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ドメニコ・カッタネオ監督への取材(3687字)


――本日はお時間いただきありがとうございます。手に持っているのはぬいぐるみですか。

 新スポンサーになった映画会社の作品のキャラクターだよ。うちの子どもたちがファンだという話をしたらグッズをくれたんだ。今日は試合の結果以上に子どもたちから褒めてもらえるかもしれないね。

――それでは子どもたちのためにも早く終わらせましょう。今日の勝利で優勝スクデットにまた一歩近づきました。試合を振り返ってください。
 非常に良い内容だったと思う。前半から我々のフットボールを披露でき、相手の狙いに対してうまく対応した。スタジアムの雰囲気も素晴らしく、今夜はサポーターにも美味しい酒の肴ストゥッツィキーニをプレゼントできたんじゃないかと思う。

――試合前からスタジアム全体の雰囲気も良かったように思います。監督が加わる試合前の円陣は、もはや風物詩の一つになりつつありますね。
 最近でこそピッチに入る光景も当たり前に受け入れられるようになったが、当初は随分と非難されたね。神聖な芝生に革靴で入るんじゃないって。表彰式でトロフィーを授与するお偉いさんたちは何も言われないのにまったく変な話だったよ。

――あなたが就任してからチームは着実に成長しており、ドメニコ・カッタネオはクラブ史上最高の監督だと言う熱烈な支持者ティフォージも多くいます。成功の秘訣は何でしょうか。
 それはとても嬉しい評価だ。なんてたってクラブはサポーターのものだからね。元々このチームには素晴らしい人間性を持った選手が揃っていたし、いつ上位に入ってもおかしくないと思っていた。まだ成功を手にした訳ではないけれど、目標を達成するにはチーム一丸となることが重要だ。

――その反面、他チームや一部の専門家からはあなたの表現するフットボールは教科書通りで退屈だ、スター選手もいないし金を払ってまでスタジアムに足を運ぶ価値はないという声もあります。
 部分的にはそれらの意見に同意するよ。私たちのスタイルは没個性的だし、驚きのあるプレーで魅了してくれる奇術師ファンタジスタもいない。もちろんフットボールのどこに価値を置くかはそれぞれの自由だが、彼らの声はノスタルジーに過ぎないと私個人は考えている。フットボールが十一人の個性で成り立つスポーツだったのは過去になりつつあり、これからは一対一・・・の競技に向かっていくというのが私の見解だ。

――それは〝ステア〟の影響によるものでしょうか。
 そうだ。元々、統率の取れた部隊を編制する軍事技術として誕生した意識混合ステアはフットボールにおいても重要な要素となりつつある。最初はアメリカンフットボールのヘルメットに内臓されたインカムと同程度のものだと思っていたが、取り入れてみるとすぐに間違いだと気付いたよ。ステアはもっと深い階層で私たちを共有させる。フットボールに限らず団体スポーツ全体を変えるだろうね。観客からみえる肉体が複数あったとしても、それらは一つの混合された意識の元で動く部品となる。比喩的な意味で選手と共に戦うというフレーズがあるが、私は今まさにそれを体現している。ステアの誕生以降、フットボールはいかに全員が有機的に機能するかという点に重きを置くようになってきていると思う。

――おっしゃる通り、ステアの活用は現代フットボールにおいて不可欠なものになりつつあります。しかし取り入れている多くのクラブは、あなたのチームほどのプレーができていません。何が他と違うのでしょうか。
 二点あると考えている。まずは倫理的に善き人間・・・・であるかどうか。ピッチ上の十一人に加え、監督の意識を混ぜ合わせるというのは複雑な作業だ。これまでのキャリアや年齢、出自など背景が別々の人間たちが一つになろうとするんだからね。十二種類のリキュールを使って美味しいカクテルを作ることは難しい。それと同じことだよ。

――いわゆる「手のかからない子」であることが大事なんですね。
 当時はメディアに騒がれたから君も知っているだろうが、かつて所属していたある選手がチームメイトのパートナーと関係を持ったことがあった。それが発覚したのは試合中だ。当該選手が被害にあった選手にパスを出したときに一瞬……ある種の優越感のようなものが試合への集中力を欠かせたのかもしれない。それがステアを通して私たちに漏れ伝わった。このショッキングな出来事は私たちを驚くほど簡単に崩壊させ、規律を失ったチームは当然敗北した。たとえ優れた選手であっても、ステアをベースにしている私たちにとっては善い選手である方が重要だった。この事件はクラブの方向性を決める決定的な出来事になったと思う。有機的に機能するには私欲を捨てチームの勝利のために献身的になる必要がある。場合によっては相反していた人間性と選手としての資質は今や重なりつつある。そうなると派手でセレブリティな選手や、どこか憎めない悪童たちは不要だ。かつての意味での偉大な選手カンピオーネはいなくなるだろうね。

