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#4 自然農法から学ぶ、食べるウォンツ


富山で活動している、社会起業家・クリエーターの明石博之です。

前回、ビストロ「RIZO」の盛田シェフとお話をしたあと、飲食店という存在の不自然さに、心を奪われてしまいました。あらゆる経営の無駄を排除し、非効率なクリエイティブワークを勝ち取った先に、目指す料理の世界があるとしたら、料理人は多くのものを犠牲にしなければならないのか。いや、それこそが、幸せなのだろうか。

もしかすると、料理人には、もっと異次元の活躍ステージがあるのではないか。400年くらい変わらない、飲食店のフィジカルな体験価値を大事にしすぎて、ビジネスフレームを狭く捉えているのではないか。本当は存在していない亡霊に取り憑かれて、料理人とはこうあるべきだ、という自己肯定に陥っているのではないか。・・・考えすぎでしょうかね。

フィールドをがらっと変えて、今回は食の生産地から、話を広げていきたいと思います。

地方移住を考えていた頃、実は農業に憧れていました。当時、アトピー性皮膚炎を治すために勉強していたことの1つが、自然農法でした。自然農法との出会いは、福岡正信さんの著書「わら一本の革命」で、この本に書かれている生命の自然な姿に、心が救われました。

そのことを思い出して、福岡正信さんのことを調べていたら、自然農園の立派なWEBページが出来てきて、感激しました。いつかまた、現地に訪問してみたいです。ホントに癒しの聖地です。

それから、移住先を富山県に決めた直後、氷見市で自然農法で米や野菜をつくっている土合将元さんという方を訪ねました。そう、本当に農業をしようと思っていたのです。結局、当時勤めていた会社の経営を引き受けることになり、農業の道は諦めましたが、今でも自然農法には大変興味があります。

富山県に移住してからも、土合さんとの交流は続きました。土合さんの野菜を宅配してもらったり、うちのカフェで加工品を使わせてもらったり。自然農法の現場が、暮らしている地域にもあると思うと、それだけで勇気と希望が湧いてきます。

今回の取組みを本格的に始めるとき、絶対に土合さんに色々な意見を聞いてようと心に決めていましたし、久しぶりに「土合節」が聞きたくなって、連絡をしてみました。記事は、そのやりとりの記録です。どうぞ、最後までお付き合いください。

1.いつもこの人の意見を聞きたくなる。

明石:土合さん、お久しぶりです。今どんな感じで営業しているんですか?農業にもコロナの影響出ていますか?

土合:うちは会員向けでやっている野菜の宅配事業があるから、そんなに大きな影響を受けてないですね。アフターコロナでどんな社会になるか分からないから、身軽に動けるよう経営体制を整えているところです。

明石:さすがですね。今日は他愛もない雑談がしたいなと思ったのと、これからのローカル食文化を真面目に考えて、生活者、生産地、それをつなぐ産業がもっと豊かになるようなしくみをつくりたくて、土合さんに色々と話を聞いてほしいと思って、連絡しました。

土合:なんか、面白そうなテーマだね。前から思っているんだけど、生産者と消費者は、お互いにカウンセリングできる関係だったら、双方の仕事や生活が豊かになると思うんですよね。今の食文化は「情報」が占める割合が多すぎて、人間の五感が働いていないまま、食が消費されている気がします。

明石:情報が多いとは、どういうことですか?

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土合:現代人は、情報を食べているというか、食べ物の大部分を視覚情報で捉えている気がします。「美味しい」という実感よりも、「美味しそう」という情報を取得することで満足していると思うんですよ。

明石:なるほど。デジタル社会の象徴のような話ですね。いわゆるインスタ映えじゃないですけど、料理の評価基準が大きく変わったような気がしますね。「美味しそう」のほうが大事になっていますよね。

土合:人間の五感の能力は、そもそも自分の命を守るためにあるもの。とくに味覚と嗅覚は、命に直結する感覚なので、これが鈍くなると生命の危機につながるんじゃないかと思うんです。味覚と嗅覚は、脳で情報処理しなくても瞬間的に、反射的に危険を察知できる能力だと思います。

明石:確かに、腐ったものを食べたら、無条件にヤバイ!と感じることができますよね。では、視覚との差はなんですか?

