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【随想】小説『海辺のカフカ』村上春樹

あいやしばらく。
海辺のカフカ、
ようやく読み終えた。
大変だった。
長かった。
遠かった。
でも、何がなんだかよくわからなかった。
物語がうまく頭の中でつながらない。
読み終わって、はてここはいったいどこだろう。
何も見えない。
今まで読んできた小説とは
明らかに異なる。
異質だ。
何が異質かも言語化できない。
文字の意味はわかる。
文章の意味もわかる。
起きている出来事、語られている言葉もわかる。
でも、何が言いたいのか、わからない。
なぜ、空から魚が降ってくるのか?
なぜ、みな四国に導かれるのか?
佐伯さんは、本当の母親なのか?
ナカタさんの口からエクトプラズムしてきたものは、何か?
ジョニー・ウォーカーはいったい何者で何をしようとしているのか?
どうして、カフカ少年に血がついていたのか?
入り口はどこに通じているのか?
まさにカフカ少年が夏目漱石の『坑夫』を読んだ時と同じ感想だ。

「本を読み終わってなんだか不思議な気持ちがしました。この小説はいったいなにを言いたいんだろうって。でもなんていうのかな、そういう『なにを言いたいのかわからない』という部分が不思議に心に残るんだ。うまく説明できないけど」

様々な「なぜ」が置いてきぼりにされたまま、
物語は終わる。
宙ぶらりんな気持ちだ。
これではまずい。
完全に損なわれてしまっている。
なぜを、解読しなければ、読んだ気がしない。
しかし、本当に答えは書かれているのか?
もしかしたら、忘れているだけで実は書かれていたのかもしれない。
カフカ少年のように、
黄色いスプレーで目印をつけながら、
文章の森を遡ることにしよう…。


居場所

「世界にはこれほど広い空間があるのに、君を受け入れてくれるだけの空間は―――それはほんのささやかな空間でいいのだけれど―――どこにも見あたらない」
「僕の育った場所ではすべてのものが歪んでいた。なにもかもがひどく歪んでいたせいで、まっすぐなものが逆に歪んでいるように見えるほどだった」
「でも僕は子どもだったし、そこ以外にいる場所がなかったんだ」
「その複雑で目的のしれない処刑機械は、現実の僕のまわりに実際に存在したのだ。それは比喩とか寓話とかじゃない」
「僕の子ども時代からはずいぶんたくさんのものが奪いとられてきました。たくさんの大事なものです。僕は今のうちにいくらかでもそれを取りかえさなくてはならない」

主人公のカフカ少年には、居場所(戻る場所)がない。
だから、居場所(戻る場所)を探す旅に出る(家出をする)。
15歳になる誕生日に。

「人には戻ることのできる場所みたいなものが必要なんです。今ならまだ間に合うことがある」
「そこにいると、自分があとに引き返せないくらい損なわれていくような気がしたんです」
「自分があるべきではない姿に変えられてしまう、ということです」
「たとえいつかは損なわれてしまうにせよ、引き返すことのできる場所は必要です」
「引き返す価値のある場所のことです」

そして、どうなりたいのか。

「誰も助けてはくれない。少なくてもこれまでは誰も助けてはくれなかった。だから自分の力でやっていくしかなかった。そのためには強くなることが必要です。はぐれたカラスと同じです。だから僕は自分にカフカという名前をつけた。カフカというのはチェコ語でカラスのことです」
「僕が求めているのは、僕が求めている強さというのは、勝ったり負けたりする強さじゃないんです。外からの力をはねつけるための壁がほしいわけでもない。僕がほしいのは外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さです。不公平さや不運や悲しみや誤解や無理解―――そういうものごとに静かに耐えていくための強さです」
「君がやらなくちゃならないのは、たぶん君の中にある恐怖と怒りを乗り越えていくことだ」
「そこに明るい光を入れ、君の心の冷えた部分を溶かしていくことだ。それがほんとうにタフになるということなんだ。そうすることによってはじめて君は世界でいちばんタフな15歳の少年になれるんだ。僕の言うことはわかるよね?今からでもまだ遅くはない。今からならまだ君はほんとうに自分を取り戻すことができる。頭をつかって考えるんだ。どうすればいいか、考えるんだよ」

結果的に、カフカ少年はどうなったのか。

「目が覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている」
「だって君はほんものの世界でいちばんタフな15歳の少年なんだからね」

