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「仕事の中で“好き”を見つける」平井精一のサボり方

クリエイターの活動とともに「サボり」にも焦点を当て、あの人はサボっているのか/いないのか、サボりは息抜きか/逃避か、などと掘り下げていくインタビュー連載「サボリスト〜あの人のサボり方〜」。

今回お話を伺ったのは、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)にお笑い部門を立ち上げ、コウメ太夫、バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、錦鯉などの人気芸人を世に送り出してきた平井精一さん。クセの強い芸人さんたちをどう集め、背中を押してきたのか。平井さんの仕事論を聞いた。

平井精一 ひらい・せいいち
渡辺プロダクション(現:ワタナベエンターテインメント)を経て、1998年、ソニー・ミュージックアーティスツに入社。2004年、同社にお笑い部門を立ち上げる。SMA NEET Projectといったプロジェクトや専用劇場「Beach V(びーちぶ)」などを手掛け、多くの芸人を輩出している。

「今しかない」とお笑いに参入

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──どういった経緯でSMAにお笑い部門を立ち上げられたのでしょうか。

平井 SMAは音楽系と俳優・文化人系のグループ会社が合併したばかりで、「好きなことをやれ」って社長から号令があったんです。そこにちょうど、『エンタの神様』(日本テレビ)ブームが来て。ブームのときって、「俺でもできるや」って勘違いした芸人が集まるんですよ(笑)。それと、東京のお笑い事務所は少数精鋭のところばかりなので、都内にフリー芸人があふれているのも気になっていました。

──いろんなタイミングが重なって、「お笑いをやってみよう」と。

平井 そうですね、「今しかない」と。でも、こんなに芸人の出演番組が増える時代になるとは思いませんでしたね。逆に今だったらやってないんじゃないかな。やっぱり芸人が財産なので、芸人たちを集められたのが大きかったと思います。

──とはいえ、あふれているフリーの芸人さんとなると、あまりテレビ向きじゃないというか、マニアックな芸風の方も多い印象です。そこは問題にならなかったのでしょうか。

平井 車でたとえると、軽自動車ばかり売ってたり、スポーツカーばかり売ってたりすると、事務所としてテレビ番組に対応できないなと思っていて。いろんなヤツがオールマイティーにいたほうが、いろんな番組に突っ込めるじゃないですか。特定のイメージより、「あそこだったらなんかおもしろいヤツがいるんじゃないか」っていうイメージを持たれたほうがいいなと。

──芸人さんが集まったところで、どう売り込んでいったんですか?

平井 渡辺プロダクション時代の人脈が残っていたので、東京の各プロダクションのマネージャーさんのところに挨拶がてらリサーチに行きました。どういうふうにマネージメントしていて、どんな番組に売り込んでいるのか。ライブも観せてもらいましたね。あとは(番組側に)頭を下げるだけです。音楽の宣伝をやっていたときにさんざん頭を下げてきたので、そこはもう慣れてますんで(笑)。

「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」

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──SMAといえば個性的な芸人さんが多いイメージですが、平井さんはそんな芸人さんたちをどうサポートしてきたんですか?

平井 僕は芸人にまず「好きなことがやりたいのか、成功したいのかどっちですか?」と聞くんです。好きなことをやりたいなら事務所に入る理由はないし、成功したいなら成功に歩み寄らないといけない。その上で、毎月やっている事務所ライブでは新ネタをやってもらいました。

ネタ番組に何度か出ると、土日の営業が入るようになるんですよ。でも、ネタ番組の傾向って時代によって動いていくから、ずっと同じネタだと対応できない。だから、どんどん新ネタをやれと。

──時代やメディアの要望に合わせて、キャッチーなネタを作れるようになってほしいということですかね。

平井 そうですね。芸人によりますけど。お笑いの教科書はどの事務所にも養成所にもないんだから、時代を見てくれ、テレビを見てくれ、と言っていました。あとはお客さんが共感できるネタを作ってくれと。

お笑いから離れていた僕が偉そうに評価するのもおかしいし、ほかのスタッフが評価しても方向性を間違ってしまう可能性がある。売れるネタに歩み寄るには、お客さんに判断してもらうのが一番なんじゃないかと思うんです。だから、ライブもお客さんの投票でランクづけするシステムにしています。

──そうやって数をこなしていると、だんだんネタも変わってきますか?

平井 やっぱり毎月新ネタを作っていると、どこかで方向性を変えざるを得ないというか、勝手に変えてきちゃうというか。それでウケるようになってくるヤツがいると、ほかの芸人も引き寄せられたりする。芸人同士の仲がいいせいか、みんなでサポートしたり、相談したりするんです。

人の言うことなんて聞かないヤツもいますけど、ランクの1軍に入れば番組のオーディションに入れるようにしたことで、自ら試行錯誤してくれるようになったところもありますね。

必要なのは、「3分のネタ2本とトーク力」

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──テレビで活躍しているバイきんぐさんやハリウッドザコシショウさんといった方々も、試行錯誤を重ねてこられたのでしょうか。

平井 バイきんぐなんかは、「いい加減にしてくれ〜」って思うくらい、クレイジーなネタをやってましたよ(笑)。それでも、舞台上で光るものがあったので、もっといろんなネタが作れるように、単独ライブをやれと言ったんです。小峠(英二)は嫌がってましたけど、とにかくやらせてみたら、また好き勝手にやっていて……。

