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連載:「哲学ディベート――人生の論点」【第5回】美容整形をしてもよいのか?

2021年6月22日より、「noteNHK出版 本がひらく」で連載を開始した。その目的は、次のようなものである。

●「哲学ディベート」は、相手を論破し説得するための競技ディベートとは異なり、多彩な論点を浮かび上がらせて、自分が何に価値を置いているのかを見極める思考方法です。
●本連載では「哲学ディベート」を発案した哲学者・高橋昌一郎が、実際に誰もが遭遇する可能性のあるさまざまな「人生の論点」に迫ります。
●舞台は大学の研究室。もし読者が大学生だったら、発表者のどの論点に賛成しますか、あるいは反対しますか? これまで気付かなかった新たな発想を発見するためにも、ぜひ視界を広げて、一緒に考えてください!

「人生」は無数の選択で成り立っている。どの学校に進学すべきか? どんな相手と、いつ結婚すべきか? 生きるべきか、死すべきか? しっかりと自分の頭で考えて、自力で決断するために大きなサポートとなる「人生の論点」の「哲学ディベート」を紹介していくつもりである。乞うご期待!

教授 本日のセミナーを始めます。テーマは「身体の選択」です。
 医療技術が飛躍的に発展した現代社会では、さまざまな人工器具で身体を補助することが可能になっています。体内に埋め込むペースメーカーや人工網膜などに加えて、高度な機能を有する義手や義足、さらに必ずしも治療を目的とするものではない「美容整形」も流行しています。
 今日は、これから経済学部のCさんに「美容整形をしてもよいのか?」という問題を提起してもらいます。その後で「哲学ディベート」を行いますから、どのような論点から肯定あるいは否定するか、頭の中でよく整理しながら聴いてください。

経済学部C それでは、発表いたします。
「美容整形をしてもよいのか?」というテーマは、私自身が今、悩んでいることなので、アドバイスをいただけたら嬉しいです。実は、私は第一志望の航空会社から内定を頂戴して、先日「内定式」に行ってきたばかりです。すごく嬉しくて、来春からは社会人として精一杯がんばろうと思っているんですが、そこで心配になっているのが化粧のことです。
 航空会社に勤務するうえで最も大切なルールの一つは「時間厳守」ですが、私は朝が苦手で、毎朝早起きして化粧をする時間が取れるのか心配です。来年は、訓練期間終了後に客室乗務員として国内線に搭乗し、社内の英語試験に合格できたら、早ければ再来年から国際線に乗ることができます。そこで長時間のフライトになると、仮眠後に短時間でメイクしなければなりません。
 化粧をしない男性にはすぐに理解してもらえないかもしれませんが、たとえば眉のメイクだけでも結構時間が掛かります。私が本格的に眉を化粧するときには、眉用シェーバーで形を整えて、ペンシルで眉毛1本1本に沿って薄い部分に描き足して土台を作り、スクリューブラシで濃淡のカラーを加えて立体感を出します。アイブロウパウダーや眉マスカラも何種類か使うし、眉だけでこれだけあるので、もし化粧道具を全部入れたら、化粧ポーチを持ち歩くだけでも大変です。
 そこで調べてみたところ、「メディカル・アートメイク」という「消えない化粧」のあることがわかりました。これは麻酔をして、皮膚の表皮に針でカラーを入れていく方法で、「タトゥー」に似ています。
 これを眉に入れてしまえば、カラーは生涯消えません。ただ2、3年すると表皮のターンオーバーで薄くなってくるので、「リタッチ」というメンテナンスでカラーを整える必要があるようです。でも、これでカラーを入れてしまえば汗やシャワーでメイクが落ちないので、プールで泳いでも平気だし、何よりも毎日のメイクの時間を短縮できます。
 私がネットで調べたクリニックでは、グラデーションをつけながら眉の形を整える「パウダーグラデーション」と、線状に1本1本眉毛を描いていく「マイクロブレーディング」があって、そのコンビネーションの場合、3回の施術で完了し、費用は約13万円です。
 このクリニックでは、「アイライン」が約7万円、唇の場合は「リップライン」だけで約15万円、「フルリップ」は約20万円で施術できます。眉毛とアイラインとリップに施術すると、全部で40万円になりますが、その後は本当にメイクが楽になるので、大学に在学している間に施術するか悩んでいるんです。
 こうして自分の顔のことを考えているうちに、いろいろ気になるところが出てきました。どうせなら、メスを入れない「プチ整形」もやってみようかと思って……。たとえば「二重埋没法」は、瞼の2カ所を先端に針が付いている高強度で極細な医療用糸で引っ張る方式で「二重瞼」にします。この方法ならば、自分の気に入った幅で二重にできるし、もし気に入らなかったら、針と糸を外せば完全に元に戻すことができるみたいです。
 顔にメスを入れる「整形手術」となると、失敗や後遺症の心配もあるので私は躊躇しますが、もし何らかのコンプレックスを抱えている人が整形手術によって自信を持てるのであれば、それはそれでよいのではないかとも思います。しかし、その一方で、ネットでは「あのアイドルは整形だ」とか「整形顔が気持ち悪い」などの誹謗中傷や批判なども見かけます。
 私が問題提起したいのは、このような「美容整形をしてもよいのか?」ということです。