森の深奥部=入り口の石の中(集合的無意識)で佐伯さんと邂逅し、居場所(戻る場所)を手に入れる。
居場所は、佐伯さんのことを記憶し続ける場所。

「私があなたに求めていることはたったひとつ」
「あなたに私のことを覚えておいてほしいの。あなたさえ私のことを覚えていてくれれば、ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」


予言

「君が声を求めるとき、そこにあるのは深い沈黙だ。しかし君が沈黙を求めるとき、そこには絶えまのない予言の声がある」
「それは装置として君の中に埋めこまれている」
「その声がときとして、君の頭の中のどこかにかくされている秘密のスイッチのようなものを押す」
「ほんとうにありのままに言って、僕は自分という現実の入れものがぜんぜん好きじゃないんだ。生まれてからただの一度も好きになったことがない。むしろ僕はそれをずっと憎んできた。この僕の顔や、僕の両手や、僕の血や、僕の遺伝子や……とにかく僕が両親から譲り受けたものすべてが呪わしく思えるんだ。できたらこんなものからすっかり抜けだしてしまいたいと思う。家を出ていくみたいにね」

予言とは、遺伝子のことだろうか。
カフカ少年は、父からの予言に逆らうため四国に移動したが、
結局、夢の中を通ってナカタさんの身体に乗り移ることで、予言を実行してしまう。

「君は父なるものを殺し、母なるものを犯し、姉なるものを犯した。君は予言をひととおり実行した。君のつもりでは、それで父親が君にかけた呪いは終わってしまうはずだった。でもじっさいにはなにひとつとして終わっちゃいない。乗り越えられてもいない。その呪いはむしろ前よりも色濃く君の精神に焼きつけられている。君には今それがわかるはずだ。君の遺伝子は今でもその呪いに満たされている。それは君の吐く息となり、四方から吹く風に乗って、世界にばらまかれている。君の中の暗い混乱はかわらずそこにある。そうだね?君の抱いてきた恐怖も怒りも不安感も、ぜんぜん消え去ってはいない。それらはまだ君の中にあって、君の心をしつこく苛んでいる」

予言が実行されても、カフカ少年は救われない。
血の呪縛に囚われていたカフカ少年は、最終的に森の深奥部=入り口の石の中(集合的無意識)で佐伯さんの血を受け入れる。


夢≒想像力

この小説において、夢は何を意味するか。
ナカタさんにとって夢は、啓示を受ける場所のようだ。

「ナカタにはわかっておりますのは、誰かがそろそろそれをやらなくてはならないということです」

また、夢は、想像力とも繋がっている。

「誰がその夢の本来の持ち主であれ、その夢を君は共有したのだ。だからその夢の中でおこなわれたことに対して君は責任を負わなくてはならない」
「結局のところその夢は、君の魂の暗い通路を通って忍びこんできたものなのだから」
「夢の中から責任は始まる」
「君にはそれを統御することはできない。それは君の力を超えたものごとなんだ。君はただ受け入れるしかない。君は想像力を恐れる。そしてそれ以上に夢を恐れる。夢の中で開始されるはずの責任を恐れる。でも眠らないわけにはいかないし、眠れば夢はやってくる。目覚めているときの想像力はなんとか押しとどめられる。でも夢を押しとどめることはできない」
「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。イェーツが書いている。In dreams begin the responsibilities―――まさにそのとおり。逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない」

