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自分作り

あなたは普段、どんな服を着ていますか??

私、ずっとずっと"可愛い”に憧れてきました。
可愛らしいフリルのスカートやリボンのあしらわれたブラウス___

着ていればいずれ定着する、これが自分になるんだって信じて疑わず、私はその好きと理想に素直に従ってきました。
ヒラヒラ可愛い服を着て、可愛いカフェに行く。

もちろん、楽しかったですよ。
小さい頃からずっと夢でしたし、理想になれた達成感があって、るんるんでした。
周りも褒めてくれましたしね。

女の子らしいフリフリヒラヒラの洋服って意外とおばあちゃん世代に刺さるみたいですよ。
街中で、「お人形さんみたいだね」って声をかけてくれる人もいたりして。

そういう服を着ることで、以前ならできなかった経験がたくさんできました。

ただ、ふとした瞬間に、違和感を覚えることがあって。

これ、本当に私かな?って。

小柄で控えめ、おしとやかで仕草も女の子らしい。
可愛いの価値観は人にもよるけど、まあ一般的に誰もが認める可愛い女の子像にこそ、こういった服は似合うんだよなって考えることがありました。

私自身は、いわゆる"女の子らしい服”を着ているような女の子とは正反対でした。
なにせこの19年間、ずっとお調子者の長女をやってきたものだから。

自分にはこんなの似合わない、とかそういうマイナスの思考じゃなくて、「私ってこうだったっけ?」って。

別に着たいなら着ればいいじゃんって、関係ないよってそういう意見もあるでしょう。私もそう思います。
でも、そうではなくて。

理想の服で、いつも通り喋る自分がなんだかモヤっとして。
コレじゃないな感。

私自身の性格と、洋服が生み出してくれる雰囲気や人間像の中にある圧倒的差から生まれる違和感は、私にとって些細なことではありませんでした。

服が引き出す魅力との本来の私とのギャップは、私が私らしくあるために必要なものではありませんでした。

自分がどう見られているか、それを判断するのは私と出会った人それぞれに委ねられていますが、服の印象で、その印象がねじ曲げられることが嫌だった。

私と正反対の服は、互いの良い要素を阻害しあっているような気がして。

いつの間にか、「理想に近づきて生きていきたい」という思いが「自分らしい自分で生きること」という気持ちに勝っていたんです。

「この服は自分には似合わない」

じゃなくて

「この服が私に合ってないよね」

みたいな。

私には、きっともっと私の良いところを伸ばしてくれる、似合う服があるはずだ!って感じで。
いいご身分ですよね。笑

か弱くて可愛い女の子に憧れた時期もありましたが、私は随分と逞しかったようで。
健康で、元気で、めちゃくちゃゲラ。

支えられるより支えたいし、心配されるより心配したい。
可愛がられるより可愛がりたいし、お節介してる方が楽しい。

それが自分。

もちろん可愛い服は今でもずっと好きですし、気分転換で着ることだってありますけど。

もっと私らしくしてくれる、私に似合う服は、コレじゃない。
それはマイナスに囚われた感情じゃなくて、プラスだから。

この気持ちに従おうと決めました。


覚悟って言うと大袈裟ですが、そうやって思考が整理できた私は、早速美容院で髪の毛を切ってきました。

行動力だけは自信があります。笑

胸下まであったロングを肩くらいまで、バッサリと切って。
ここまで短いのは中学生以来だから、なんだか新鮮です。

当時、似合わないと思ってから短くすることは避けてきたのですが、案外、悪くない。

なんだか清々しいです。
ドライヤーも楽チンだし。


理想の自分にならないことも、今の自分を生かすことも、それはそれでいいんじゃないかなって。
現状維持は停滞じゃない、そう思えました。


総じて私は、服が好きだ。

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