何者かになりたいのかい
華々しい世界や舞台で活躍したい、自身の顔や名前が認知される仕事に就きたい。そういった夢を持つ人は少なくない。いや、すごく多いように感じる。一握り、ひとつまみの人間しか上がれない舞台。表舞台に上がっても、待っている舞台裏での熾烈な競争。
ある人はその人を見て「承認欲求の塊だ」と揶揄し、ある人はその人を見て「素晴らしい気概だ」と称賛する。また、ある人はその人を見て「私もあそこまで夢を追い求められたら」と、少し悲しくなる。
実際、「自分の顔や名前が認知される仕事に就きたい」と思う子は多い。
とはいえ、小学生の「なりたい職業ランキング」であるためやはり無邪気。
しかし、“安定”していると思われがちな職業と同じくらいの割合で“有名人”と呼ばれるようになる職業が入っているのは、どこか現実と理想のせめぎ合いのようなものがうかがえる。
そして、次に高校生のなりたい職業ランキング。
高校生にもなると現実的な職業がずらっと。しかしながら、きっちり「歌手・ミュージシャン」など芸能の仕事が入っている。稼ぎのいい職業も人気だ。17〜18歳は現実を見るというよりも、夢を諦めるかまだ手放さないか自分の中でやんわりケジメをつけている時期なのかもしれない。
私もどちらかというと「自分の顔や名前が認知される仕事」に憧れを持っていた側だった。
大学で演劇部に入っていたので、なおのことだった。“演劇人”への憧れはたしかにあったが、私にはその才能や実力はなく、それらを鍛えるため大学卒業後に芝居を継続する覚悟も金銭的余裕もなかった。
役者を目指したり、声優を目指したり、ミュージシャンを目指したり(またはそのどれもを視野に入れていたり)、身近にも芸能の世界を目指す人は少なくない。
「人は誰しもが詩人だが、詩の別れをもって詩人ではなくなる。詩と別れられずに残ってしまった者が詩人となる」
的なことを寺山修司とかが言ってた気がする。多分。超うろ覚えですけど。
でも、つまりはそういうこと。
誰しも夢や憧れはあるけど、どこかでその夢や憧れを切り離す。夢や憧れを叶えられるのは、切り離せなかった者だけ。
大学生であれば2年生か3年生が明確な分岐点、ターニングポイントだと考えている。4年生になると、将来に向けて動き出さざるをえないから。
やめるという決断をする人、続けるという決断をする人、挑戦する決断をする人、何も決断できずいる人。
切り離す・切り離さないにあるのは、覚悟や決意といった材料だけではない。金銭面やそれに付随する生活面も考えないといけない。大学を卒業して、養成所や専門学校に通うとなればその費用は決してポンと出るような額ではない。
話題になっていた『底辺声優の所感』というnoteを読んだ。ひとりの人間のリアルがあらわれていたし、とにかく業界の厳しさが綴られていた。
憧れの肩書きを手にしても、活躍できるかはわからない。いろいろと賛否両論生んだようだが、それこそが人間のリアルなんだと思う。
声優を目指す人はたくさんいるのに、キャスト欄で見かけるのはほぼ同じ名前。目指したまま、どこにも出てこない人は一体どこへ行ってしまったのだろうか。
誰もが気付いているはずのことを、誰も口には出さない。言ったところで何も生まないし、(夢のない)都合の悪い事実は忌避されるべきだからだ。
私は、演劇や舞台といった非日常への気持ちを手放しきれず、舞台照明業に就職することになった。
会社の同期は舞台芸術の専門学校を卒業した人たちで、自分一人が(ほぼ)未経験者採用枠に入った。不安は本当に大きい。
未練ともいえるこの決断が正しかったのかはわからないし、100%満足しているかというとそうでもない。充実感もあれば、やっぱり辛いときはそれなりに辛い。ぶっちゃけ辛いことの方が多い。(2020/10/10現在)
だが、あまり興味のない広告代理店の内定を蹴って、今の会社にエントリーしたことに後悔はない。
どこかの会社の営業職として就職活動を終えていても私はなんやかんや、それなりに満足して暮らしていたことだろうし。もしかしたら今よりもっと幸せだったかもしれない。それでも私は内定を蹴った。
へばりついたガムみたいな夢や憧れを拾ったのだ。
切り離さなかった人がようやくの思いで舞台に立つ時、私が一番遠くの隙間から照らす光は、また別の誰かに夢や憧れを見せることになる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?