カフカ少年は、実際に手を下していないかもしれない。
しかし、カフカ少年は、その予言を「想像」してしまった。
もしくは、予言の「夢」を見てしまった。

「僕は夢をとおして父を殺したかもしれない。とくべつな夢の回路みたいなのをとおって、父を殺しにいったのかもしれない」

ナカタさんは、カフカ少年に身体を乗っ取られる。

「ナカタはまったくの空っぽです」
「空っぽということは、空き家と同じなのです。鍵のかかっていない空き家と同じなのです。入るつもりになれば、なんだって誰だって、自由にそこに入ってこられます。ナカタはそれがとても恐ろしいのです。たとえばナカタには空からものを降らせることができます。しかし次にナカタが何を空から降らせるのか、それはだいたいの場合ナカタにもさっぱりわかりません。もし次に空から落ちてくるものが一万本の包丁であったら、大きな爆弾であったら、あるいは毒ガスであったら、ナカタはいったいどうすればいいのでしょう。ナカタがみなさんに謝ってすむことではありません」
「ジョニー・ウォーカーさんはナカタの中に入ってきました。ナカタが望んだことではないことをナカタにさせました。ジョニー・ウォーカーさんはナカタを利用したのです。でもナカタにはそれに逆らうことができませんでした。ナカタには逆らえるだけの力がありませんでした。なぜならばナカタには中身というものがないからです」
「ナカタは一度ここから出ていって、また戻ってきたのです。日本が大きな戦争をしておりました頃のことです。そのときに何かの拍子で蓋があいて、ナカタはここから出ていきました。そしてまた何かの拍子に、ここに戻ってきました。そのせいでナカタは普通のナカタではなくなってしまいました。影も半分しかなくなってしまいました。そのかわり、今はうまくできませんが、猫さんと話をすることもできました。おそらくは空からものを降らせることもできました」

ナカタさんは、中身をどこかに置いてきてしまった。
中身というのは、自意識、自我(エゴ)のようなものであろうか。

「しかしベートーヴェンの時代にはエゴの発露が重要なこととして捉われていたのでしょう。そのような行為は以前の時代には、つまり絶対王政の時代には、不適当なこととして、社会的な逸脱として、厳しく抑圧されてきました。そんな抑制が19世紀に入って、ブルジョワジー階級が社会の実権を握るとともに、一斉に解き放たれました。多くの部分で自我がむき出しにされたわけです。自由と、自我の放散が同義であったわけです。芸術、とくに音楽がそのような変動の波を正面から受けました。ベートーヴェンのあとを追うようにして出てきた人々、ベルリオーズ、ワグナー、リスト、シューマン……、みんなそれぞれにエキセントリックな、波瀾万丈の生涯を送りました。そのようなエキセントリシティーこそが生き方のひとつの理想型であると、当時は考えられていました。とてもシンプルに。ロマン派の時代と呼ばれています。たしかに本人たちにとっては、そのような生き方はときにかなりきついものであったと思います」

「紫式部の生きていた時代にあっては、生き霊というのは怪奇現象であると同時に、すぐそこにあるごく自然な心の状態だった。そのふたつの種類の闇をべつべつに分けて考えることは、当時の人々にはたぶん不可能だっただろうね。しかし僕らの今いる世界はそうではなくなってしまった。外の世界の闇はすっかり消えてしまったけれど、心の闇はほとんどそのまま残っている。僕らが自我や意識と名づけているものは、氷山と同じように、その大部分を闇の領域に沈めている。そのような乖離が、ある場合には僕らの中に深い矛盾と混乱を生みだすことになる」

「たとえば光源氏の愛人であった六条御息所は、正妻の葵上に対する激しい嫉妬に苛まれ、悪霊となって彼女に取り憑いた。夜な夜な葵上の寝所を襲い、ついには取り殺してしまった。葵上は源氏の子をみごもっていて、そのニュースが六条御息所の憎しみのスイッチをオンにしたんだね。光源氏は僧侶を集め、祈禱をして悪霊を追い払おうとしたが、その怨念はあまりにも強く、それに対抗することはなにをもってしても不可能だった。しかしこの話のもっとも興味深い点は、六条御息所は自分が生き霊になっていることにまったく気がついていないというところにある。悪霊に苛まれて目を覚ますと、長い黒髪に覚えのない護摩の匂いが染みついているので、彼女はわけがわからず混乱する。それは葵上のための祈禱に使われている護摩の匂いだった。彼女は自分でも知らないあいだに、空間を超えて、深層意識のトンネルをくぐって、葵上の寝所に通っていたんだ。これは『源氏物語』の中ではもっとも不気味でスリリングな場面のひとつだ。六条御息所はのちに自分が知らぬうちになした所業を知り、自らの深い業を恐れ、髪を切り出家した。

「自我」が重要視されたり、「無意識」が発見されるより前は、
カフカ少年がナカタさんを乗っ取るというような考えは、ごく自然な心の状態だった。
だから、カフカ少年には、血が付いていたのだ。