教授 Cさん、どうもありがとう。わかりやすく発表してくれました。
 少し補足しておくと、「整形手術」と「プチ整形」を行ってよいのは医師、「メディカル・アートメイク」は医師、あるいは医師の指導の下で看護師が施術してよいことになっています。いずれにしても、これらの施術はすべて日本では「医師法」の下で行われる医療行為だという点に注意してください。
 それでは「タトゥー(入れ墨)」はどうなのかというと、大阪府でタトゥー・ショップを経営する彫り師が、医師免許を持たないにもかかわらずタトゥーを客に施術したとして、医師法違反の罪に問われた事件があります。
 2017年9月、大阪地方裁判所は、タトゥーの施術によって、ウイルス感染・アレルギー反応・皮膚障害が生じる可能性を指摘し、「保健衛生上の危害を生ずるおそれのある行為」であることから「危険性を十分に理解し、適切な判断や対応を行うためには、医学的知識及び技術が必要不可欠」と判断しました。つまり「タトゥーは医療行為であって医師免許が必要」だとする判断を下し、被告人に15万円の罰金刑を言い渡したのです。
 ところが、もしタトゥーの施術に医師免許が必要になれば、日本の彫り師は急激に減少し、タトゥーを彫るという「創作活動」を制約することになりかねません。この判決は、憲法が保障する「職業選択の自由」に抵触するのではないかと、彫り師と学者らが弁護団と共に被告人を支援し、被告人は控訴しました。
 2018年11月、大阪高等裁判所は、一審の判断を覆し、被告人に「無罪」を言い渡しました。タトゥーの施術は「美術の知識・技能が必要で、歴史的にも無免許の彫師が行ってきた実情がある」と認め、「社会通念に照らして医療行為とは認めがたい」と結論付けています。ところが、今度は、この判決を不服とする検察が上告しました。
 そして2020年9月、最高裁判所は「上告を棄却する」判断を下し、被告人の「無罪」が確定しました。
 草野耕一裁判長は、タトゥーについて「反道徳的な自傷行為と考える者もおり、同時に、一部の反社会的勢力が自らの存在を誇示するための手段としてタトゥーを利用してきたことも事実である。しかしながら、他方において、タトゥーに美術的価値や一定の信条ないし情念を象徴する意義を認める者もおり、さらに、昨今では、海外のスポーツ選手等の中にタトゥーを好む者がいることなどに触発されて新たにタトゥーの施術を求める者も少なくない。このような状況を踏まえて考えると、公共的空間においてタトゥーを露出することの可否について議論を深めるべき余地はあるとしても、タトゥーの施術に対する需要そのものを否定すべき理由はない。以上の点に鑑みれば、医療関連性を要件としない解釈はタトゥー施術行為に対する需要が満たされることのない社会を強制的に作出しもって国民が享受し得る福利の最大化を妨げるものである」と補足意見を加えました。
 ただし、草野裁判長は、「タトゥー施術行為に伴う保健衛生上の危険を防止するため合理的な法規制を加えることが相当であるとするならば、新たな立法によってこれを行うべき」である点を指摘し、「タトゥー施術行為は、被施術者の身体を傷つける行為であるから、施術の内容や方法等によっては傷害罪が成立し得る。本決定の意義に関して誤解が生じることを慮りこの点を付言する」と述べています。
 要するに、タトゥーの施術を医師法違反で裁くことはできないため、もし何らかの規制を加えたければ、新たな立法が必要だと結論付けたわけです。
現在の日本では、国民の身体に直接関与する「医師・看護師・理容師・美容師」に国家試験が課されています。一方、「メディカル・アートメイク」では医師が「真皮」に色素を入れるのに対して、タトゥーの彫り師は真皮よりも深い「皮下組織」にまで色素を入れます。つまり、医師よりも深く皮膚を彫るタトゥーの施術に何の資格も必要のないことが最高裁で保障されてしまったわけで、この周辺のアンバランスな現状については、議論の余地があるでしょう。

