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自己紹介|誕生〜高校前半編。

こんにちは、Lisoです。現在休学中の大学生です。

前回の投稿の続き、経歴編(の前半)です。今回は割と平和な回(だと思います)。


経歴(というほど立派な物ではないけれど)

誕生

2004年2月の新月の夜、母の骨を折って誕生しました。

生まれてから割とすぐ、片耳が聞こえないことが判明しました。
が、とっても楽観的な私の両親。

「もう片方が聞こえるから大丈夫でしょ~」という教育方針(笑)のもと、地元の幼稚園に進学しました。

幼稚園

早生まれのせいか、片耳が聞こえないせいか、ただただぼーっとした子だったのかは分かりませんが、話し始めるのが遅く、幼稚園の入試の時はほとんど喋らなかったそうです(笑)

入園後も嫌な記憶はほとんどなく、割と平和に過ごしていた気がします。
両親共働き+小さい妹がいたので祖父母にたくさん遊んでもらった記憶があります。

(このタイミングで、母の子供に楽器をやらせたい!という希望から、ピアノとバイオリンを始めましたが、話が長くなりそうなのでまた今度。)

祖父母と行った大好きな滑り台。多分4歳。

小学校

上記に書いた教育方針のもと、聾学校には行かず地元の公立小学校に進学しました。

耳が聞こえないことで困ったことはそこまでなく、忘れ物の多さで困った記憶があります。(いつも注意されてたな💭)

好奇心旺盛でやりたいことはなんでも挑戦していた結果、小学校5年生の頃、縁あって当時所属していた合奏団でドイツに行きました。
(ここでドイツの街中に心を奪われ、のちにドイツ留学に行きます)

ドイツから帰国後、6年生で急に中学受験を決意し、急いで日能研に行き、気がついたら卒業してました。

中学校-高校1年

中学は母の勧めで、中高一貫の女子校に入学しました。

地元の中学にはない部活や授業、どこをみても女子しかいない、治安はいいけど騒がしくて面白い人たちに囲まれて、校則は厳しかったけどすごく楽しい3年間を過ごしました。

すっごく楽しい3年間だったのですが、いわゆるJK、青春を経験してみたかった私は、大学までエスカレーターでいけるありがたい環境を捨て、都立高校を受験しました。

ありがたいことに憧れの詰まった高校から合格をいただき、無事都立高校に進学。

可愛い制服、校則が緩い、共学、部活や行事が盛ん、全部手に入れたぞー!という感じで、本当に本当に楽しかったです。

が、高校1年の終わり、コロナ禍で休校。

中途半端な状態で高1に幕を閉じてしまい、次いつ学校に行けるのか、オンライン授業もほとんどなく外にも出られない。

3ヶ月後、学校が再開するのですが、、、

最後に

ここまで読んでくださりありがとうございます🤍

読んでいただいたので分かると思いますが、ここまでかなり順調ですよね(笑)

前回の自己紹介に書いてあった“不登校”のふの字もないじゃん!という感じだと思います。

高1まででかなり長くなってしまったので、一旦ここで区切りますが、次回「高2から今編」を投稿するので、ぜひ読んでくださると嬉しいです🎶

また次の投稿でお会いできますように:)

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