今度は2組でやるライブにして、テーマに応じたネタを作るというコンセプトを決めたんです。お客さんの評価のもと、2組でネタ6本を対決させるようにした。そこからバイきんぐのネタがガラッと変わっていきましたね。何かをつかんだようにネタを量産していって、『キングオブコント』優勝にまでつながりました。

──今や誰もが小峠さんのバラエティスキルを認めていますよね。それもライブをやっていく中で磨かれたものなのでしょうか。

平井 昔から小峠には「トーク力が大事だ」って口酸っぱく言っていたんですよ。「テレビはまずネタありきで、そのあと、バラエティの雛壇に並ぶようになってからはトーク。トークができないと絶対に残らないから」って。

──平井さんのそういった認識は、テレビを観たりしながら気づかれたものなんですか?

平井 渡辺プロダクション時代に担当していたホンジャマカさんの教えかもしれないですね。恵(俊彰)さんがトーク、トークと言っていたので。逆にトークが苦手で、テレビからいなくなっていったタレントも見てきました。

それで、芸人たちには「3分のネタ2本とトーク力があれば、絶対に芸能界を闊歩(かっぽ)できるから」って言うようになったんです。「ネタはとりあえず3分だけ楽しけりゃいいんだ、トークだって先輩のおもしろい話をそのまま話したっていいからとにかくメモれ!」と。

きれい事でも、できるだけのことはしたい

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──平井さんは常に劇場(Beach V)にいらっしゃるんですよね? 今の劇場や若手の芸人さんたちの雰囲気は、どんなものなのでしょうか。

平井 ネタ見せと土日ライブはほぼ見るようにしているので、週4日は劇場にいます。新人の応募も多いんですけど、「では、3分のネタをお持ちください」って返信すると返ってこなかったりする。みんな軽い気持ちで、1から10まで育成してくれると思ってるんですかね。

でも、やっぱり人が財産なので、そこで値踏みするんじゃなくて、事務所で成長させたいという気持ちがあります。勇気を持ってお笑い事務所の門を叩いてきた人を、たまたまマネージャーの仕事をしているだけの僕たちがジャッジしていいのかなって思うんです。きれい事ですけど、誰かがそのきれい事を押し進めないと、泣くヤツがいると思ってるんでね(笑)。

──出会いやタイミング、その後の努力などによって、芸人さんが化けることもありますしね。

平井 コウメ太夫もそうですけど、「このネタはないな……」と思っていたような芸人が突然化けることってあるんですよ。だから、うちではできるだけ芸人たちを受け入れたい。まずはプロの舞台に乗せてあげて、そこで可能性を見極めたり、チャレンジしたりしたほうがいいと思うんですよね。

──ちなみに、平井さん個人としては、どんなお笑いが好みなんですか?

平井 人力舎の芸人さんたちがやるような、きっちり作り込まれたコントが好きなんですよ。ハリウッドザコシショウとかはちょっとね、見てると疲れてきちゃう(笑)。

芸人たちに背中を見せるため、空手の道へ?

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──平井さんにとっての「サボり」とはどんなことですか?

平井 現場が重なったときに、好きな現場に行くっていうのはサボりかもしれないです。楽しそうなほうに行っちゃう。昔からこんな調子で、仕事をしながら自分で楽しみを見つけているような感じなんです。お笑いの現場に関わるのも楽しいし、音楽のマネージメントをやっていたときも、それはそれで楽しんでいました。

──お仕事以外の趣味や息抜きなどはありますか?

平井 今はコロナで行けてませんが、2011年から極真空手はやってますね。それも芸人たちに発破をかけたくて始めたんです。高校球児が甲子園に出て負けたら、涙を流すじゃないですか。あれって限られたチャンスのために死ぬほど努力してきたからだと思うんです。だから芸人が記念受験みたいに「今年ダメだったら、また来年」って気持ちで賞レースに出ているのにすごくイライラして。「お前らの人生なんだから、もっと気合い入れろ!」と言いたくて本気で空手をやりました。

──「俺の背中を見ろ」と。

平井 やり始めて半年後には大会に出て、黄帯(5級)になったときには関東の大会で準優勝しました。ただ、芸人たちにも「見に来い!」って言ってビデオを撮らせてるんですけど、一度、回し蹴りで思いっきりノックアウトされたことがあって。そのときは「これ、俺の葬式で流してくれ」って言いました(笑)。

──やっぱり一番喜びを感じるのも、芸人さんが活躍するときなんでしょうか。

平井 そうですね。バイきんぐの『キングオブコント』優勝や、ハリウッドザコシショウとアキラ100%の『R-1グランプリ』優勝もそうですし、芸人が賞レースに優勝したときが一番感動しますよ。やっぱりチャンピオンになったときの彼らの“報われた感”はもう最高ですよね。こんな人生を味わえるとは思わなかったってくらい。

少なくとも東京で一番のお笑い事務所にしたいので、これからもさらに打率を上げていきたい。SMAでナンバーワンになれば売れると言われるくらい売れっ子を輩出していって、もっと芸人たちのモチベーションを上げたいんです。

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撮影=石垣星児 編集・文=後藤亮平


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