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ノイズキャンセラー 第十七章

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第十七章

 新山が殺した女性は『村田琴美』という名前だった。芹沢の同僚だったようだ。ワイドショーや週刊誌の記事を新山はさりげなくチェックしていた。
 警察は芹沢の行方を追っているらしい。
 もし仮に、芹沢が駅の防犯カメラに映っていたとして、旅行先が舞鶴だったことはなかなか特定できないだろう。たとえ舞鶴だとわかっても、新山の家に来ることが目的だったとは誰も思わない。それだけ、芹沢の取った行動が常識を外れていた。
 芹沢の衣服と持ち物を処分したが、携帯電話は持っていなかった。上着のポケットに入っていたのは、財布とキーケースだけだった。現金は二十万近くあった。ATMを使えないから、多めに持っていたのだと推測した。財布に入っていたカードも免許証も、細かく切り刻んでから捨てた。
 勿体ないとは思ったが現金も同じようにして、外から見えないよう新聞紙に何重にもくるんでから捨てた。
 芹沢は普段通りにと言っていたが、新山は遺体の処分を最優先に行動していた。
 ゴミを作るには、自炊をするよりファストフードの持ち帰りの方が効果的だと気づいた。とにかくハンバーガーを食べ続けた。栄養が偏ろうが飽きようが構っていられなかった。
 正月の前後で両親が帰ってきたけれど、とくに怪しまれずにすんだ。
 事件以降、新山は次々成果を上げていた。
 生ゴミの回収時間に家にいるために「見込み客を発見しにいく」と、営業所を早めに出ていた。ネコに袋を破られてはたまらないと、ゴミ収集車の音が聞こえてからゴミ捨て場に出していた。
 ゴミを出した後は、本気で見込み客を探した。
 今まで勝手にタブーにしていた銀行時代の担当先に顔を出し始めた。
 以前、牧野から聞いた成功者の話の中に「人は、成功している募集人から保険に入りたがる」というものがあった。新山は、久しぶりに会った元の客に、嘘にならない範囲で、契約者からもらったお礼の言葉や、相談されたことを、雑談として楽しげに話した。
「餅は餅屋というのは、本当だと、銀行から保険会社に移って実感しました。経営者保険など、専門の商品があるんです。銀行にいたころは、個人用の商品を積み立てのように提案していましたが、保険会社だと、本当に経営者に万が一のことがあったとき、会社を守るための保障を提案できるんです。会社って、社長の人脈や人望で上手く回っている部分が少なからずあるじゃないですか」
 運よく社長に会えた時にはそう言った。それぞれに出入りしている保険会社があり、そう簡単ではない。それでも『数うちゃ当たる』のだ。
「数字が自分を癒してくれる」
 そう言った成功者もいた。
「数字があがらず苦しいと、無理な勧誘に走ってしまう人がいる。人の役に立ちたいとこの業界に入ってきた人は必ず悩む。続けていくために、契約優先になってしまう現実に苦しむ。本当に良い提案をしたかったら、いったん、入社時に抱いた志を捨てろ。まず数字をあげろ。とにかく、数字を優先させろ。数字があがれば、心に余裕ができる。その時初めて、人の役に立つと誇れる提案だけで、成果を上げていけるようになる」
 新山は、その話を聞いたときに、あまり共感できなかった。
 ただ、今は、言いたいことはわかる気がしている。成果があがり始めると、不思議なくらい次の成果を呼び込んだ。心の余裕、自信が、相手に伝わっているのだろう。
 一月に、新山は営業所で一番成績が良かった。
「新山さん、覚悟ができたようですね」
 牧野は笑いながら、新山に言った。
 新山はたしかに『覚悟』していた。
 絶対に、完全犯罪を成立させる。
 自分と芹沢の犯した罪を隠し通すのだ。念には念を入れる。芹沢が教えてくれたことだ。
 とにかく、金が欲しい。
 新山は今、切実にそう思っていた。
 家をリフォームしたい。浴室だけでも、一刻も早く。
 水回りの工事にはかなりの費用が必要だった。
 
