子供の「なんで?」は賢者の問い
好奇心旺盛な小学生の息子が、ニュースを見ながら「なんで?」とよく質問してくる。
子供でもわかるように噛み砕いて説明しようとするが、確かに私自身「何でだろう」と言葉をつまらせてしまうことも多い。
特に紛争や戦争や、人と人との確執に関するニュースだ。
歴史的な経緯を説明することはできる。
ただそれは非武装の子供やお年寄りが、なす術なく殺された理由を説明していない。納得できない。
そのような人間の理不尽を、「歴史的な経緯」なるもので説明完了した気になってしまう大人の私に対して、息子の「なんで?」と言う無邪気な質問は、「それでなぜ納得しているのか」と問いかけているようだ。
大人はとかく人と人の間に線を引きたがる。
複雑な世界を一応理解した気にさせてくれるからだろうか。
息子にこの架空の線の存在を説明するとき、「なんで我々はこんな生き物なんだろう。この子を大人達はなんて世界に連れていこうとしているのだろう」と悲しいような、後ろめたいような気持ちになるときがある。
大人の方が物知りなのは確かだろう。でも子供の方が真理に近い存在な気がする。
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