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#10 銀河の犬と水玉~曼珠沙華の伝言~


第6章 さらば青春の光

卒業と就職

 私の生きがいは音楽とジュビ子だった為に、仕事の種類は何でもよかった。
 元々私は人生全てを推しに賭けられる貴重なヲタク気質だった。
 高校の進路を決めたのも
 「イベントへ行く為には部活に入らずに家から近くの学校ですぐに帰って東京へ行きたい」ことから、近所の学校であること。
 しかし最も近所の高校は県立で2番目に頭の良い学校だった。
 普通科では落ちる可能性もあったが、またタイミングよくファンクラブのQ&Aにて「好きな女性のタイプは?」という質問に「家庭的な子」と推しが答えていた。
 私はすぐさま志望を家政科に変更した。
 後にそれが大正解となった。
 被服の授業ではコンサートの衣装が作りたい放題だった。
 友達の分も作り、色違いで揃えて行った。
 会場で着替えればいいものを、家からそれを着て出ていった為に、地元では確実に注目の的であり、帰りにはほぼ必ず駅の交番で職質にあった。
 部活にも入らずすぐに家に帰れた私は午前中だけの日は午後にテレビ番組の観覧に出かけることも出来た。
 そして私は、毎年発売されるアルバムをいち早く聴くためには音楽関係の仕事につくしかない、と考えた。
 レコード店に勤めれば、発売より早くにサンプルが送られてきて聴ける事を知っていたからだ。
 当時、ポスターはお店用の数枚しかなく、頼んでも貰えないのに、捨てられていたり、タイミング良くお願いした客がこっそり貰えていたりした。
 全ては店員になれば良いのだ。
 そう考えた私は進学校とされる高校にいながら、レコード店に就職する事に決めた。
 しかし家政科である。
 もちろん、当時地元に1店舗しかなかった大手レコード店からの内定枠など来ているはずは無かった。
 そこで私は会社の本部に電話をした。
 「どうしても貴社で働きたいので内定枠を貰えませんか?」と。
「貴方、変わってるけどその勇気と根性は凄いね。本来は指導の先生が連絡してくるものなのね。だから先生に頼んでみてくれないかな。」
 3年になってからの担任の先生には頼みづらいところがあった。
 そこで、もう隣のクラスの担任になっているのに、前に担任だった先生に相談してみた。
 変わり者の私を気にかけてくれていた先生は、厄介な案件を引き受けてくれた。
 ちょうど校長も変わり、進学率を上げたいから就職を、しかも枠が来ていない商業系に依頼をするなど、以ての外だっただろう。
 私は昔からいざと言う時に何故か助けてくれる人が現れるというありがたい出逢い運があった。
 そんな協力を得て、受けた会社は内定を取ることが出来た。
 しかし私には昔からどこまでもオチがつくという運命も背負っていた。
 私の人生の全てであるバンドが年内で解散だと決まった。
 もうアルバムも出ないのだ。
 ポスターも無いのだ。
 そのお店で働く理由は無くなったのだった。
 となれば、内定も卒業も関係ない。
 悔いなくファイナルツアーを追っかけるのみだった。

 高校3年の12月初旬。
 期末テスト最後の日にツアー初日の横浜だった。
 私はファンクラブに11人分入り、ファンクラブ先行のチケットで札幌と福岡以外の全公演を抑えていた。
 期末テストが終わったら一ヶ月ほど学校を無断で休んだ。