――しかし、人間同士の共有がうまくいくものなのでしょうか。誰でも自分ですら理由のわからない機嫌が悪い日があったりもします。善き人であり続けることには不確定な要素が多い気がします。
 人の心は複雑で深く気まぐれだ。その指摘どおり本人の純粋な人間性だけに頼るのは危険だろうね。各選手が家族や友人と円滑な関係を築き、試合に意識を集中できる環境を整える努力をすることはもちろん重要だが、社会で生きている以上自分ではどうしようもない部分も出てくる。たとえば選手たちは日常的にソーシャル上でフェイクニュースや誹謗中傷の対象となっている。メディアやパパラッチの下心からも保護される必要がある。そこでもう一つの要素が加わってくる。物語・・だ。

――なるほど。それが二つ目のキーワードなんですね。詳しく話していただけますか。
 試合前の円陣もそうだが、あの行為そのものに意味はない。しかし、ただのパフォーマンスという訳でもなく、そこで私たちは一つであるというメッセージを確認し合っている。私たちだけの物語を築き、共有し合うことで試合中はフットボールのみに集中していく。俳優たちが別の人物を演じるのと似たような感覚かもしれない。意識を共有し、自身の感情を抑圧することで私たちは強化される。選手たちが外からの言葉で傷つけば、それすらも団結するための物語の一部にする。そうやって自分たちを囲い込み、一つの集合体を成す。その密度を高めるために物語が必要なんだ。

――これまでのフットボール観とは全く異なるものですね。
 今のトレーニングや考え方を私が現役だったの頃の監督たちが見ると驚くだろうしイライラするだろう。物語? そんな嘘なんか気にしないで本物のフットボールをやれってね。だが、フットボールは人生であり、人生はまた物語そのものだ。今回、我々が映画製作会社と契約したのも物語性の強化を期待してのことだ。彼らが持っている人の心をつかむためのメソッドをもっと学びたい。実験的にチームにシナリオライターを迎え入れることも検討している。信じられないよね、スポーツクラブのスタッフに脚本家が入るなんて。

――確かに画期的ですね。ただ同時に内向的な印象を受けます。それが必ずしも悪いとは思わないのですが、ベクトルが内向きだと将来性をあまり感じません。これが本当にフットボールの向かうべき未来なのでしょうか。
 将来性とは恐らくこのチームが世界中にファンを持つメガクラブにならないという意味だろう。その点には同意する。この方向性だと遠く離れた海外のファンや巨額を出資するスポンサーを獲得することはないと思う。しかし、フットボールは究極的にはただの玉蹴りだ。我々のクラブが描く未来は選手たちをフットボール小僧に戻すことであり、スタジアムに足を運ぶ地元のサポーターに週末の娯楽を提供することのみを意味する。

――最先端の技術を使い、原風景に戻るという話はとても興味深いアプローチです。
 フットボールには独特の魅力がある。それはいつの頃からかナショナリズムの手段としても使われるようになり、その熱狂性がグローバル資本を引き寄せた。しかし本来はもっと土着信仰に近いものだと思う。同じユニフォームを着れば、そこにいる誰もが等しく楽しむ権利がある。繰り返しになるが、たかが玉蹴りだ。それなのに世界中にファンが存在し、高額なマネーゲームが展開され、人々の暴動が起きるなんて変だよ。ステアは純粋なプレーモデルに立ち返るためのシンプルな技術だ。膨らんだ未来の終着点は、きっと原点に戻ってしまう・・・・・・ことになると思う。だって、私たちはどこまでも発展する訳じゃないからね。

――ありがとうございました。以上で取材を終了したいと思います。とても刺激的な時間でした。
 こちらこそ楽しいインタビューだった。じゃあ、私は子どもたちにぬいぐるみを渡したいから失礼するよ。家族が何よりだからね。君もよい週末を。【了】

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