これまでに人間は、ルーティンを複雑化させていきました。学校で制服を着るとか、教室で黙々と先生の話を聞くとか、皆んなで行進するとか、音楽の時間に全員で同じ歌を歌うとか、我々は意味のわからないような共通行動を
ドグマ人類学は、ピエール・ルジャンドルという思想家による理論で、ラカン派の精神分析を取り入れた法の歴史に関する独自の理論となっております。 ドグマという言葉は、独断的、独断論を意味し、融通が利かず、批判の余地を与えない決めつけのような印象を与えます。 哲学史においても、「世界の本質はこうだ」というドグマ的 = 独断的な決めつけをやめ、人間が世界をどのように捉えているかを分析しよう、というカントの哲学に転換した歴史があって、我々はカント以後にいます。 そして、カント以前の
如何にして人間が「人間になっていくか」、即ち、「主体化」していくかという話になります。 ラカンによる発達論をモデルに説明したいと思います。ただ、ラカンの理論は非常に複雑なのでかなり省略します。 享楽 ここでの主題は、人間がいかに限定されるか、いわば「有限化」されるかということになります。 子供は当初、自己が成立しておらず母と一体的な状態にあります。 なお、ここでの「母」とは、その存在無しでは生き延びられない他者という意味です。このような広い意味での母が必要なわけですが
「人間は過剰な動物である」というのは、精神分析によって与えらえる一つの定義です。千葉雅也の言葉を借りれば、人間はエネルギーを余しているのです。 人間は単に本能的な必要性だけで生きているわけではありません。 動物は、本能的必要性、即ち栄養摂取や繁殖などのためにとれる行動の幅が人間よりずっと狭いです。それに対して人間は、非常に多様な仕方で必要に応えます。人間の料理や性行動には、必要以上の過剰な快楽があるのです。 本能とは「第一の自然」であり、動物においてそれはかなり自由度が低
18世紀末に、哲学とは「世界がどういうものか」を解明するのではなく、「人間が世界をどう経験しているか」、「人間には世界がどう見えているか」を解明するものだ、という近代哲学の方向性が定められました。 これは、カントの「純粋理性批判」によるもので、哲学者も含めて我々は人間であり、人間が分析できるのは「人間が認識していることだけ」だ、という主張がなされます。 人間に認識されているものを「現象」と言います。そして、現象を超えた、「世界がそれ自体としてどうあるか」は分かりません。こ
社会の脱構築 ミシェル・フーコーとは 哲学者・歴史家であるミシェル・フーコーは、「権力」の分析を展開しました。ほかにも主題はりますが、権力論として扱うのが初心者にはわかりやすいので、そのような紹介がされています。 権力の二項対立図式を揺さぶる 普通、権力と聞くと、王様のような強い権力者、支配者がいて、それに弱い人民が抑圧されているという一方的、非対称な関係がイメージされると思います。強者が弱者を押さえつけ、服従を強いられたりとか、逆に抵抗したりなど、そういった二項対立
存在の脱構築 ジル・ドゥルーズとは ジル・ドゥルーズを大まかに説明すると、「固定的な秩序から逃れ、より自由な外部で新たな関係性を広げていくこと、自分の殻を破って飛び出していくこと」を励ますメッセージを発した哲学者だと著者は言います。 ドゥルーズの哲学と言ったとき、ひとつのキーワードを挙げるなら、やはり「差異」という言葉になります。差異という言葉は硬い言葉で、日常的にあまり使わないと思いますが、これを哲学の概念としてはっきり打ち出したのがドゥルーズなのです。 世界は「差
概念の脱構築独特なデリダのスタイル 二項対立のどちらをとるか、では捉えられない具体性に向き合うものとして、「二項対立を脱構築する」という新たな思考法を示したのがデリダです。 二項対立とは 論理学で二つの概念が矛盾または対立の関係にあること。 また、概念をそのように二分すること。 例.)内側と外側、男と女、主体と客体、西洋と非西洋など。 パロールとエクリチュール 抽象度の高い話になりますが、 デリダにおいては「話し言葉」と「書かれたもの」という二項対立が全ての二項対立
なぜ現代思想を学ぶのか ここで言う「現代思想」とは1960年代から1990年代を中心に主にフランスで展開されたポスト構造主義を指しています。 ポストとは「後」という意味で構造主義の後に続く思想ということです。 哲学を自ら好んで学ぼうとする人は、かなり珍しいと思います。 ただ、学ぶことで得られる効用は確実に存在します。 著者の千葉雅也は現代思想を学ぶことで、「複雑なことを単純化しないで考えらるようになる」と言います。 それはつまり、単純化できない現実の難しさを、以前より「