土合:視覚は誘導しやすい感覚です。言い方を変えれば、騙しやすい感覚ということです。「美味しそう」という情報を誘導すれば、脳が美味しいと思い込もうとする。だから、脳が感じる幸福感と、体の芯から感じる幸福感のギャップに苦しむことになるんです。不健全ですよね。

2.気が付けば、私も情報に誘導されていた。

明石:世の中の食の産業は、WEB情報、つまり視覚情報を頼りに人々の行動を誘導しています。それによって出会ったリアルの食に満足感が得られれば、それはそれで良いという見方もあるような気がしますが。

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土合:経済の原理はそうかもしれませんが、根本的な食べ物の価値を忘れているように思います。動物であれば、季節によって食べたいものが変わってきます。人間も生き物なので、そうあるべきだと思います。視覚的な情報ではなく、季節で変わる好み、独特の匂い、体調の自然な変化など、そういうサイクルによって、食べたいものが変わるはずです。

明石:見えてきました。自然界は、動物がその季節に必要なものを提供してくれるし、人間もその自然の恵みと連動して食事をしないと不健康になる。そんな感じでしょうか。

土合:そうですね。食べ物の本来の価値とは、その時期に必要な栄養素を自然に、当たり前のように与えてくれることです。人間の潜在的な欲求と連動しているはずです。ところが、商業主義で、視覚情報による誘導が行われる社会は、人間の潜在的欲求を水面下に閉じ込めてしまうのです。

明石:ヤバイですね。そういえば、目隠して料理を食べると、あまり美味しいと思わないのは、そういうことが原因かもしれません。人間はあまりにも視覚を頼りに生きていると思います。今のような話を生活者の皆さんに伝えるような、伝道師の役割が必要ですね。

土合:だから、相互カウンセリングなんですよ。農家も消費者の考えに触れたいし、表層化されたニーズがあるなら聞いてみたい。さらに、潜在的なニーズであれば、それを掘り起こしてみたいと思います。お互いに学び合う機会は非常に少ないと思います。

明石:お互いの潜在的なニーズを探るには、ファシリテーションが必要かもしれませんね。大袈裟に言えば、命に関わる潜在的なニーズを引き出すには、一流のファシリテーション技術が必要になるはずです。

3.生産者と一緒にできること。

土合:今回のコロナの件も、この事態に込められたメッセージは何なのか、正面から議論する場が必要だと思います。究極的に困ったとき、はじめて変化が起こり、古いものから新しいものへと置き換わっていきます。コロナは人類に強制的な変化のチャンスをくれたのかもしれません。

明石:土合さんと話をすると、やっぱりこういう話になってしまいます(笑)ちょっと「Local Food Table」の話に戻しますと、生活者と生産者との太いパイプが ありきで、場所や手法によって「食を楽しむ」という価値を変えていく、選んでもらう、という発想がしっくり来ています。店で料理をつくってもらうという狭いレンジの体験で終わりたくないんです。

土合:今、うちの農園では野菜を使った真空パックの惣菜に力を入れています。大根のきんぴら、菜葉の佃煮とか、今は6種類かな。もともと加工食品に力を入れているんですが、農家が野菜をつくって、野菜を販売するだけでは利益が少ないんですよ。私たちのフェイズで、美味しい食材を提供することも可能なのです。

明石:「Local Food Table」の事業アイデアのなかに、様々な事情で料理に手間をかけたくないという人向けに、食材キットや惣菜キットみたいなものを宅配するというものがあります。店で料理を出すだけでは、広い世界で食を語れないと思うようになりました。土合さん、一緒にどうですか?

