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日々の生きづらさの逃げ場は学問と芸術。

あいちトリエンナーレの展示「表現の不自由展・その後」が開幕3日にして中止になった。

すごく悲しい。

展覧会の趣旨を理解していない、展覧会を観に行ってもない、観に行こうともしていない人たちに展示を一つ潰されたんだと思うと腹が立つ。

慰安婦の問題は真正面から向き合うべき問題で、たくさんたくさん議論を重ねて昇華していかなければならないと私は考えている。今回の展示が始まってTwitter等々で賛否両論盛り上がっているのは、この展示会をした意味があったと思えたし、大成功だと感じていた。

Twitterにあがっていた観に行った人たちの感想はそれはそれは良かった。


しかし、それは、政治家の介入と嫌韓感情を持った一部の人たちの恐喝によって全てが台無しになった。

また、「表現の不自由」の歴史に今回の展示が名を残す事態となってしまった。


なにがこんなにも悲しい気持ちにさせるのか。

それは、生きづらさの逃げ場を政治家や一部の人たちに潰されてしまったからだ。


学問をすること、芸術に触れること、それが私の中では、この世界での生きづらさから脱出する方法なのだ。学問に真摯に向き合うことや、何かを表現することが、一寸先の闇に光をさすのだ。


だから、悩み、考え、議論をし一歩ずつ前に進んでいくことが常に必要なのだ。


なのに、今回はそれを暴力的な方法で強制終了されてしまった。

「あなたの逃げ場は間違っています」「ここにあなたの逃げ場ありませんよ」と言われたような気分だ。


日本は「表現の不自由」な国に成り下がっていることが今回のことでよくわかった。生きづらさは増すばかりだ。


今後はこのような「検閲」が蔓延しないようにしてほしい。また、「忖度」して「今回のような展覧会はもとより開催しない」というような方向にはならないでほしい。


芸術と政治は常に一緒にあるものなのだ。

表現者たるもの、政治的であれ。

政治性のないものなんて、この世には既に存在しないのだから。




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