「怪奇なる世界というのは、つまりは我々自身の心の闇のことだ。19世紀にフロイトやユングが出てきて、僕らの深層意識に分析の光をあてる以前には、そのふたつの闇の相関性は人々にとっていちいち考えるまでもない自明の事実であり、メタファーですらなかった。いや、もっとさかのぼれば、それは相関性ですらなかった。エジソンが電灯を発明するまでは、世界の大部分は文字通り深い漆黒の闇に包まれていた。そしてその祖となる物理的な闇と、内なる魂の闇は境界線なくひとつに混じり合い、まさに直結していたんだ」

大島さんは、佐伯さんの幼馴染の恋人を殺したのは、「想像力を欠いた人々」だと言う。

「僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ」
「結局のところ、佐伯さんの幼なじみの恋人を殺してしまったのも、そういった連中なんだ。想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪された理想、硬直したシステム。僕にとってほんとうに怖いのはそういうものだ。僕はそういうものを心から恐れ憎む。なにが正しいか正しくないか―――もちろんそれもとても重要な問題だ。しかしそのような個別的な判断の過ちは、多くの場合、あとになって訂正できなくはない。過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。しかし想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じなんだ。宿主を変え、かたちを変えてどこまでもつづく。そこには救いはない」

カフカ少年は、自分のことを「うつろな人間」だと自覚している。

「僕は森の中核へと足を踏み入れていく。僕はうつろな人間なのだ。僕は実体を食い破っていく空白なんだ。だからこそもう、そこには恐れなくちゃならないものはないんだ。なにひとつ。そして僕は森の中核に足を踏み入れていく」


「父は自分のまわりにいる人間をすべて汚して、損なっていた」
「でもどっちにしても父はそういう意味では、とくべつななにかと結びついていたんじゃないかと思うんだ」
「そのなにかはおそらく、善とか悪とかという峻別を超えたものなんだろう。力の源泉と言えばいいのかもしれない」

「力の源泉」は、15歳を迎えたカフカ少年にも芽生えている。
この力は、誰にでも芽生える「他人を損なうことができる暴力性」のようなものか。

「僕にはそうなってしまうときがあるんだ」
「そんなつもりはないんだ。でもときどき自分の中にもうひとりべつの誰かがいるみたいな感じになる。そして気がついたときには、僕は誰かを傷つけてしまっている」
「君は学校で一種の問題児だったと警官は言っていたよ。同級生とのあいだに暴力的な事件を起こして、三度ばかり停学処分をくらっているって」
「僕がまず最初に感じたのは、ほかのどんなものにも似ていない。激しい力を持ったなにかが自分の心の中に生まれて、そこに根を下ろし、しっかりと育ちつつあるという実感だった。肋骨の檻の中に閉じこめられた熱い心臓が、僕の意思とは無関係に収縮し、拡大する。拡大し、収縮する」
「僕の中にあるくぼみのような場所で、なにかが殻から抜けだそうとしている。いつのまにか僕には、自分の内側に向けられた一対の目がそなわっている。だからその光景が観察できる。そのなにかが良いものなのか悪いものなのか、僕にはまだわかっていない。しかしどっちにしても僕には、そのなにかの動きを後押しすることもとめることもできない。それはまだ顔を持たないぬるぬるとしたものだ。それはやがて殻を出て、あるべき顔を持ち、身体からゼリー状の衣を落とすことだろう。そうすればその正体を僕は知ることになる。でも今のところ、まだそれはかたちがさだまらないただのしるしみたいなものに過ぎない。それは手にならない手をのばし、殻のいちばん柔らかな部分をうち破ろうとしている。僕はその胎動を目にする。」

やがて、その「力」は、正体を現す。

「君の中でそのなにかは、今では姿をはっきりと現している。それは黒い影としてそこに身を休めている。殻はもうどこにも見えない。殻は完全に破られ、捨て去られている。君の両手にはどろりとしたものがついている。どうやら人の血のようだ。君は手を目の前にかざす。しかしなにかを見るには、明かりの量が足りない。内側も外側もあまりにも暗すぎる」

ジョニー・ウォーカーは、力の源泉、父親の中の「何か」であろうか。

「私が猫を殺すのは、その魂を集めるためだ。その集めた猫の魂を使ってとくべつな笛を作るんだ。そしてその笛を吹いて、もっと大きな魂を集める。そのもっと大きな魂を集めて、もっと大きい笛を作る。最後にはおそらく宇宙的に大きな笛ができあがるはずだ。しかしまず最初は猫だ。猫の魂を集めなくてはならない。それが出発点だ。かくかように、ものごとにはすべからく順番というものがある」

