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干梅

先日小学校から帰宅した娘がやたらと空腹を主張し、お菓子を求めて家捜しするので、どうしたのかと聞いたら給食をあまり食べなかったという。配膳の量が少なかったわけではなく、好き嫌いで減らしてもらったそうなのだ。彼女があっけらかんとしているからなのか、パンデミック帰国を果し、転入して入った私の母校にはやさしい先生ばかりいるようだ。私が五歳で来日し、翌年入学した頃の先生達は厳しかった。隣の席の少年にちょっかいを出され、場違いに騒いでしまって廊下に放り出されたことも幾度とある。特に嫌な思い出として残っているのは給食を完食しなければいけないルールであった。小学校低学年まで私は食べるのが異様に遅かった。食材に好き嫌いがあるわけではなく、食事のスピードがただただ遅かったのだ。中庭に面した一階の教室で、みんなが遊びに出てしまって灯りも暗くなった中、半ベソでひとりモソモソ進まない箸を口に運んでいた。

今思うと、私の自信のなさは小学校低学年のこのころの落ちこぼれぶりに因果があるようだ。この、人より遅いために(給食や言語であったり、ソーシャルキューであったり理由はさまざまなれど)バツを受ける経験は思ったより自分に爪痕を残していたのだった。忙しかった母も言語問題を抱えているので、学校に文句を言ったりはしてくれず、ちらっと困りごとを話してみても、「あなたに問題があるのだから自分でなんとかしなさい」と一蹴されてしまう。それで今になっても心の深いところでずっとなんでも自分が悪いと思ってしまう節があるのだ。

そんな母に、娘世代の学校の変わりようについて驚きをもって話してみると、給食がつらかったのは私のトロさが原因ではなく、ただ味付けが合わなかったのだと言い出すではないか。六歳の自分は置いといて、大人の自分になって考えてみれば、そんなことは当たり前であった。ケチャップもマヨネーズも口にしたことがない。日本の味付けはなんでも少し甘くなっていて、出汁の味だって醤油の味だって味噌だって違う。一番嫌いだったコールスローやミカンサラダに至っては、生野菜を食べる習慣自体がなかった。給食で出る食べ物は初めてづくしで口に合わず、どれも小さく口内でウゲェとなってしまい、なかなか飲み込めなかったのだ。

そんな私は、悪いことをしている後ろめたさを秘そめながら、秘密兵器を持っていた。それが『干梅』である。日本の梅干しとは違って、数種類のスパイスと調味料を染み込ませた後、カラッカラになるまで干し上げた梅干しである。塩味も酸味も強く、クローブが良いアクセントになっていてクセになる味だ。今では中華街でも本場物を手に入れることができるし、少し味は違うけれど『すっぱまん』という名前でコンビニに売られていたりする。でも当時は上海から送られた荷物に入れてもらったり、帰省した時に持ち帰ったり、帰省した人にもらったりと(私にとっては)貴重品であり、大好物だった。なかなか給食を時間内に食べられない私は、この干梅を2個ほどティッシュにくるんでポケットに隠し持つようになった。給食を飲み込めない時や後味があまりにも悪いとき、ポケットの中の干梅をこっそり小さくちぎって口に入れる。すると、気持ち悪さがスッと消えて次の一口を食べることができた。実だけでなくタネにまで味が浸透しているので、下校時は実ぐるみ剥がされてタネだけになったものを口に放り込んでずっと吸っていることができた。そこはもう私には小さな故郷だったのだと思う。干梅を味わっている時だけは、少なくとも口の中は、祖父母、家族のいる上海だった。

そんな、先生にとっては「困った偏食児童」だった私も、数年たつ頃には、日本語がわからなかった日々があったことを忘れ、日本の味にも慣れ、給食で好きなメニューの日にはおかわりすらするようになった。それでもセーフティブランケットと化した干梅はずっとポケットにいつづけ、私のポケットは干し梅のカスでいつもざらついていた。



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