 そして最後となる紅白歌合戦の観覧当選の為に、バスケで骨折した手で往復ハガキ300枚を書き上げた。
 これには同級生や隣のクラスまで、皆が授業中に手分けして書いてくれたりもした。
 無事に2枚当選し、外れた友達にわけてあげることができた。
 人生の全てを賭けていた。
 そう、これが終わったら死んでも構わない。
 本気でそう思っていたのだから、就職も学校も悩む天秤にもかからなかった。
 そして1人で全国各地を周り、友達が何人も出来た。
 私設サークルで知り合った友達の家に泊めてもらう日もあった。
 各県にいたので、とても助けられた。
 ツアー最終日は東京だった。
 魂の全てを入魂した翌日は、関西から来ていた友人達と、虚しさを埋めにディズニーランドへ行った。
 楽しくてキラキラした夢の国のはずなのに、私たちは入口付近のお土産店の前のベンチに座り、誰も口をきかなかった。
 流石のディズニーランドでも、この虚無感を埋めることは出来なかった。
 そして数日後にはもう紅白歌合戦だった。
 その日の為だけの、新しい衣装を作って、たった1日だけ着た自作のその服は今もクローゼットに入っている。

 紅白歌合戦が終わってNHKホールを出ると、陽気に酔ってる人気俳優2人を筆頭としたグループに遭遇した。
 とても気さくにそこら辺の人達と挨拶を交わしては肩を組んで踊ったりしていた。
 私と友人もその波に混ざってみたものの、やはり心は晴れずに、Happyとは程遠いNew Yearだった。
 最後は友人と2人、目黒の想い出の場所で初日の出を見てから帰った。
 と言っても友人は他県だったので東京で別れて1人で元旦の初詣に賑わう地元へ、とても派手な衣装をコートからはみ出させながら、ボロボロな顔で帰ったのだった。

 私が傷心ラストツアーへ回っている間、
 学校の休みの理由が風邪のまま通じるわけはなく、親が呼び出され学校へ謝罪に行っていた。
 そして私は冬休み中に学校へ行き自習をするというスタイルの停学になった。
 冬休みに停学ではそのまま休めるだけなので、図書室で自習をし、そのプリントを毎日提出するというものだった。
 そして反省文を書くように強要された。
 しかし私は迷惑をかけたことに関しては申し訳ないと思っているが、後悔は何一つない。
 また12月初旬へタイムスリップ出来るのなら、同じく全国各地へツアーに回る、と書いて提出した。
 もはや、反省の見られない反省文だった。
 呼び出された親の涙と
「非行に走るよりは音楽に夢中な方が良いと思って許しました。」
 という言葉により、内定も取り消されず、卒業も無事に出来た。

同じ月を見に行こう

 初めての就職は夢のレコード屋だった。
 けれど、もう楽しみにしているバンドの新譜は出ることが無い。
 そして、この頃から徐々に日本のJ-POPは変わり始めていて、ある種の音楽が異様に売れる流行ありきな流れになった。
 仕事というのは趣味ではないので、もちろん売上が大切である。
 もともとマニアなお客様との出会いやお話で楽しみを見出していた私には、次第にランクづけられた音楽リストを渡され、下のランクの物はお店に置かないという方針に嫌気がさしていた。
 そして初めての辞職はかなり早めにやってきた。
 解散してソロ活動が始まる中、私の推しはロンドンへ行くことを決めてしまった。

 なんですと?

 これからは皆の心の中に……
 月を見上げたら思い出そう
 同じ月を見上げよう

 そう、言いましたよね?
 あなた、ロンドンへ行かれるのですか?
 という事は、あなたが月を見ている時は、私は時差で月が見えていないということですか?
 同じ月は見れないという事ですか?


 よし!同じ月を見に行こう!!

ロンドンへ

 まだまだ新入社員の私は一年半で夏のボーナスを貰って退職した。
 ロンドンへ行く為に。
 もちろん大金などなく、住むことは出来ない。
 数日間の旅行だった。
 だったら何も辞めなくても……
 しかし私は保険をかけて何かをするのが嫌いなのだった。
 次の仕事を決めてから辞めるという事が出来ないのである。
 一つのことしか集中出来ないのである。
 何かを始める時は、その後の事は考えない主義なのであった。
 若さと言うのは怖いもの知らずなのだ。