「実を言うとね、私はこうやって生きていることに疲れたんだよ、ナカタさん。私はずいぶん長く生きてきた。年齢を忘れるくらい長く生きてきた。もうこれ以上生きていたいとは思わない。猫を殺すのにもいささか飽きた。しかし生きている限り、猫を殺さないわけにはいかない。その魂を集めないわけにはいかない。順番をきちんと守って1から10に進み、10まで行ったらまた1に戻る。その果てしない繰り返しだ。そりゃ飽きるし、疲れる。こんなことをしたって、誰に喜ばれるわけでもない。尊敬されるわけでもない。でもそれは決まりだから、自分から『はい、やめました』とやめちまうわけにもいかないんだよ。そして私には自分を殺すことだってできやしない。それもまた決まりなんだ。自殺することができない。そこには決まりがいっぱいある。もし死にたければ、誰かに頼んで殺してもらうしかない。だから私は君に殺してほしいんだ」

やはり、人智を超えた「自然現象」のようだ。

「私は猫たちの魂を集めて笛をつくった。生きたまま切り裂かれたものたちの魂が集まってこの笛をつくっている。切り裂かれた猫たちには気の毒だとは思わないでもないが、私としちゃそうしないわけにはいかなかった。こいつはね、善とか悪とか、情とか憎しみとか、そういう世俗の基準を超えたところにある笛なんだ。それをこしらえるのが長いあいだ私の天職だった。私はその天職をそれなりにうまくこなし、ひととおりの役目をまっとうした。誰に恥じることもない人生だ。妻をめとり、子どもをつくり、じゅうぶんな数の笛をこしらえた。だからこれ以上笛はつくらない。君と私とのあいだだけの、ここだけの話しだけどね、私はここに集めた笛を使って、もっと大きな笛をひとつこしらえようと思っているんだ。もっと大きくて、もっと強力な笛をね。それだけでひとつのシステムになってしまうような特大級の笛だ。そして私はその笛をこしらえるための場所に今から行こうとしている。その笛が果たして結果的に善となるか悪となるか、そいつを決定するのは私じゃない。もちろん君でもない。私がいつどこの場所にいるかによって、それは違ってくるわけだ。そういう意味では私は偏見のない人間だ。歴史や気象と同じで、偏見というものがないんだよ。偏見がないからこそ、私はひとつのシステムになることができる」

特大級の笛を作らせることは、どうやら危険なことのようだ。
きっとイワシとアジを降らせるより、大きなことができるに違いない。
ナカタさんから「資格」を引き継いだホシノさんは、ジョニー・ウォーカーの魂が入り込まないように、入り口の石を閉めなければならない。
なぜなら、その入り口は、すべての人の夢(集合的無意識)と繋がっているから。

「なあ、君はリンボというものを知っているかい?リンボというのは、生と死の世界のあいだいに横たわる中間地点だ。うすぼんやりとしたもの淋しいところだ。それがつまり、私が今いるところだ。今のところはこの森だ。私は死んだ。私は私の意志によって進んで死んだ。しかし私はまだ次の世界に入っていない。つまり私は移行する魂だ。移行する魂にかたちというものはない。私はただこうして仮のかたちをとっているだけだ。だから君には今の私を傷つけることはできないんだ。わかるかい?たとえ私が激しく血を流しても、それはほんとうの血ではない。たとえ私がはげしく苦しんでも、それはほんとうの苦しみではない。今の私を抹殺することができるのは、それだけの資格をもったものだけだ。残念ながら君にはその資格がない。君はなんといってもだたの未成熟な、寸足らずの幻想にすぎないわけだからね。どのような強固な偏見をもってしても、君には私を抹殺することはできない」

ナカタさんを通して「力」を行使したカフカ少年に対し、
カラスと呼ばれる少年も忠告する。

「戦いは、戦い自体の中で成長していく。それは暴力によって流された血をすすり、暴力によって傷ついた肉をかじって育っていくんだ。戦いというのは一種の完全生物なんだ。君はそのことを知らなくちゃならない」
「いいかい、戦いを終わらせるための戦いというようなものはどこにもないんだよ」