 新山の努力の甲斐あり芹沢の遺体は順調に減って後は頭部だけになった。
 原型をとどめたまま冷凍してしまった頭部を、解凍せずに海に捨てることにした。ゴミ収集車の中で、袋は破られ中でかき混ぜられる。肉片ならそれとわからなくても、頭部そのままでは、ゴミを放り込んでいく作業員に、見つけられる可能性がある。
 昔、何度か行った筏へ釣りをしにいく。
 新山は、大きめのクーラーバッグを用意した。
 芹沢の頭部と解体に使った道具をいれ、それらが隠れるように、あらかじめ用意しておいた蛹と練り餌、そして、氷を入れた。
 渡船屋には、一番遠くの筏を貸し切りでと予約してある。
 渡船屋までは車で移動した。トランクに芹沢の頭部を積んでいるので、いつも以上に慎重に運転した。
 後、頭だけだった。
 ただ、その頭が一目で誰かわかる状態で残っている。
 芹沢の顔写真がインターネット上に晒されているのを見かけた。さすがに、週刊誌には、目元を隠した状態で載っていた。
 芹沢は写真写りが悪かった。たしかに普通という言葉が似合う顔立ちだったが、写真だとひどく冴えない印象だった。
 週刊誌に、新山が殺した女が、同僚の女性を監禁していたとあった。監禁されていた女性の名前は今のところ、漏れていない。もしかしたら、あの日の担当者かもしれないと勝手に思っていた。いかにも監禁されそうな、可憐な声をしていた。
 港に着いた。天気が悪いわけでもないのに、海が暗く見える。風も冷たい。新山は酷く緊張しながら、波に合わせて揺れている古びた船を見つめていた。
 突然、背後から肩をたかかれ、新山は身構えながら振り返った。後ろにいた船頭が驚いた顔をしている。
「すみません。さっきからお呼びしてるのに、気づいてもらえなかったんで」
 波の音と、船のエンジン音のせいで、船頭から声をかけられたことに気づけなかったらしい。
「いやあ、久しぶりの釣りが楽しみで、集中していました」
 新山は、当たり障りのない言い訳をした。
 筏まで運んでもらう渡船に、大きなクーラーボックスをかついで乗り込む。
「はりきってますね」と船頭に言われた。
 新山は「大は小を兼ねますからね」と返した。
 この寒さの中、わざわざ筏で釣りをするのはよほどの釣り好きだけだ。人が少ない方が、新山には都合が良かった。海上は思っていた以上に寒かった。新山は完全防備でのぞんだつもりでいたが、まだ足りなかった。
 波は、比較的穏やかだ。それでも小さな船はよく揺れた。新山は、船舶独特の塗料の臭いが嫌いだった。
 筏についた。渡船が新山を一人残して港に帰って行く。小さくなっていく船をじっと見送った。
 渡船は、16時30分に迎えに来てくれる。それまでに八時間ほど時間があるが、頭部を捨てるのは帰る直前と決めている。たまたま他の筏の周りに流れ着いて、釣りあげられたらまずいからだ。可能性が低いことはわかっている。ただ、可能性がたとえ低くても、起こってしまった際に生じる損害が大きい場合は、避けた方が良い。
 この日のために、新山はチヌ釣り用の竿を買った。小さくて細い竿だ。
 新山は、釣りをするふりをしておけば良かった。釣れなくても構わなかったが、一応は餌をつけた。針に刺した蛹を練り餌の団子で包む。海底まで保つように軽く握った。柄の長い小さな杓に載せて、水面に静かに落とし込んだ。団子の重みで沈んでいく。底に着いて団子がうまく割れたようだ。糸が緩んだ。
 いつもなら、まったく魚がかからないことに苛立ちはじめる頃だが、今日は時間の流れが気にならなかった。海面を眺めながら、新山はいろいろなことを考えた。とりとめなく、思考の流れに任せていた。
 世間はそれぞれの思惑が交錯してできている。
 便利に暮らしたい。贅沢をしたい。人より得をしたい。そうした欲は結局、他人を貶め、出し抜き、騙す行為に人々を走らせる。
 人の欲を引き出し、付け入り、焚きつける。経済は、そうすることで活性化する。
 この世には、悪意が溢れているのに、大概の人が「自分だけは大丈夫」だと、思っている。保険に入らない理由もそれだ。
 なんと浅はかなのだろう。
 事故に遭った人も病気にかかった人も、自分がそうなるまでは、同じように思ってきたのだ。
『自分だけは、大丈夫だ』と。
 災難に見舞われれば、運が悪かったと片付けようとする。
 不運はウイルスのようなものだ。空気中を漂い、知らないうちに衣服に付着し、粘膜から侵入し、体を蝕んでいく。
 誰から、移されるかわからない。
 誰に移すかもわからない。
 中国で、新しいウイルスが流行し、死者が出ているようだ。先月の半ばに日本にも入ってきた。そのうち、流行るかもしれない。対岸の火事は、対岸で終わってはくれない。大概飛び火するものだ。
 自分がコールセンターへぶつけた悪意は、思いもしない形で返ってきた。
 あの日、銀行が、自分の契約に横やりをいれなければ、芹沢も、村田琴美も生きていた。
 もっと遡るなら、榊原夜斗が通り魔事件を起こさなければ、今、ここで新山が釣りをすることもなかった。
 八時間筏にいても、釣果はない。チヌが回ってきていないのだろう。エサは蛹しか用意していないので、チヌがいないなら、退屈するしかない。新山の目的は釣りではないのでかまわなかった。
 そろそろ良い頃だと、新山は思った。
 これから、芹沢と自分を繋いでしまう証拠を完全に消し去る。
 何も難しくはなかった。
 クーラーボックスから、氷と捨てたいものを、一緒に海へこぼすだけだ。
 クーラーボックスの蓋を開け、捨てないものを外に出した。氷をかき分け、芹沢の顔を見た。凍ったままの顔は、かつてそこに表情があったとは思えないほど作り物じみていた。
 自分を殺そうとし運命を狂わせた相手なのに、なぜか、同志との別れのように感じた。
 新山は、蓋を支えながら、クーラーボックスを海の方へと傾けた。氷がゴトゴトと音を立てた。筏の端からほんの少しはみ出すようにして、ほぼ、逆さにして中身をこぼす。海の表面が跳ね上がった。新山は海を覗き込んだ。ほんの少しの間だけ、沈んでいく芹沢の頭部が見えていた。
 新山はやり遂げた。
 水平線を眺めながら、新山は泣いていた。涙を拭おうとして、自分の手が放つ練り餌の臭いに気づいてやめた。
 渡船が来るまでにはまだ時間がある。それまでに涙をきっと、海風が乾かしてくれると思った。 

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