人生で初めてのライブでバックに堕ちた話

私は華麗なるニノ担へと見事な変身を遂げ、堕ちた後は真っ逆さまに坂道を転がり落ちていったのである。

本格的ジャニヲタ人生の幕開けと言える。

私は筆箱や学校指定のカバンにニノのフルネームや嵐の名前を書き、熱烈にニノ担アピールすることに余念がなかった。

恐ろしくダサいかもしれないが、当時そのあたりでは流行っていたのだ。

瞬く間に私の部屋中の壁という壁はニノと嵐で埋め尽くされ、Mステでの投げチューシーンは死ぬほどリピートされた結果テープが擦り切れてしまい、カッコ可愛く投げチューしてくれるはずのニノが半目で停止してしまう羽目になり、「私が見すぎたせいで!!ごめんねニノ!!」と泣いた(マジ)

今はもうジャニーズではなくなってしまった、当時「西のタッキー」と大人気だったJr.渋谷すばるとの共演ドラマ「あぶない放課後」を、まだファンではなかったため見逃していた私は、借金してまでVHS全6巻を購入した。

確か3万ちょっとだったと思うのだが、中学生のお小遣いでは買えない。分割でちまちまと月々3000円を払っていた記憶がある。

今のように、サイトで嵐の出演CMが提供となる番組を知るということもできなかったので、いざCMをやるとなればそれこそ刑事並みにTVの前でビデオの録画ボタンに指を乗せながら張り込んでいた。

DVDやBlu-ray世代には通じにくい話題で申し訳ないが、VHSというのは初期化などということをしなくてもちょっとしたミスで上書きがされてしまう。

母が、私の嵐専用ビデオテープの上から自分の見たいドラマを上書きしてしまったことがあった。

とんでもなく申し訳なさそうに謝ってきた母に対して「やっちゃったもんは仕方ないよ、5000円で手を打つ」と言い放ったのだからまるでヤクザだといまだに我が家では語り草である。

ちなみにその5000円は翌月発売だった嵐の初ライブVHS代となった。今では廃盤らしいので大事にしまってある。

当時嵐は、確か記憶では月~金の23時過ぎくらい?ラジオ番組の中で5分間くらいの「嵐音(あらしおん)」というコーナーをやっていて、これも毎日カセットテープに録音して、メンバーの会話も暗記するほど聴きつぶした。

あまりに聴き込んでいたので、断片的にではあるが好きなエピソードは今でも覚えていたりするほどだ。

特によく聴いたなぁと思うのが、ニノが自作の「カセットテープ」という曲が流れた回で、私はこの曲の音源化はいまだに願っている(同じことを思っている人がいたらぜひお話したい)。

大げさでもなんでもなく、口を開けばニノの話しかしていなかったので、当時の同級生たちの間ではいまだに「私と言えばニノ」のイメージが根強いようだ。

先日、ニノの結婚報道の際「え…誰だっけ…」と思うくらい長らく音信不通になっていた者からも数人、連絡をもらった。ウケた。

「おまえが結婚すんじゃなかったっけ~(笑)」とからかってきた男友達には「ちょっと予定は狂ったけど、今の本命はまだ独身だから大丈夫」と返したら心配されるどころか安心された。それでこそおまえだと。

いや心配しろよ、いくつだと思ってんだよ。

そう、今の担当はまだ独身なのだ。いやそんなことはおいといて。

忘れもしない、中3の夏のことだった。部活も引退し、あとは受験勉強一色になろうかというちょうどその頃。

そうこうして盛り上がっている時に、くそ田舎のイチ中学生だった私のもとに、とんでもない報せが飛び込んできた。

「今度ドームである、Kinkiのライブのチケットが取れたんだけど、一緒に行かない?」

例の、Kinki担の友人からの誘いだった。チケットは4枚。同じ部活の同級生をもう一人誘っているらしい。

ちなみにドームというのは東京ドームでもなく、名古屋でも札幌でもない。私たちの地元にもあったのだ、「ドーム」と呼ばれる施設が。

行かないわけがないじゃないか、そんなの。

…と思うと同時に、色々な心配がよぎった。ドームまでは車で2時間くらいかかる。あと、チケット代もある。どうやって?