「力」では、「予言」を乗り越えることはできない。


メタファー

なぜ「予言」が存在するのか。

「場合によっては、救いがないということもある。しかしながらアイロニーが人を深め、大きくする。それがより高い次元の救いへの入り口になる。そこに普遍的な希望を見いだすこともできる。だからこそギリシャ悲劇は今でも多くの人々に読まれ、芸術のひとつの元型となっているんだ。また繰りかえすことになるけれど、世界の万物はメタファーだ。誰もが実際に父親を殺し、母親と交わるわけではない。そうだね?つまり僕らはメタファーという装置をとおしてアイロニーを受け入れる。そして自らを深め広げる」

自らを深め広げるために、「メタファー」という装置がある。

「迷宮という概念を最初につくりだしたのは、今わかっているかぎりでは、古代メソポタミアの人々だ。彼らは動物の腸を―――あるいはおそらく時には人間の腸を―――引きずりだして、そのかたちで運命を占った。そしてその複雑なかたちを賞賛した。だから迷宮のかたちの基本は腸なんだ。つまり迷宮というものの原理は君自身の内側にある。そしてそれは君の外側にある迷宮性と呼応している」
「そうだ。相互メタファー。君の外にあるものは、君の内にあるものの投影であり、君の内にあるものは、君の外にあるものの投影だ。だからしばしば君は、君の外にある迷宮に足を踏み入れることによって、君自身の内にセットされた迷宮に足を踏み入れることになる。それは多くの場合とても危険なことだ」

だから、カフカ少年は、森の深奥部=入り口の石の中(集合的無意識)へと入っていく。
それは、自分自身の内側へと入っていくことに他ならない。

「この僕らの住んでいる世界には、いつもとなり合わせに別の世界がある。君はある程度までそこに足を踏み入れることができる。そこから無事に戻ってくることもできる。注意さえすればね。でもある地点をこえてしまうと、そこから二度と出てこられなくなる。帰り道がわからなくなってしまう。迷宮だ」
「なにを考えたところで、僕が行き着くところは結局、迷宮のつきあたりでしかないのだ。でも僕の中身とはいったいなんだろう?それは空白と対立するものなんだろうか?」

佐伯さんは、カフカ少年の本当の母親だったのか。

「あなたは僕のお母さんなんですか?」
「その答えはあなたにはもうわかっているはずよ」
そう、僕にはその答えはわかっている。でも僕にも彼女にも、それを言葉にすることはできない。言葉にすれば、その答えは意味を失ってしまうことになる。

ゲーテが言っているように、世界の万物がメタファーである。

「かすかに風が吹いている。風は森を抜け、僕のまわりのあちこちで木の葉をふるわせる。そのさらさらという匿名的な音は、僕の心の肌に風紋を残していく。僕は樹木の幹に手をついて目を閉じる。その風紋はなにかの暗号のように見えなくもない。でも僕にはまだその意味を読みとることはできない。それは僕のまったく知らない外国語のように見える。僕はあきらめて目を開け、そこにある新しい世界をあらためて眺める。坂のなかばで立ち止まって、兵隊たちといっしょにその場所をじっと眺めていると、僕の中にある風紋がさらに移ろっていくのが感じられる。それにしたがって暗号が組み替えられ、メタファーが転換していく。僕が僕自身を遠く離れて、漂っていくような感覚がある。僕は蝶になって世界の周縁をひらひらと飛んでいる。周縁の外側には、空白と実体がぴったりとひとつにかさなりあった空間がある。過去と未来が切れ目のない無限のループをつくっている。そこには誰にも読まれたことのない記号が、誰にも聞かれたことのない和音がさまよっている」