土合:ぜひ、一緒にやってみたいですね。自然農法の野菜に限ってしまうと量が提供できないので、有機農法でも、他の農家でも、色んな人と一緒にやってみたいですね。

4.土合さんが農家になろうと思ったわけ。

明石:そう言えば、土合さんのストーリーを語ってもらってないですね。土合さんが農家になろうと思ったキッカケはぜひ紹介したいです。

土合:わかりました。明石さんには何度も話したことあるけど、元々私は、土木業界にいました。農業を少し離れた場所から見ていて、農家はいつの時代も救われていない、と思ったのがキッカケですね。

土合:命を育てる産業が、社会的、経済的な成功とはほど遠い世界にあることに疑問を覚えました。自然のなかで仕事をしたり、技術的な研鑽を積んだり、農的な暮らしのあり方が好きだったり、そういう部分で満足が得られていれば良いのかもしれませんが、社会から尊敬されない仕事なんですよ。

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土合:尊敬されない仕事に就く若者は少なく、今では年金暮らしの高齢者がやる仕事になっている。20年くらい昔の話ですよ。農業は政府から保護され、社会からは自立できない産業と見られ、どちらかというと「下」の扱いを受けている。それを変えたいと思って、農業を始めました。

明石:農業が、なかなか経済的な自立を目指せない理由は何なんでしょうか?

土合:私は、自然農法で野菜や米をつくっています。肥料も農薬も使わず、本来のある自然の力だけで育てる農業なので、大変に手間暇がかかり、その分だけの商品価値はあると思っています。しかし、農産物は命を育てるものなので、どんな野菜であろうと大きな価格の開きはないのですよ。

明石:確かに、どんなに希少価値があっても、手間暇かけても常識的な相場感はありますよね。

土合:市場原理のなかでは、農産物の価格は安くないと売れないんですよ。野菜そのものの価値を理解してもらうよりも、加工品にすることでプレミアをつけて売る方法に力を入れるようにしました。ただし、これが唯一の方法であってはいけないと思います。

明石:数年後、農産物はどこにでもある、どこでも買える、だから安くて当然という理解は間違っていたと気づくかもしれません。年々農家が減っているので、近い将来、お金があっても、国産の野菜を食べることが贅沢になる時代が訪れる可能性だってあると思います。

5.いいテーマが見つかりました。

明石:農産物という物体的な存在ではなく、目に見えない付加価値があるとしたら、それは何だと思いますか。

土合:さっきも言いましたが、人間が健康で暮らせるよう、自然と農作物が連動して、人間がその季節に食べるべきものを自然が教えてくれるわけです。逆に人間は、その季節に収穫される旬のものが食べたくなる生き物なのです。そういった自然の欲求を取り戻すには、不要な情報をシャットダウンして、自分に問う時間が必要なのです。

明石:興味深いですよ。「Local Food Table」で取り組むべき本丸のテーマだと思います。人間本来の食べる欲求を取り戻すみたいな取り組みをしないといけないですね。

土合:土も、人間も、宇宙も、まだまだ解明されていない領域のほうが多いですよね。人間である自分自身が「本当は何を欲しているのかさえも理解できていない」という事に付け込んでいる連中がいるのですよ。膨大な視覚的情報によって、消費者自身にフェイクの欲求を植え付ける、それで経済的な成功を目指すのが今の世の中のしくみです。とにかく、面白そうなプロジェクトだから、ご協力しますよ。

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対談は、以上となります。

食べ物から発信される人間の本当の欲求に気づいてみる。それは、単に美味しい料理を食べるだけではダメですね。もっと深い研究に基づいた取組みの必要性を感じました。土合さんと話をすると、いつも何かの気づきがあります。

最初は「これからのソト食をどうしよう」という視座のプロジェクトでしたが、もっと自然と食べ物のことを真正面に捉えていかないと、結局は浅いレイヤーで、狭い世界をちょこちょこと動き回るだけになるかもしれません。コロナの影響で、あらゆることが、いとも簡単にちゃぶ台返しを喰らったように、時代に翻弄される活動ではいけません。もっともっと考えてみます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。



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