 そして同じ月を見に行く為にロンドンへ旅たった……はずだった……

 しかしロンドンへ着いて探しても探しても月が見えない。
 街の明かりが眩しいから?
 曇ってるの?
 そうではない。

 ……新月だった。

 ご存知の通り、月は満ち欠けがある。
 満月があれば、丸々姿を消す新月がある。
 こともあろうに、私たちが到着したロンドンはまさに新月だったのだ。

 ……終わった。
 何のためにロンドンへ……

 そして、以前その推しバンドがステージに立ったライブハウス「アストリアシアター」は改修工事をしていて見れなかった。
 何をしに来たのだ。
 何故、気づかずに来てしまったのか。

 いや、この足元の大地は繋がっている。
 同じロンドンにいる。
 同じ空の下にいる。
 推しの吐いた二酸化炭素が巡り巡って近くに流れてくるかもしれない。
 そうだ!ウォーリーは似たような人が沢山いて探すのが大変だけど、ロンドンに日本人、しかも推しの特徴はわかりやすいはずだ!
 推しを探せ!!
 目的は月を見上げる事から推しの探索へと変わった。
 英語がまるでわからない私は、ファイナルツアーで友達になった、ふわふわしてポワンとしてるのに旅行の手配等はしっかりテキパキと何でもこなす淡いピンクが似合う色白でどう見ても歳下にしか見えない十歳近く年上のかわいいYさんに全て丸投げ状態でお世話になった。
 日本でもYさんは未成年だと間違われて夜中に歩いていると警察が寄ってくるほどだったが、ロンドンへ来たらそれこそ子供に見えるのかもしれない。
 いつでも彼女の大きなトランクを紳士が運びますよと声をかけてくれるのだった。
 それとは真逆に日本でもスーパーの試食販売で奥さん!と声をかけられるような私は
「ライター貸してくれないか?」
「タバコを一本貰えないかな?」
 そんな声ばかりかかっていた。

 Yさんとは、その後何年も一緒に全国を旅する事になったのだが、本当にいつも笑いが絶えない楽しい旅だった。
 そして私達の執念がミラクルを引き起こした。
 推しの写真が壁に貼ってある飲食店を見つけた。
 日本人のマスターが「彼ならたまに来るよ、会いに来たのかい?日本から」と、その壁に貼ってある写真をくれた。
 当時はデジカメなんてまだ普及されてなくてネガから現像したたった1枚の貴重な写真だった。
 そして、私達はそのお店に毎日通った。
 明日でもう帰るという日にマスターから「多分、明日来るかもしれないよ」と衝撃のニュースを聞かされる。
 私は勿論、無職なので帰りが延びても構わない。
 こういったミラクルを楽しむ為にフリーで動くのが好きなのだ。
 でもYさんは休暇を取っていたので、どうしても明日帰らなければならなかった。
 Yさんは私に「せっかくだし、残ってもいいよ?私は帰らなきゃいけないけど…」と言った。
 もちろん逢いたかった。
 ロンドンまで追いかけてきて、逢えたらどんなに嬉しいだろう。
 でも、それは、私1人じゃなくて、2人で逢いたかったのだ。
 旅の準備をしてくれたYさんだけが逢えないのは、何か楽しくない気持ちがした。
 そして問題は、私は帰りの手順すらよく知らない。
 1人で残れるわけはなかった。
 飛行機の乗り換えも、申請書の書き方も。
 そして何より2人で笑顔で楽しい旅だったね、と言い合えるままで終わりたかった。
 新月だった事も、帰る翌日に推しが店に来ることも、オチがついてる私達らしい旅だった。

すれ違い

 ロンドンから帰ると、他のメンバーが私の退職したレコード店でインストアライブをするという、まだ辞めないでいたらめちゃめちゃ逢えたのにね、という事件が起こった。
 地球のどこに居てもすれ違いが起きるらしい。
 もちろん私はめげずに客として参加した。
 質問コーナーでは私の質問が採用され、ボールペンを貰って握手も出来た。
 やはり執念はミラクルを呼ぶのであった。

 ほどなくして推しも日本へ帰ってきた。
 数年行ったままなのかと思ったらすぐに帰ってきた。
 そしてやっとソロ活動を始めた。
 地元で唯一の大きなレコード店を辞めてしまったのに…


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