森の深奥部=入り口の石の中(集合的無意識)で「メタファー」が組み替えられる。
こうして、カフカ少年は「予言」を克服する。


入り口の石

カフカ少年、佐伯さん、ナカタさんは、
入り口の石から中(集合的無意識)に入ることができた人たちである。

「この部屋を訪れる少女はおそらく入り口の石を探しあてることができたのだ、と僕は思う。彼女は15歳のままべつの世界にとどまり、夜になるとそこからこの部屋にやってくる」
「私も15歳のころは、どこかべつの世界に行ってしまいたいといつも思っていた」
「誰の手も届かないところに。時の流れのないところに」
「でも15歳のときには、そういう場所が世界のどこかにきっとあるように私には思えたの。そういうべつの世界に入るための入り口を、どこかで見つけることができるんじゃないかって」
「ずっと昔に私はあるところでそれに巡り合ったのです。あるいは知らないままでいた方がよかったのかもしれません。でもそれは私には選びようのないことだったのです」
「そのような様々なことは、私が遠い昔にあの入り口の石を開けてしまったから起こったことなのですか?それがまだ尾を引いて、今でもあちこちに歪みのようなものを作り出しているのですか?」
「私はあの二つのコードを、とても遠くにある古い部屋の中で見つけたの。そのときにはその部屋のドアは開いていたの」
「とてもとても遠くにある部屋」
「私はこのすぐ近くに生まれて、この家に暮らしていた一人の男の子を深く愛しました。これ以上深くは愛せないほど愛しました。彼も私のことを同じように愛してくれました。私たちは完全な円の中に生きていました。すべてはその円の内側で完結していました。しかしもちろんそんなことはいつまでも続きません。私たちは大人になり、時代は移ろうとしていました。円はあちこちでほころびて、外のものが楽園の内側に入り込み、内側のものが外に出ていこうとしていました。当然のことです。でもそのときの私には、それが当然のことだとはどうしても思えませんでした。だから私はそのような侵入や流出を防ぐために入り口の石を開きました。どうやってそんなことができたのか。今となってはよく思い出せません。でも彼を失わないために、外なるものに私たちの世界を損なわせないために、何があろうと石を開かなくてはならないと私は心を決めたのです。それが何を意味するのか、そのときの私には理解できていませんでした。そして言うまでもなく、私は報いを受けました」

佐伯さんは15歳の彼女をその場に置いてきてしまった。
その代り、大ヒットする「海辺のカフカ」のコードを手に入れた。

「ナカタは出入りをした人間だからです」
「それが、ナカタもよく覚えておらんのです。どこかずっと遠いところにいて、べつのことをしていたような気がします。しかし頭がふわふわしまして、何を思い出すこともできません。それからこちらに戻って参りまして、頭が悪くなりまして、読み書きもまったくできなくなりました」
「ナカタはそれを前の戦争のときになくしました。どうしてそんなことが起こったのか、なぜそれがナカタでなくてはならなかったのか、ナカタにはよくわかりません。いずれにいたしましても、それからずいぶん長い時間がたちました。私たちはそろそろここを去らなくてはなりません」
「ナカタは何日か前にそれをもう一度開けました。雷さんの鳴っておりました午後です。たくさんの雷さんが街に落ちました」
「ナカタがそれを開けましたのは、それを開けなくてはならなかったからです」
「ナカタには半分しか影がありません。サエキさんと同じようにです」
「ナカタは普通のナカタになりたいと思います」
「ナカタはあと半分の影をとり戻さなくてはならないのです」
「ナカタははっきりと普通のナカタに戻りたいと願うのです。自分の考えと自分の意味を持ったナカタになりたいのです」
「しかし普通のナカタに戻ります前に、ナカタはいろんなことを片づけなくてはなりません」
「ですから自分の力で解決するしかありません。そのような問題を片づけて、それからできることならナカタは普通のナカタになろうと思います」「ナカタの役目はただ、今ここにあります現在、ものごとをあるべきかたちにもどすことであります」

ナカタさんは、そこにほとんど中身を置いてきてしまった。
その代り、ナカタさんは空からものを降らしたり、猫と会話する能力を手に入れた。

「そこでは時間は心の必要に応じて引き延ばされたり、淀んだりしている」
「ものごとがもともとの役割を果たすように管理することだ。私の役目は世界と世界とのあいだの相関関係の管理だ。ものごとの順番をきちんと揃えることだ。原因のあとに結果が来るようにする。意味と意味が混じり合わないようにする。現在の前に過去が来るようにする。現在のあとに未来が来るようにする。まあ多少の前後はあってもかまわない。世の中に完璧なものなんてありゃしないんだ」

やはり、入り口の石の中(集合的無意識)の中では、「メタファー」の組み替えが行われているということではないか。
「夢」と「現実」がこれ以上、こんがらがらないようにしなければならない。


様々な「なぜ」を解読してみた結果、

物語を読むという行為(想像力)を通して、様々なことを「疑似体験(メタファー)」することで、新しい自分を獲得(損なわれた空白を満た)し、「想像力の欠如=暴力(恐怖・怒り)」を乗り越えよう」

と読んだ。
ただこれは、反証のない仮説である。

「まず一般論―――あらゆる仮説には反証というものが必要とされる」
「仮説に対する反証のないところに、科学の発展はない」


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