「うちのお父さんが、車で送り迎えはしてくれるから。あとはお母さんに聞いてみてね」

私はすぐさま帰って親に相談…というか報告をしたのだと思う。

「行くから!いいよね?車出してくれるんだって!チケット代は…あとででも返すから!!ね?」

母の返事は記憶にない。記憶にないということは特に揉めもしなかったんだろう。

そうして私は、人生で初めてのライブというものへ足を運ぶこととなった。

まさしく夢見心地だった。

生きているうちにいつかは行きたいと思ってはいたが、思っていたより早くその夢が叶おうとしていたからだ。

そういうことを彼らがしていることは知っていたけれど、自分がその場所にいることができるのだなんて、もっとずっと遠く未来のことだと思っていたのだ。

それがまさか、こんな子供のうちに、しかも地元で叶うなんて。

前日からよく眠れなかった。遠足や修学旅行の前の日なんかよりももっともっとドキドキした。

今はニノに夢中ではあるけれど、KinkiのことだってTVに出ていれば見るくらいにはまだ好きだったし、CDは毎回このKinki担の子が貸してくれていたので曲もよく知っていた。

グッズ売り場に並んで、剛のうちわを買った。あと、知る人ぞ知るジュニア名鑑も買った。私は当時、Jr.では山Pが一押しだったので、山Pが載っているなら買おうかなと思って買ったのだ。

グッズ代は確か、母が持たせてくれた気がする。

うちわを手にしたらいよいよ本当に「これからジャニーズのコンサートに行くんだなぁ」という実感が湧いて、ますますワクワクしてきた。

当時はもちろんまだ紙チケット。もぎってもらって、中に入ると…

まさかの花道真横、アリーナ最前ブロックの3列目という初ライブにして運を使いすぎていやしないかおまえと言いたいほどの神席だった。

いざコンサートが始まると、私はただただ圧倒されるばかりだった。

光一が、剛が、目の前で歌っている。話している。踊っている。

「本当の…本当にいるひとだったんだ…」

と、私は感動していた。CDで、TVで、何度も見たあのダンスを、何度も聴いたあの声を、私は今生で、目の前で味わうことができているんだ。

何度も、何度も何度もその事実を噛み締めていた。

後にも先にも、あれほどまでに強い興奮を覚えたライブは、あれだけだっただろう。

これから先も何度もライブには行くつもりでいるが、それでも人生で初めての瞬間に勝るものはないのだろうと思っている。

…ところでこのライブのさなか、Kinki以上に私の心を奪っていった者がいたのだ。

Kinkiに会えた感動は大きいがしかし、いかんせん元カレ(ちがう)である。

嵐のライブに来ているのとはわけが違う。

「ライブというものを観れた」「生のKinkiに会えた」感動はあったがしかし、「一番大好きな人に会えた」のとは少し違っていたのだろう。

なんせ花道真横だったので、Kinkiも通るがそれ以上にJr.が通ること通ること。

私は当時、Jr.は顔と名前が一致している人だなんて数えるほどしかいないくらいの認知度だったので、大概誰だかわからなかったが、なんとなく手を振ったり振らなかったりしていた。

バックにJr.がついているライブに行ったことのある人間なら想像ができるだろうが、なんせJr.というのはニコニコと愛想良くしてくれる。

そしてこれも、いわゆるドームという会場に行ったことがあればわかるだろうが、メインのアイドルがメインのステージにいる時間というのはそれほど長くなかったりする。

なんせキャパが広いので、メインステだけにいては後ろのお客さんが楽しめないじゃないかということで、アイドルは右往左往に走り回る。

トロッコで後列に行ったり、センターステージやバックステージまで行ってしまえば、メインステ最前ブロックにいる私たちにはもうほとんどKinkiの姿を目視することはできない。

その間は、花道で踊っているJr.を眺めることになり、結果としては割と長い時間Jr.のことも見ていることになる。

最初かは「山Pいないんだよなー」なんて思っていた私もそのうち楽しくなってきていた。

そして何度も花道を通るものだから、「あ、あの子可愛い」という子を一人二人見つけた。

「可愛い」と思った子が近くに来るたびに手を振っていたら、向こうもなんとなく、こっちに来ると見てくれるようになった(気がした)。

一番可愛いと思っていた子は、たまに笑ったりしてくれていたけれど、二番目に可愛いと思っていた子は、よく手を振ってくれた(気がした)。

単純な私は、その二番目の彼のことを目で追うようになっていた。

このコンサートの、たった2時間やそこらの短時間の間で。

そして、コンサートの終盤で、彼は(たぶんだけど)私の方を指さしてから手を振ってくれたのだった。

この瞬間が、私があのニノの投げチュー以来人生で2回目となる「堕ちた」瞬間である。

今のところ、これが私がジャニーズに堕ちた、2回目であり最後の瞬間ということになっている。

現在も担当としている亀梨和也との出会いの瞬間のことは、人生で初めてのライブの思い出と相まってとても印象深いものとなって胸に残っている。



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