文学部A 私は、タトゥーにしてもメディカル・アートメイクにしても、わざわざ自分の皮膚を傷つけて色素を入れたいとは思いません。
 これは「中国思想史」の授業に出てきた話ですが、孔子と曽子が交わした問答をまとめた『孝経』に、「身体髪膚(しんたいはっぷ)之を父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」と孔子が述べています。
 ここで「身体髪膚」というのは、身体のありとあらゆる部分を指して強調した言葉で、自分の身体は両親から授かった以上、どこにも傷をつけないのが親孝行の第一歩だと言っているわけです。
 もし私が美容整形すると言ったら、私の両親は悲しむと思います。もしかしたら、泣くかもしれません。というのは、私の顔は両親の遺伝子の組み合わせで自然に形成された結果ですが、自分はそれが嫌だから変更すると言うのと同じことだからです。もっと鼻が高い方がよいとか、もっと目が大きい方がよいとか、自分勝手な美意識だけで、両親や祖先から引き継いだ顔を人工的に変えてよいとは思えません。
 もちろん、病気や事故のために必要不可決な整形を行うのは当然だと思います。C子のように忙しい客室乗務員になる女子大生が、メディカル・アートメイクに惹かれる気持ちも理解できます。だから、無理に反対はしませんが、C子とは中高一貫校から大学まで、もう10年の親友なので、あえて言わせてもらうと、本当はC子が皮膚に色素を入れることに、積極的に賛成はできません。
 もしC子が眉とアイラインとリップに施術したら、そのカラーで顔が固定されてしまうわけでしょう? メイクだったら、その日の服装や気分に合わせて、顔の色彩をいくらでも変えることができるけど、それができなくなる。つまり、C子の顔は、ある程度、人工的に固定されてしまうわけです。そうなると、昔から私が知っているC子でなくなるような気がして、親友としては少し寂しい気持ちになります。
 もともとC子は美人なんだから、ナチュラル・メイクで十分だし、むしろノーメイクでも全然大丈夫だと思います。顔は、その人間のアイデンティティを表しますから、自然のまま大事にしてほしいというのが、私の正直な気持ちです。

法学部B 僕は、タトゥーであろうと美容整形であろうと、すべて個人の「自己決定権」に含まれる権利だと考えますから、当然、個人の自由な判断に委ねられるべきことだと思いますね。
 ここでいう「自己決定権」とは、19世紀の哲学者ジョン・スチュワート・ミルが『自由論』で初めて明確に述べた権利で、①自己責任能力のある個人が、②自己の所有にある対象について、③他者に迷惑を掛けない限り、④たとえそれが自己に不利益をもたらすことであっても、⑤自由に決定することができるという考え方です。
 以前の「哲学ディベート」でこの考え方を知ってから、僕は、この種の問題に関しては、他人がとやかく言うことではなく、完全に個人の自由意志で決定すればよいことだと思うようになりました。だから、C子さんがメディカル・アートメイクであろうとプチ整形であろうと、自分でよく考えて判断するのであれば、他者に迷惑を掛けることではないし、誰にも文句を言う権利はないと考えます。
 ただし、ここで注意しなければならないのは、「④たとえそれが自己に不利益をもたらすことであっても」という部分です。たとえば、C子さんの説明にあったメディカル・アートメイクでは、たしかに毎朝のメイク時間を短縮できるとか、汗や水でメイクが落ちないというメリットがありますが、高額であることや、皮膚に色素を入れると完全に消えることがないというデメリットもあります。
 色素を入れてしまった結果がどうなるかは、やってみなければわからないので、A子さんが言うような「人工的」なイメージになってしまうのかもしれません。たとえば、眉だけに色素を入れたら、素顔になっても眉毛だけは化粧したように目立つわけでしょう?
 もし、僕の彼女がスッピンになったとき、いつでも眉毛だけは化粧した後のように色素が入っていたら、ちょっと気味悪く感じるかもしれません。でも慣れてきたら、全然気にならないかもしれない。無責任なようですが、僕は自分自身がどう感じるのかさえ、予測できません。結局、周囲の声は当てにならないので、最終的には本人が判断するしかないと考えるわけです。

