人生初めてのコンサートが引き起こした後遺症と受験と

かくして人生初のライブから帰還した私は、興奮冷めやらぬままに床に就いたのだけれど、その夜は当然ながらなかなか眠れやしなかった。

確かあれは夏休み中だった。

眠れなくてもそれほど生活に支障はなかったのだ。受験生だったので、塾の夏期講習には通っていたが、そもそも私は自分の射程圏内のところを志望校にしており、受験というものに全く危機感を覚えていなかったのであまり関係なかった。

ちなみにこの志望校選びにおいても、私は教師とも親ともひと悶着やらかしていた。

私は、制服が県内一可愛いと言われている高校に行くことを強く心に決めていた。中学の時に親と買い物に行った時に見かけて、「あれどこの制服?」と聞いた時に決めていたのだ。絶対にあれが着たかった。

あそこだってそこそこの進学校だし、偏差値的には良い方だ。十分じゃないか。

しかし私の成績ではもうひとつ上の高校を狙えるということで、親も教師もそちらを当たり前のように勧めてきた。成績は、自分で言うのもなんだが結構いい方だったのだ、中学生の時までは。

しかしそのもうひとつ上の高校というのは、駅からも離れていて通学に不便だし、何と言っても制服がクソほど可愛くなかったので絶対に行きたくなかった。親との話し合いは平行線をたどり、私は親に言ったのだ。

「私は最初から言ってる(制服の可愛い)〇〇を受けるよ。それだってねぇ、本当は我慢してんの、本当は東京に行きたい」

親は青天の霹靂だったようで「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。

「私ニノに会いたいもん。こっちで高校生活してるうちに、ニノには女ができちゃうかもしんないじゃん。私ニノが好きなんだもん。会いたいもん」

母は、ニノに会うために東京に行くのは結構だが、せめて高校は地元で卒業してからにしてくれ、その後東京に行くのは別にいいからと言った。

我ながらクソガキだし頭おかしいと思うが、嫌いじゃないんだよなこの性格。

奇しくもこの夏、私には人生で初めての彼氏というものもできており、人生で初めてのライブなんてもんにまで行ってしまったもんだから、頭の中はもはやお花畑どころの騒ぎではなかった。

一面びっしりと彼氏とライブという花が咲いた私の脳内に、勉強なんてお堅くてつまんない奴が入り込む隙間など1ミリもなかったのだ。そういやこの夏に人生で初めてのキスもした。初めて尽くしの夏だったのでものすごく鮮明に覚えているのである。

残念ながら当時の初彼氏の顔はうっすらとしか出てこないが。それも仕方ない、ジャニーズのことばっか考えていたんだから。

中学生ともなると、自転車で小学生の頃には行けなかったところにも行けるようになっていた。そう、親に頼んで車を出してもらわなくてもTSUTAYAへ行けるようになったのである。

これ幸いと、私は塾からもう少し足を伸ばせばたどり着くことができたTSUTAYAへ足しげく通い、剛が出演していたドラマをことごとくレンタルした。

もちろん私はニノ担のままだったし、このままKinki担に戻ろうなどとは全く思っていなかったのだけれど、それでも前に好きだったアイドルを生で見たことの余韻は私に、その人をもっと見たくさせたのだった。

深田恭子との恋愛を描いたto Heartというドラマが特に大好きで、あれは何度繰り返し見たかわからない。同タイトルのKinkiが歌う主題歌もまた名曲なんですよ、はい。

(私が住んでいる地域ではTBSが映らないのである。おそらく日本で唯一。これは今現在もなおそうだ。だからTBSの番組は見れず、レンタルかケーブルテレビに加入している友人に頼むしかなかった。ケーブルテレビに加入している友人の家に放課後集まって「学校へ行こう!」をよく見ていたものだ)

剛演じるボクサー、時枝ユウジがかっこいいのなんのって。それにひたすらまっすぐ熱い思いを一方的にぶつける、深キョン演じる透子がまたかぁわいくって。今でももう一度見たいドラマだが、最寄のレンタルショップではもう扱っていなかった。再放送してくんないかな。

Summer Snowも最高でしたねあれは。あの時期の剛ドラマは最強。これまたラストが悲しい結末なんだけども。小栗旬も池脇千鶴も、あれを見て知ったんだ私は。

話が脱線した。ついあの頃を思い出すとマシンガンを乱射してしまいがちで困る。

まぁとにかくそんな感じで、剛再燃しつつ、ニノのこともしっかり見つつ、もちろんドームで堕ちた彼のことも忘れてやいませんてことで。

家には嵐を見たくてちまちま買い集めた、いわゆるドル誌と呼ばれるものが何十冊と転がっていたので、私はそれを洗いざらいめくりまくった。

なんせ、彼のことは顔しか知らないのである。名前が知りたかった。逆に言えば、顔だけは確実にわかっている。なんせあの距離で見たのだから。

ライブで買ってきたJr.名鑑でももちろん確認したのだが、「これ…かな?」という人は見つけたが、確信が持てずにいた。もう少し大きい写真が欲しかった。

「あ…った…」

思わず声が出ていた。彼の顔と、彼の前に私がもう一人、可愛いと思っていた子の顔を、私は同じページに見つけた。確かMyojoだったと思う。

「この子だ…」

Jr.名鑑よりもはっきりと顔のわかる大きさで映っている写真を見て、ようやく私はあの時私に向かって(たぶん)手を振ってくれた彼の名前を知ることができた。

亀梨和也。

珍しい苗字だったのと、ニノと同じ下の名前だったのですぐに覚えられた。もともと記憶力はいい方だ。

あなたは「かずや」でいいのね。「かずなり」じゃなくて。と、思ったことも覚えている。

ちなみにもう一人の可愛かった子が赤西仁であるということも一緒に覚えた。

この時から私のジャニーズ人生はより深みを増していくこととなる。

…なんていえば聞こえはいいが、単純に、沼る。ことになる。

そんな日々を過ごしていたら、夏休み終盤、母からひどい雷を食らった。

いい加減受験勉強をしろと。あのライブから帰ってきてから全くの腑抜けじゃねぇか。夜中までこそこそ起きてるかと思ったら、勉強なんかしてないことも全部わかってんだからないい加減にしろよと。

寝る間も惜しんで教科書めくってなくちゃならない時期に必死こいてMyojoめくってんだから、母の怒りはごもっともである。

ブチ切れた母が、ドル誌もCDもVHSも何もかも全部捨ててやるなどという残酷極まりない脅しをかましてきたので、私はそれだけはやめてくれと懇願し、おとなしく従うことにした。

そこから受験までの間、テレビの録画やラジオのチェックなんかはもちろん続けながらも、私は家庭教師をつけられ(塾は面倒だから行きたくないと言ったら、何もしないのは母が心配だからなんかしらはしてくれということでそうなった)受験生らしく過ごした。

受験当日は、セーラー服の胸ポケットに、ニノの写真をお守り代わりに入れて臨んだ。

あまり緊張はする方ではないのだけれど、それでもお昼休みや、面接の前に一瞬だけニノの笑顔を見たら心が安らいだので、とても感謝している。

おかげで私は無事に第一志望の高校へ合格することができた。

一緒に合格発表を見た母に「いやーよかったね。ニノのおかげだ!」と言ったら「いや〇先生(家庭教師)でしょうよ」と言われた。ごもっとも。

こうして私の中学校生活は、終わった。


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