ほんとうのきもち

最近両親、とくに母とすごした幼い日々のことをよく思い出す
不意に思い出しては涙が出る理由がよくわからなかったし
きっとそうして愛情を注いでくれたにも関わらず
こうなってしまった自分を恥じている申し訳なさなのだと思っていた

私の両親との記憶はビデオで見たものを除くと
おそらく一番古いのが母の職場へむかう車の中
朝ごはんを食べる時間がないから、小さなお弁当箱にごはんをつめて
焼いたたらこがまんなかに埋められていたのを食べていた気がする

幼いころから父も母も働いていて、祖母に面倒を見てもらっていた
幼稚園にはスクールバスで通っていて、お迎えの時間には母はもう仕事に出ていて
父はそれより早く家を出ていたから朝に顔を合わせることは少なかった
だからいつも、行きも帰りもバス停までのお迎えはばあちゃんだった。
幼いころに一番一緒に居た祖母のことをほとんど思い出せないのは
当時からとくに気にしてはいなかったとはいえ本当は寂しかったからなのかも知れない
友だちもいたし、そもそも一人遊びが得意だった
一人っ子で親戚にも年の近い子が少なくて、会うこともほとんどなかったから
好き嫌いが多くて給食は苦痛だったけれど、それでも毎日たのしかった
週に一度だったか、ときどきあるお弁当の日がすごく楽しみだったんだ

今思えば両親とのスキンシップは少なかったような気がする
抱きしめられたり頭をなでられたりした記憶があまりないのだ
父とは昔ながらの遊びをときどきした記憶がある程度で
母には叱られた記憶ばかり遺っている

抱き合ったり髪をなでたり顔に触れたりキスをしたり
後ろから抱きしめられたまま一緒に眠ったり
そういうスキンシップがたまらなくすきだ
セックスは別に嫌いじゃないから流れでするならそれでもいい
だけどセックスをしていてもとくに愛を感じない
セックスに至るまでの触れ合いがたまらなく幸せで
愛されているような気になる

実家に自分の部屋がなく母と一緒に眠っていたころ
向かい合って眠るときは抱き着いて頬に触れながら眠った
寝返りを打ったら後ろから抱きしめられながら眠った
そういう母とくっつける時間がとても大切だったと今ならわかる
まるで幼いころに足りなかったものを埋めようとしているかのように
母にしていたこと、してもらったことを適当な男となぞっている

愛されなかったなんて思わない、十分すぎるほど愛されていた
それは今も変わらないのだけれど
きっと共働きであまり時間を共有してこられなかった私たちは
おたがいに話して伝えることが下手くそなのだと思う

悩みや悲しみを打ち明けることをしなくなったのは
辛くて辛くて泣いて訴えても母が救ってくれるわけではないと
中学生の頃に知ったから

そのころからそういったマイナスの感情を打ち明けるのは
PCの画面の向こうにいる誰かになった
今更苦しみを打ち明けるなんてできないし
望まれて生まれて愛されて育ったのにこうなった自分が許せないから
申し訳なくて死んで詫びたくてたまらない
これ以上迷惑をかけ続けるくらいなら死にたいと本気で思っている

この感情を父にうまく話せなくて喧嘩みたいになってしまったあの日
両親からLINEの通知がくるのも辛くて家族のグループから退出した
その頃くらいから私と同じように鬱の気がある伯母からよく連絡がくるようになった
きっと両親に頼まれているのだと思う
ほらまたそうやってさ、正解なんだけどさ、
諦めて誰かにまかせてしまうじゃない
本当に私の両親だなあと笑えてしまう

「死にたい」なんて両親に向かって言えるわけがなくて
「しんどい」に替えてこぼしていた
「生きて迷惑をかけるのが辛い、もう死にたい」と親類に話したのは初めてだった
「生きているだけで、存在しているだけでいいんだよ」と言ったのは伯母だった
「パパもママもそう思っているよ」と言ったのは伯母だったんだ
どうにも現実味がないのだ、もちろんそうだとは思うけれど
率直に「両親から聞きたかったな」と思ったのだ

父と話したときにあまりにしんどくて号泣しながら「死にたい」と言った
スマホに不慣れな父が追いつけなかっただけかもしれないが
「死ぬな」なんて言ってくれなかった

辛くても生きるか死んで楽になるか、死ぬならどうやって死ぬか
そんなことばかり毎日毎日考えている私と
どうやって生きていくのか、を問う父
会話が噛み合うはずがないのだ

「どうするつもりなんや?」じゃなくて「死ぬなんて言うな」って言って欲しかった
「大丈夫だよ」って、なにも根拠がなくても言って欲しかった

私が本当に抱きしめられたいのは、頭をなでられたいのは、添い寝してほしいのは、他の誰でもないママなんだ

実家で共に暮らしながらもずっと寂しかったのだ
実家に帰りたくないのは誰も抱きしめてくれないからだ
触れられないだれかしか寄り添ってくれないからだ
寄り添って欲しいと伝えることもできない自分が苦しいからだ
私がいなくなって、それが当たり前になった両親の生活の中
実家に帰っても私はお客さんで まるで空気みたい
私がいない生活が当たり前なんて、実はずっと前から両親は変わっていないのかもしれないな
与えられる役割でしかない娘というポジションに、私が当たり前のように居座っていただけだ
だってそれがすべてだったから

そういえば以前年末年始だったかに実家に帰ったとき
なんとなく触れたくて母に後ろから抱き着いたことがある
母は普通に受け入れてくれて、後ろから巻き付く私の手を握ってくれた
「こういうことしてもいいんだ」って思った瞬間だった
拒否されるとも思っていなかったけれど、
なんとなく「もう子どもじゃないから」しちゃだめなんだと思っていた

お金とか生活とかそういうことじゃなくて
もっとこう 触れ合いとして 甘えたかったの ずっと

たったこれだけのことに気がつくのに随分時間が掛かってしまったな、
つらいよしんどいよさみしいよってわけも分からず泣きじゃくる私をあやして
「どうしたの~大丈夫だよ~」って抱きしめて背中を叩いてほしい
私が眠るまで抱きしめて髪をなでていてほしい
子どものままなのは両親のなかの私だけじゃなくて
私自身幼い自分のままだったんだ
恋人の前では幼い自分に戻ってしまうのもそのせいなのかもしれない
あんなに帰りたくなかった実家
今は両親のもとへ帰りたい
今の気持ちをすなおに伝えて泣きじゃくってしまいたい
そうすれば少しだけわたしは 大丈夫になれる気がするの

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