理学部D 僕は、美容整形もプチ整形もメディカル・アートメイクも、すべて女性が金儲けの対象として搾取されているように思えて、不快感を抱きます。
 これはネイルサロンやまつ毛エクステンション、化粧品やダイエット器具の販売などにも言えることで、要するに「女性は美しくなければならない」というジェンダー概念を極端に悪用した「金儲け」に引っ掛かっているだけではないですか?
 ネットで「国際美容外科学会(International Society of Aesthetic Plastic Surgery: ISAPS)」が世界規模で実施した「美容処置に関する国際調査(International Survey on Aesthetic/Cosmetic Procedures)」の結果を見ると、2019年に全世界で行われた美容処置は約2,500万件、その内、約1,100万件が「外科処置」(前年度比7.1%増)、約1,400万件が「非外科処置」(前年度比7.6%増)になっています。つまり、いわゆる「美容整形」は、年に7%のペースで増加しているわけです。
「外科処置」は、豊胸術・脂肪吸引・まぶた処置・腹部形成・鼻輪郭形成の順に多く、「非外科処置」は、ボツリヌス菌注入シワ取り・ヒアルロン酸注入輪郭形成・脱毛・非外科的脂肪除去・レーザーケアの順に多くなっています。
 これらは人間が生きていく上で絶対に必要不可欠な処置でしょうか?
 僕からすると、胸を大きくしたり、お腹を引っ込めたり、目を大きく見せたり、あるいは、シワやシミを除去したり、頬のたるみを取ったりすることに、生きていく上で大きな意味があるとは思えません。その多くは、年齢と共に必ず進行する「老化現象」であるにもかかわらず、それを隠して、外見ばかり若く見せようとする人間の哀れでバカげた悪あがきに思えます。
 2019年に美容処置が行われた国を多い順に並べると、アメリカ(3,982,749件)、ブラジル(2,565,675件)、日本(1,473,221件)、メキシコ(1,200,464件)、イタリア(1,088,704件)と続き、あとは100万件以下です。
 ちょっと計算すると、アメリカと中南米のブラジルとメキシコ、さらに日本の合計件数だけで、世界の美容処置の半分近くになることがわかります。つまり、これらの国々の多くの人々は、美容整形の「商業主義」に踊らされているのではないでしょうか。
 形成外科医の推定数を見ると、多い順にアメリカ(6,900人)、ブラジル(6,011人)、中国(3,000人)、日本(2,707人)、韓国(2,571人)、インド(2,400人)、メキシコ(2,124人)になっています。形成外科医の推定数と、実際の美容処置数が比例していないので、もしかすると中国・韓国・インドなどでは、表向きの調査報告に出ない美容処置が多く行われているのかもしれません。
 いずれにしても、この国際調査から明らかなのは、美容整形が世界の非常に偏った国々だけで行われていることです。世界を見渡せば、逆に、美容整形などに拘らない国々の方が圧倒的に多いことがわかります。

