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苦しい人に寄り添えるように

今日は、先日お話ししていた祖母に会いに行ったことをお話ししようと思います。

こちらの記事です。簡潔にいうと、祖母が入院生活でうつ症状になってしまいました。
このままでは入院がままならない、という判断で、一時退院することになった祖母にようやく会いに行きました。

久しぶりに会った祖母は、長いこと入院したり、コロナ禍で外に出ることを控えていた影響で、歩くことや立ち上がることさえもおぼつかなくなっていました。

見た目的変化もさることながら、やっぱり気になってしまったのはメンタル面。

声にはまるで覇気がなくて、かつての快活な様子はなくなっていました。
想像はしていたけれど、やっぱりそれを目の当たりにするとやるせない気持ちになります。

一緒の時間を過ごして、うつの片鱗も見えてきました。

「自分はもう何にもできなくてダメだね」
「迷惑かけてごめんね」
「せっかく来てくれたのに何もできなくてごめんね」

悲しそうな声で言うものだから、なんだかとても悔しくって。
だって、祖母は何も悪くないから。


私自身、絶対に元気になってもらいたいと意気込んでいたはいいものの、実際に祖母を目の前にして気の利いたことも言えなくて。

ただただ話を聞いて、肯定してあげることしかできなかったのだけど。

でも祖母は、私が顔を見せただけでとっても嬉しそうにしてくれて。
「会いに来てくれて嬉しい」って「ありがとう」って何度も言葉にしてくれた祖母を見て、なんだか泣きそうになってしまいました。


祖母の気持ちの全てをわかることはできないけれど、言葉の端々から読み取れる本音には痛いほど共感できることもあって。

退院してから、母はずっと祖母のそばにいたのですが、祖母への寄り添い方に違和感がありました。

「今まで(ちゃんと歩くことが)出来ていたんだからできるよ」
「(歳をとるのは)みんなもいずれそうなっていくんだから一緒だよおばあちゃんだけじゃないよ」
「がんばれがんばれ」

母なりに祖母を思いやってのことなのは理解しているけど。
なんか違うなって。
私はこれを言われたら嫌だなって思うんです。

だって、今までのようにできないから辛くて苦しいんだ。
他人がどうとかそういうことじゃない。
頑張りたくないんだ。
共感はいらないけど。
せめて自分の言葉を否定しないでほしい、と私は思います。

母の言葉は、心が健康な人にはとても有効だと思います。
でも、マイナスの思考に陥っている人にプラスの言葉をかけても、そのプラスは上から押し付けられてのしかかってくる、とてもとても重いものなんです。

私だってそっちに行きたい。
でも押さえつけられて、這い上がれない。

そんな気持ちになります。

だから、おんなじマイナスの視点から、「それでもいいんだよ」と言ってあげられる人が、必要だと思う。

だから私は、それになりたい。

気の利いたことは何一つ言えないけど。
上から引き上げようとするんじゃなくて、同じ目線になるまで潜って隣にいたい。

まずはその気持ちを母に理解してもらおうかな、と思う。
私だからこそ、感じること、考えたことを。


私にできることは、まだまだある。

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