生まれてこのかたずっとジャニヲタなので。

ジャニーズをいつから好きだったのかは、もう思い出せない。

人生において初めて「大好きなアイドル」として認識したのはKinkiだった。それは確かだ。

小学校3年生だったか4年生だったか、そのあたりに金田一少年の事件簿や銀狼怪奇ファイル、僕らの勇気未満都市なんかが放送された(えぇそのへんの世代です。年齢がバレる)。

私は圧倒的剛派だった。クラスの光一派の女子とどちらが素敵かで言い合いになり、髪の毛をつかみ合うケンカにまで発展したことを覚えている。

思えば当時から血気盛んなジャニヲタへの道は拓かれていた。

けれど、それより前にも、クレヨンのケースには雑誌の付録かなんかだったSMAPのステッカーが貼られていた記憶が確かにあるし、カセットテープに録音されたTOKIOの曲を聴き込んでいた思い出もある。

しかし考えてみれば、当時小学生になったばかりの私が、自分の力でSMAPのステッカーがついてくるような雑誌を買えるわけもなければ、TOKIOのCDを選んでレンタルしてきて録音するなんて技も身に着けているわけがない(経済的問題以前に、書店やレンタルショップへ行くのには車が必須である田舎で生まれ育っている)。

そうだ。私のジャニヲタの血は我が母から色濃く譲り受けたものである。え、それって洗脳じゃん。

物心ついてそのことに気が付いた時、私は母に尋ねた。

「ねぇ、私がジャニーズ好きになるように仕向けてたよね?小さい頃」

すると予想外の方向からの答えが返ってきた。

「え、違うよあんたが最初から好きだったからそういうの買ってあげたりしてたんでしょ。お腹の中にいる時からジャニーズが流れてると元気にお腹蹴ってきたからその時から好きなのかな~とかって冗談で言ってたけど」

そんなことはさすがに記憶がなく、私は自らが持って生まれたジャニヲタとしての宿命に恐れおののいたのだった。

母の誇張も少しは含まれているのだろうが、それにしたって生まれる前からすでにジャニーズへの反応を示していたのなら抗いようがない。

ちなみにその後母の言葉は「…ていうか、幼稚園の時も光GENJI好きだったじゃん?覚えてないの?」と続いた。覚えていない。けれどもういい。

私がジャニヲタとして生まれ、ジャニヲタとしてこの先もおそらく生きていくのであろうことは、母の証言により裏付けされたのだ。

というわけで、あの証言から20年ほどが経った今もありがたいことに元気にジャニヲタをさせていただいている次第。

ちなみに今では母も私の影響で立派なジャニヲタである。還暦を過ぎてなお、SixTONESの話までできる母はすごい。でも私もたぶん同じ道を辿ることになるんだろう。

これから私が綴っていきたいのは、私が思うアイドル論だったりジャニーズ像だったりそういうもの。

別に、誰のことを好きだとか、はい顔がいい、尊い、だなんてことはもう100万回口にし続けてきたわけで、私はそれ以外のことをここで語りたい。

だって私は彼らから、色々なことを教わってきた。

人は忘れてしまう生き物なので、その時どれだけ嬉しくても、どれだけ衝撃を受けたとしても、たとえどんなに感銘を受けたとしても、私の記憶からはいつか彼らにもらったあれやこれやは抜け落ちてしまうのだ。

それを知っているからこそ、書き留めておきたいと思う。

私はアイドルを知ることができて、彼らのいる時間を生きることができて、とても光栄に思っているし、幸せに感じてもいる。

そんな中で拾った、幸福のたった二文字では言い表せられない、もっとこまごました感情をかき集めていく場所としてここを使っていく。

どうぞ、よろしく。


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