医学部E 僕は、以前のゼミでもお話ししましたが、新生児内科で先天性の「口唇口蓋裂」の疾患を持って生まれてきた新生児のことが忘れられません。
 もう一度説明すると、「口唇裂」とは上唇が裂けている状態、「口蓋裂」とは口腔と鼻腔を隔てる上顎が裂けて、口と鼻の中が繋がっている状態です。「口唇口蓋裂」は、その両方が重なっている状態なので、重症といえば重症なのですが、現在では、形成外科で何度か手術を繰り返せば、機能的にはもちろん、外見的にもほぼ完全に治療することができます。これは、現代の医療技術のすばらしい一面だと思います。
 今、「形成外科」という言葉を使いましたが、一般に「形成外科」とは、「身体に生じた組織の異常や変形、欠損などに対して、機能的および形態的に改善を目指す外科領域」を指します。これに対して、「整形外科」は、「身体の芯になる骨・関節などの骨格系とそれを取り囲む筋肉やそれらを支配する神経系からなる『運動器』の機能的改善を目指す外科領域」を指します。
 世間で使われている「美容整形」という言葉は誤解を招くので、専門医はあまり使用しません。医学的な専門領域で考えると、あくまで外科の分類として「形成外科」と「整形外科」があり、その「形成外科」の一部に「美容外科」があると考えてもらうとよいと思います。
 一般的な「形成外科」と「美容外科」は何が違うのかというと、要するに、保険適用ができるかできないかの相違です。さきほどお話しした先天性疾患や、ガン切除に起因する顔面変形、あるいはケガによる変形であれば、正式な病名が存在しますから、形成外科で保険診療を受けることができます。一方、正式な病名がなければ、美容外科で自費診療を受けることになります。
 僕は、基本的に正式な病名が存在するような疾患の治療を目指して医学を志していますから、率直に言って、美容外科には興味がありません。さきほどD君が批判的に言っていたように、美容外科は自費診療ということもあって、診療費を好きなように設定できますから、大儲けしている医師が存在することも事実です。
 ただし、美容外科を訪れる人の中には、自分の外見に大きなコンプレックスを抱き、対人恐怖や自信喪失に陥っているようなケースもありますから、美容外科の処置すべてを安易に批判はできません。その反面、美容外科に通い始めたばかりに、1カ所に手を加えると顔のバランスが変化しますから、他の箇所にも手を加え、結果的に何度も手術を繰り返すような「依存症」になってしまうケースもあります。美容外科よりも、心療内科に行く方がよいケースがあることを、先輩の医師から聞いたこともあります。
 それに、病名があれば形成外科、なければ美容外科と大まかに定義しましたが、実際にはその判断が難しいことも多々あります。たとえば、生まれながらに鼻が2ミリ歪んでいるとか、眼の間隔が通常より3ミリ広かったとしても、他人が変だと思うことはないでしょう。この程度の差は「顔の個性」とみなされるのが普通です。
 ところが、それが2センチだったらどうでしょう。もし先天的に鼻が2センチ歪んでいたら、これはかなり目立つ「醜状変形」であり、成長の段階で当人が大きな精神的苦痛を抱える可能性があります。つまり、何ミリまでの変形が「顔の個性」で、何ミリ以上の変形が疾患と判断できるのかは、医師の判断に委ねられているのが現状です。
 いずれにしても、形成外科の処置数が世界でも出しているアメリカやブラジルや日本では、外見で人を判断する「ルッキズム」が流行しすぎているのではないでしょうか。本来は、どんな顔であろうと、どんな身体であろうと、何も気にせずに相互の個性を尊重して生きていける社会を模索すべきだと考えます。

教授 「美容整形をしてもよいのか?」という問題から「社会的ルッキズムを容認すべきか?」という「ルッキズム」の哲学的議論が抽出されました。本当に難しい問題だと思いますが、このディベートを契機として、改めて自分自身で考えてみてください。

参考文献
ISAPS, “International Survey on Aesthetic/Cosmetic Procedures performed in 2019”
https://www.isaps.org/wp-content/uploads/2020/12/Global-Survey-2019.pdf
新井誠「タトゥー施術に関する医師法違反事件最高裁決定」WLJ判例コラム 臨時号(第214号)https://www.westlawjapan.com/pdf/column_law/20201009.pdf
大阪高等裁判所「平成29年(う)第1117号 医師法違反被告事件 平成30年11月14日 大阪高等裁判所第5刑事部判決」 https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/686/088686_hanrei.pdf
丹生淳史「形成外科と整形外科、美容外科」公立学校共済組合関東中央病院https://www.kanto-ctr-hsp.com/ill_story/201811_byouki.html

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