Leo

30過ぎてるジャニヲタ。都内住み。ジャニヲタしているといろんな面白いことが起こる。

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最近の記事

King&Prince[L&]配信視聴感想

さて、私のジャニヲタ遍歴をつらつらと書き続けてきてみたが、ひとまずそれは置いておくとしよう。 なんせ今日は、久しぶりの「現場」だった。 タイトルの通り、配信。 なので、いつものように「会場へ足を運んで、生で推しを観る」という現場ではない。 けれど、まぎれもなくそれは「コンサート」だった。 画面越しであっても、アイドルが魅せてくれるものはいつ何時でも、尊くて愛おしい。 ひとつ前置きするとすれば、先の記事でも書いたように私は亀梨担。 グループで挙げるなら言うまでもな

    • ついに迎えた、その瞬間

      高校時代、プライベートの楽しさによって隅の方に追いやられてしまっていた私のジャニーズ熱は、決してその火を消してはいなかった。 ただ、ずっとひたすら、その時を待っていたかのごとく、胸の中で燻り続けていた小さな小さな灯は、あっという間に燃え広がることとなった。 高校を出た私は、神奈川の専門学校へと進学したのだが、それから数カ月が経ったある日のこと、教室で私の真ん前の席に座っていた同級生の携帯の待ち受けが、ふとした瞬間に見えてしまった。 そこにはある男の人の姿が映っていて、そ

      • ジャニーズ抜きの高校生活から、上京するまで

        私の高校生活と言えば、恋愛に明け暮れていた。 それはもう、ジャニーズのジャの字が入り込む隙さえないほどに。 「好きでなくなった」とか「興味がなくなった」というのとは少し違っていた。 TVに好きなジャニーズが出れば録画して見ていたし、CDが出れば買っていたし、嵐のファンクラブの会員でもあった。立派なジャニヲタである。 けれども、まだ携帯電話を持たない中学時代、ルーズリーフにしたためる手紙の内容はほとんど嵐のことだった私は、そのツールを携帯電話に変えて、実在する男の話をす

        • 人生初めてのコンサートが引き起こした後遺症と受験と

          かくして人生初のライブから帰還した私は、興奮冷めやらぬままに床に就いたのだけれど、その夜は当然ながらなかなか眠れやしなかった。 確かあれは夏休み中だった。 眠れなくてもそれほど生活に支障はなかったのだ。受験生だったので、塾の夏期講習には通っていたが、そもそも私は自分の射程圏内のところを志望校にしており、受験というものに全く危機感を覚えていなかったのであまり関係なかった。 ちなみにこの志望校選びにおいても、私は教師とも親ともひと悶着やらかしていた。 私は、制服が県内一可

        King&Prince[L&]配信視聴感想

        • ついに迎えた、その瞬間

        • ジャニーズ抜きの高校生活から、上京するまで

        • 人生初めてのコンサートが引き起こした後遺症と受験と

          人生で初めてのライブでバックに堕ちた話

          私は華麗なるニノ担へと見事な変身を遂げ、堕ちた後は真っ逆さまに坂道を転がり落ちていったのである。 本格的ジャニヲタ人生の幕開けと言える。 私は筆箱や学校指定のカバンにニノのフルネームや嵐の名前を書き、熱烈にニノ担アピールすることに余念がなかった。 恐ろしくダサいかもしれないが、当時そのあたりでは流行っていたのだ。 瞬く間に私の部屋中の壁という壁はニノと嵐で埋め尽くされ、Mステでの投げチューシーンは死ぬほどリピートされた結果テープが擦り切れてしまい、カッコ可愛く投げチュ

          人生で初めてのライブでバックに堕ちた話

          手越祐也くんの退所にあたって思ったこと

          まず前提として伝えておきたいことは ①私は手越くん担でもNEWS担でもないということ ②ただ、彼がデビューした当時から存在は認識しており、周りの友人の関係もあってライブにも何度も足を運ばせてもらう機会があり、NEWSの中では今も昔も一番好きなメンバーであるということ ③しかしもちろん担当と言えるほどの熱量は全くないので、ほんの一部分の彼の姿を見て勝手に好ましく感じているだけで、彼について知らないことは山ほどあるということ ④NEWSというグループに対しては、手越くんが

          手越祐也くんの退所にあたって思ったこと

          歴代担当(と呼んでいいかわからない時も含む)の変遷について

          前記事でも少し触れたのだけれど、いかんせん私はなかなかの田舎で育った。 通学に2時間とか、携帯の電波はないとか、まではいかないものの、そこそこの田舎ではあった。 電車は1時間に1本しか来ないし、コンビニに行きたければ親に車を出してもらう必要があった。 そもそもコンビニと名のつくものが近場にできたのも、小学生も半ばを過ぎてからだったように思う。 当時、そこらでコンビニと言えばイコールローソンのことでしかなくて、他に聞いたことのある名前のコンビニはいくつかあったものの、そ

          歴代担当(と呼んでいいかわからない時も含む)の変遷について

          生まれてこのかたずっとジャニヲタなので。

          ジャニーズをいつから好きだったのかは、もう思い出せない。 人生において初めて「大好きなアイドル」として認識したのはKinkiだった。それは確かだ。 小学校3年生だったか4年生だったか、そのあたりに金田一少年の事件簿や銀狼怪奇ファイル、僕らの勇気未満都市なんかが放送された(えぇそのへんの世代です。年齢がバレる)。 私は圧倒的剛派だった。クラスの光一派の女子とどちらが素敵かで言い合いになり、髪の毛をつかみ合うケンカにまで発展したことを覚えている。 思えば当時から血気盛んな

          生まれてこのかたずっとジャニヲタなので。

          初めまして。

          まぁまぁ年季の入ったジャニヲタが思ったことを徒然なるままに。ジャニーズのこと語りたいんだけど別に誰に向けてというわけでもない、という時に書きます。

          初めまして。