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チューリングの死因!

天才数学者アラン・チューリングの死因は「自殺」というのが定説だが、実は「事故死」あるいは「他殺」の可能性が完全に消え去ったわけではない。その周辺の事情を『ノイマン・ゲーデル・チューリング』から紹介しよう。

一九五二年一月、チューリングは、映画館で知り合った十九歳の青年を自宅に招いて宿泊させた。その数週間後、チューリングの自宅に泥棒が入り、警察の捜査の結果、犯人はその青年と彼のゲイ仲間であることがわかった。チューリングは、窃盗の被害者であったにもかかわらず、裁判の過程で同性愛者であることが公開されてしまったのである。

当時のイギリスで同性愛は「違法」であり、彼に下された判決は、留置場に収監されるか、定期的な女性ホルモン投与という化学的去勢療法か、どちらかを選ぶという刑罰だった。チューリングは化学的去勢療法を選んだが、この事件によって、彼はイギリス政府に関連した研究機関への立ち入りが禁止された。王立協会フェローの大学教授のスキャンダルは、新聞にも大きく報道された。

その二年後の一九五四年六月八日午後五時頃、チューリングは、四十一歳で死亡している姿をメイドのクレイトン夫人に発見された。ベッドの脇には、齧りかけのリンゴがあった。

検死報告書で明らかになったのは、彼の肺や胃から「強いアーモンドの香りがする」液体が検出されたということで、そこから「服毒自殺」であると結論付けられている。

駆け付けた母親サラは、チューリングが自殺するはずはないと主張した。その四か月前に書かれた遺書は事務的な内容で、これまで何でも報告していたサラへの遺言がなかった。寝る前にリンゴを齧るのは、以前からのチューリングの習慣である。通いのクレイトン夫人によれば、七日夜のチューリングは上機嫌で彼女の作った夕食を食べている。調べてみると、チューリングは、六月九日には数学者のバーナード・リチャーズと会う約束をしており、大学の研究室に残されていたメモには翌週以降の予定も書き込まれていた。

一方、チューリングの部屋には、以前からの趣味である化学実験道具があった。天井の電燈には変圧器が取り付けられ、電線が蒸発皿の電極に繋げられ、その皿には青酸化合物で生じた泡が付着していた。彼は、この装置でスプーンを金メッキしていたのである。しかも、物事に頓着しないチューリングは、青酸化合物の結晶をジャム瓶に入れて保存していた。つまり彼は、電気分解をしているうちに青酸ガスを吸い込み過ぎたか、あるいは間違って結晶を飲み込んでしまったため、事故で亡くなったというのがサラの主張である。

チューリングは、改めて遺書を書いてサラを悲しませないために、事故に見せかけて自殺したという見方もできるかもしれない。さらに、自殺でも事故でもなく、殺害されたという見解もある。

チューリングは、暗号やコンピュータに関する国家機密を知りすぎている一方で、同性愛を武器に敵側に籠絡される危険性があった。とくに当時のイギリスでは、ケンブリッジ出身者の「ケンブリッジ・ファイブ」スパイ事件、アメリカではマッカーシーの「共産主義者とゲイが安全保障を脅かす」という主張に基づく大粛清が行われている最中だった。家に忍び込んで、寝ているチューリングの口に青酸化合物を入れることは、プロにとっては簡単な仕事だったのかもしれない。

いずれにしても、チューリングは四十一歳の若さでこの世を去った。そして、彼は、当時から現在に至るコンピュータの凄まじい発展を目にすることがなかったのである。

さて、読者は、彼の真の死因をどのようにお考えになるだろうか?

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