見出し画像

あ る 地 名 の 風 景

鎌倉の滑川   kamakura-3

鎌倉の谷戸や山を歩いていると、
今どこにいるのか分からなくなることがあります。

鬱蒼とした雑木林が続き、いつの間にか山のてっぺんだったり、
いきなり謎の平坦な土地に出くわし、名もなき祠を横目で見、
忽然と現れる大きな屋敷・・・

それも古い土地のなせる業かもしれません。

地名研究では“カマ”というと
釜のような窪みや崖の岩穴などで、
“クラ”は岩壁、岩山などだといいます。

岩穴で思い出すのは、鎌倉の山中にある“やぐら”です。

これは鎌倉時代中頃から作られた
お墓のような穴だということです。

この穴と“カマ”を結び付けたいところですが、
“カマクラ”という地名は奈良時代からあるというのが定説。
つじつまがあわなくなります。

奈良時代より前、どこかの岩崖に大きな穴でもあったのでしょうか?

しかし、このあたりに土の崖はあっても
地域に知れ渡るほどの岩崖など聞いたことがありません。

もっとも私が知らないだけかも(笑)

では最後に私の説!

どうしても山の中の岩崖や洞窟のイメージが強いのですが、
私は海岸にそんな場所があったのでは・・
と、チラッと思っています。

釜のように窪んだ岩場があり、そこを地元で“カマクラ”と呼んでいた。

地元とは言っても、奈良時代より前のこのあたりは、
人家もまばらな僻地だったはず。

そんな時代、地元の暮らしは漁業で成り立ち、
生活の糧は山より海。

となると当然のことながら
日常の意識は海岸に向いていた・・
という理屈です。

既存の説より面白いと思いませんか?

鎌倉でこんな説は今まで聞いたことがない!
そんな自負だけはあるのですが(笑)

口絵は小町あたりの滑川(なめりがわ)です。
河口は幾分涼しいのですが、秋風にはまだ早いようです。

(神奈川県鎌倉市)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?