あの日見た夢と昨日の出来事。
インドにいるときに、ホストファミリーの風邪を全身で受け止めたために私も一緒に風邪をひいた。ゆっくり休むようにと言われ、手持ちの風邪薬とスパイスの効いた白湯を飲んでしばらく寝ていた。
私は同僚と歩いていた。同僚は深刻そうで、でも晴れやかそうにも見える面持ちだった。同僚は同年代で容姿端麗で頭のキレるスマートな女性研究者らしい。彼女は私に告げた。
「もう研究やめようと思う。やめて就職するよ。」
と。
『そっか。そっか。就職するのか。それもいいよね』
と微笑み返すことがせいいっぱいの私。同僚の気持ちを否定することはできないし、昨今の研究職の辛さを考えれば当然の決断だとも思う。
だけど、理由が気になった。どうして、そんな気持ちになったのか。
同僚は、
「なんか、もう、そこまで研究に対して気持ちが続かなくってさ」
と。なにかあったんだろうとは思うが、それ以上は聞けなかった。
悲しさと寂しさがこみ上げてきた。自分はこれからどうしたらいいんだろうかと思った。ただ続けることしか才能のない私より、スマートでセンスある同僚のような人が研究者になるべきだと思っていた。やるせない気持ちでいっぱいになった。
とぼとぼ歩いていると、いつも話を聞いてくれる先生が目の前に現れて、雑談のように同僚が就職する話をした
、ところで目が覚めた。
いい夢ではない。なおかつ、インドで風邪をひいてみる夢がこれだからなおさら気分は下がる。同僚の女性研究者は見たことのない人だったが、親しい人みたいだ。
フィールドワークしにきたのに、風邪ひいて寝てばっかりの私、クズだな。なにしにインドに来たんだろ。寝に来たのかな。と。
久しぶりに、学生時代の同期と連絡をとった。進学ではなく就職するらしい。センスと文才のある人だ。所属は違えどなんだかんだで学会で会ったりするのかな、なんて思ってたからやや悲しくもある。
研究から距離を置いたとしても、アカデミアから離れても、アンテナさえ折れていなければ研究は続けられる。論文を発表しなくとも関心を持つことはできる。
どんなところに進もうと、この研究に費やした経験や時間は何事にも変えられない自分だけのものだ。
研究は永遠だし、学問は不滅だ。
またやりたくなったらそこから始めればいい。
あの日インドで見た夢と現実が交錯したようだった。夢の時と同じように悲しい気持ちにはなるが、それもまた人生と受け止められる私が現実にはいた。
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