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sorte glass:どん底でも創造的な作品作りは絶対に諦めなかった。本懐を忘れなければ、どれだけ回り道をしても道は必ずひらける。

※この記事は、丹波篠山市福住という宿場町に集う事業者を紹介した冊子の中に掲載されているインタビュー記事です。(まとめはこちらから

福住の大きな旧農協倉庫に工房を構える吹きガラスアーティストの関野夫妻の元を訪れた。極めて微細な線を描いた美しいベネチアングラスは、素人目にも高級に映る。現在では東京の美術館で展示されたり、様々なメディアに取り上げられ、関野さんの工房を目当てに著名人が訪れることもある程だが、決して順風満帆ではなかったとお話してくれた。

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ガラスを溶かす「炉」を動かすためには、ランニングコストがかかる。一回動かし始めると途中で止める方がコストがかかるため、製作はまとめて行うそう。工房を構えた当初はまだ知名度も無く、作品が売れないために旦那さんの亮さんは近くのコンビニで早朝にアルバイトをして、炉を動かすお金を稼いでいたそう。

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「仕事観として、場(工房)を持つことが最初にあった。まず場を準備して、本懐を忘れなければどれだけ回り道をしても道はひらけると思ってた」関野さんのベネチアングラスは高い技術を必要とするため、決して安価ではない。けれど、単価が安いものを作ることはせず、自分の良いと思う質が高いものを作って、いいと思ってくれる人に買ってもらう。そこの面だけはブラさなかった。

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しかし、工房を構えて3年くらいまでは経営的には非常に厳しい状況だったそう。そんな折に奥さんの裕子さんが始めたガラスのジュエリーが、軌道に乗り始めた。

「ソルテグラスという工房が立ちゆくようになったのは、彼女がアクセサリーを開発したからです」亮さんは、はっきりとそう言った。

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「吹きガラスの工房は、定期収入を体験で稼ぐところが多いけれど、うちはあまりそれが2人とも得意じゃなかった」と奥さんの裕子さん。「お金が無くて、炉もまわせなくて、あるもので何か作れるものは無いかと模索した結果生まれたのがジュエリーだった」

結果として、新しいブランド、ソルテグラスジュエリーは多くの反響をもらい、取引先も増える好循環が生まれた。お二人の吹きガラス作家としてのクリエイティビティ・姿勢も伝えられるし、技術から生まれる品物として説得力があって、他のものと一線を引けるブランドを構築できた瞬間だった。

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ベネチアングラスで製作するゴブレットを筆頭にこだわった作品づくりに集中し、亮さんはトヨタのレクサスが選ぶ日本の50人の匠プロジェクトに選ばれた。日本全国の著名な匠たちと並んで名を連ねる亮さんは、高校卒業から吹きガラス一筋で自身のスタイルを貫く。「最初にガラスをやりたいと思った時に、ワイングラスをつくりたいと思った。その時の吹きガラスの先生がベネチアンのものを作っていて、単純にそれが綺麗だなと思ったから作りはじめて。20数年になるかな」

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「模範とする作家さんは海外にいて、(グラスの)プロポーションやラインを見たりする。この形式で綺麗なものをつくることが楽しくて、自分はゴブレットを通じて美しいものをつくる、美の表現をする」20数年、ぶれない想いから進化し続けるゴブレットは、表現の追求を最後まで諦めなかったお二人の信念のようにも感じた。

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関野さんのグラスは、ゴブレットのような高級なグラスの他に、なりとぱんさんで使われていたような、レストランで使える小さなグラスもある。同時期に移住し古民家を活用したイタリア家庭料理のお店、トラットリア・アル・ラグーさんも、開業時に関野さんにグラスを依頼した。

Next→trattorìa al ragoût:全然人がおらんところが面白い。イタリアの田舎まちで見た小さなコミュニティで生きるバールとしての店づくり。

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Art direction・design:中西 一矢(SANROKU)
photo:大崎 俊典(photo scape CORNER.)
interview・writing:安達 鷹矢(㍿Local PR Plan)

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