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譲歩

ハヤミもミヤジもアカリ氏も、これは3人唯一グループラインに引き込んだ連中、女だが、聖母なのか?わたしは甘えている。なんでこんなに最悪な喚いてるだけのグループラインをしているのに、脱会しないのか。嫌で嫌でたまらんだろう。おれだったら脱会する。「君とは付きおうてられませんわ」と。「うるさい」「やかましい」「おまえしか喋ってないのにまだ、連投するか。どんなメンタルしとんねん」

逆に言えばわたしの横暴は、そういう方たちにしか行われない。甘えているのだ。だれかれかまわずやるわけがない。そんなの社会不適合者だ。おれは嫌いだ、そういうやつ。T2見よ。

女性には母性というものがあって、おれやモリカワやなんやを、子供だと思って温かい目で見ているのだろうか。いやそうだ。絶対そうだ。こちらをご覧ください。わたしの母親の昨晩の錯乱。


これ、母性である。
わたしには思いもつかない感覚だ。男と盛り上がってキスはよくするが、「この子を産んだら」という意識はない。子を産むという女性の特性上、どんなんでも男をどこかしら子とおもう気持ちが備わっているのであろう。我々男子にはおよびもつかない領域だ。我々は猿だ。常にキッとした目で相手を伺って罵倒しようと図っている。どうか、わたしたちを自分の産んだ子と思って愚劣な言い合いも何も、赦してください。

平成が終わります。なんとなくわたしは緑色な感じでした。緑、と言ってもそんな緑ではなく、薄い淡い緑色です。そんなものを頼まれた仕事の中で表現しました(ひそかにわたしの敬愛する友人の名前を盛り込みました)。

たかが年号が変わるといってもやはりなんだか一つの時代が終わる感じがいたします。実際、わたしはこの「平成」という年号をよく思っておりませんでした。よく「昭和」の方々に舐められる。ゆとりだなんだ、因縁をつけられる。しかしここ半年くらいの、オウムが14人?くらい一斉に処刑されたり、電気グルーヴが捕まったり、内田裕也が死んだり、変わってエレファントカシマシが紅白に出たり、爆笑問題が30周年ライヴで久々にコントをやったり...なんというか盛りだくさんで、ああいい時代じゃなかったかいと老人のようにいま公園で酒を飲みながら思うのです。やっぱりなんとなく「みどりいろ」っぽいなあと思うのです。インターネットもできましたし。

みどりいろは生の色です。新緑、春、ニルヴァーナの色です。わたしは川沿いに生まれ育ったものですから、やっぱりその澱んだみどりいろが好きです。Something In The Wayです。「魚には感情がないから」



わたしは子供の名前に「翠」とつけました。まだ産まれる予定も、産む相手もないのに名前をつけたのです。その子供の姓名判断をしたら、「凶」とでました。なんとまあできたことでしょう。しかたがないので、こんど8mmフィルムで映画を撮る時にそのタイトルをつけました。「翠」。わたしはナメクジです。雌雄同体です。だからわたしが射精して、わたしが受精しますので、どうかいい子供が生まれて欲しいと、健康に育って欲しいと、そう願っての思いです。

わたしが女だったなら、カートコバーンを、見ても、「我が子」のように見れるのでしょうか。そんな目線で生きてみたい。女性には憧れるところが多すぎる。生理痛なんて二倍くらいでいいから生まれ変わったら女にさせてください。

♪カートがギターの音でなくてマイク掴む貴重なライヴ






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