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選挙って楽しい。

何年かに一度、日本国中で同じことを考える。

期日までに、心を決めて、投票に行く。

自分が投票した人、政党はどうなったのか、そわそわする。

選挙って楽しい。


今、19時半だから、あと30分後には選挙特番が始まって、開票速報が放送されていくだろう。(しかし、私はずっと前にテレビはやめたから見れない)


私は、周囲の人に「選挙だね!」「選挙には行かなきゃね!」「選挙行った?」と選挙があるたびに言い続けてきた。


やはり、有権者であるならば、選挙には行くべきだと思っている。


一個人が自分の住んでいる国家に対して、意見を表明できる一番の機会が、選挙なのだ。

私にとっては、《政治に参加する》というよりは、《今の私の気持ちを伝える》といった部分の方が大きいかもしれない。


現代社会は極めて生きづらい。

資本主義でネオリベな現代社会だから、個人の生きづらさは、より「自己責任論」に変換させられる。

「生きづらいのを社会のせいにするな」

「政治のせいにするな」

「じゃぁ、自分は何か努力したのか?」

こんな具合に。


これで本当にいいのだろうか?

なんで生きづらいって言っただけで、こんなにも自分を責めなければいけないのか?と思いはしないか?


現代社会における生きづらさの要因はいろんなことにある。私は、その要因のひとつに現政権・今の政治家たちによる国家の政治が挙げられると思う。


選挙に行って、投票することで、この生きづらさをなんとか表明できたらいい。

あわよくば、何か変革が起きて、少しでも明るい未来や希望の持てる将来になればいい。


でも、今の生きづらさの解消して、「明るい未来」「希望の持てる将来」に進むためには、まずは選挙に行って意志を表明することが必要なのだ。


だから、選挙には行くべきなのだ。


加えて、選挙は参加しないと、楽しくない。

これは高校の時の生徒会長選挙で感じたことだ。

生徒会に興味も関心もなかった中学生の頃は、生徒会の選挙なんてものはシナリオが決まっていて、先生から声をかけられた「優等生」がよくわからないが選ばれて、生徒である私達はただ拍手をするために体育館に集められて、順序よくことを終わらせる、とってもつまらないものだった。


しかし、高校生になり割と自由度の高い高校に進学したため、「生徒会長選挙」に活気があったのだ。立候補者は2人以上いる。しかも、先生から声をかけられたようなつまらない人が渋々立候補するのではなく、学校内のいわば「ちょっと人気な人」「人望がある人」「いい意味で変な人」が演説をして選挙戦を繰り広げていた。

そうなると、生徒会長選は楽しくなってくる。演説も聞きたくなる。

誰に投票するべきか考えるし、誰かを選ばなければいけなくなる。

投票すると、次は、開票が待ち遠しいのだ。


このように、選挙は自分自身が積極的に参加することでだんだん楽しくなってくるものなのだ。


国会議員の選挙も同じことがいえる。

自分で考え、自分の意志を表明する、そのことによって選挙は楽しくなる。

生きづらい現代社会を少しでも明るいものにするためには、選挙に行かなければいけない。せっかく、有権者なのだから、選挙に参加して、選挙を楽しむことが大事なのだと私は思う。




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