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3.Hito Steyerl's Hell Yeah We Fuck Die

はじめに

 こんにちは、この記事の趣旨はこちらでご覧ください。

第3回目の今回は、ヒト・シュタイエルの『Hell Yeah We Fuck Die』を取り上げます。
リンクからこの作品が紹介されているサイトに飛べるので見てみてください。
今回彼女の作品を選んだのは、大学時代に彼女が教鞭をとっているベルリン芸術大学に留学をしようと考えていたことがあったからです。
ただ、ちょうどそのころCovid19が流行り始めたので、計画が途中で頓挫してしまったのですが…笑
彼女は世界で最も注目されているアーティストの一人でもあるので、紹介したいと思います。

では早速みていきましょう!


作家紹介

ヒト・シュタイエルは、1966年ドイツのミュンヘンに生まれ、しばしば著述家、映像作家、アーティストと紹介されます。

1980年代後半に日本映画学校(現・日本映画大学)で日本の映画史を学び、その後ミュンヘン映像単科大学でドキュメンタリー制作を専攻。2003年には、オーストリアのウィーン美術アカデミーで哲学の博士号を取得しています。

彼女の作品は、軍事化、監視移住、グローバル化におけるメディアの役割、イメージとそれを取り巻く文化の普及などの話題に関するものが主で、本邦初の邦訳ある『デューティーフリー・アート:課されるものなき芸術 星を覆う内戦時代のアート』(2021)の他に、『真実の色──芸術領域におけるドキュメンタリズム』(2008)、『スクリーンに呪われたる存在』(2012)、『表象の向こう側』(2016)など、数多くの著書も出版しています。

作品紹介

ドミニクが『Masterpieces of the 21st Century』で紹介するのは、2016年のインスタレーション『Hell Yeah We Fuck Die』です。

鉄製の筒状の柵、波板状のパーティションとモニターを設置し、モニターには映像が映し出されています。映像には青色をした3Dモデルの人形のコンピューターによるシュミレーションが、二足歩行式ロボットの開発プロダクトが人間に殴られながらバランスを取ろうとする映像をトレースするように映し出されます。また映像の中で、トルコ南東部、シリアとの国境にあるクルド人の町チズレの、政府とPKK間で激化する紛争によって廃墟化した街の様相が映し出されます。そしてこの町が、東のレオナルド・ダ・ビィンチと呼ばれるイスマイル・アル=ジャザリーというアラブの学者の出身地でもあることも言及されます。彼は『巧妙な機械装置に関する知識の書』(1206年)という本の著者であり、その中で自律型機械の中でもアンドロイド・オートマタについて記述しています。そうしたロボットとイメージの歴史、現代における戦争や軍事利用の目的で開発される自動式の人間型機械といった要素を同じ空間に配置し、来場客はそうしたインスタレーションの構造体の狭間から鑑賞するような構成となっています。また、ひときわ目を引く構造物として、この作品のタイトルでもあるHell、Yeah、We、Fuck、Dieの文字をコンクリートが縁取り、白いライトを携えた椅子がバランスよく配置されています。この五つの単語は、過去10年間の英語の音楽チャートで最も頻繁に使われた5つの単語です。そして、それらの単語を元に、ドイツ人のDJカッセム・モッセが作曲したサウンドトラックが会場に響いていおり、さまざまな要素が絡みあったビデオインスタレーションとなっています。

これは傑作か?

この作品で重要なのは、これらの複雑に要素が配置された空間から、何が創造され、どのような解釈を生むかということです。

戦争を志向する社会への批判が含まれているのは明白でしょう。
ドミニクのテキストを参考にしつつ、この作品が他に示唆するものを考えてみます。

一つは、ロボットを開発する企業の背後に隠れている先進国の存在についてであり、ビジネスと戦争の関係から透けて見える資本主義社会の支配関係の構図かもしれません。
もう一つは、そうした戦争を前提として製造されるロボットとAIの発達は、ジャザリーが考えていた時点では想定されていなかったことであり、数百年の間で人間とロボットのイメージが歪み変化してきたこと。なぜなら、ジャザリーの「ワインを注ぐ機械」はどちらかというと、スマートな家庭用電化製品を予見しているからです。
もしくは、現代に開発されようとする二足歩行のアンドロイドと、ジャザリーが思い描いた、限りなく人間を想定したロボットのイメージの、時代を超えた共通性には、「人間」を基準、絶対、理想とする不変性が確認できること。
他には、時代が現した五つの単語の上に座り、その音楽に浸りながら鑑賞することが、私たちの絶対的な未来の死という約束事を土台として据えることを暗示しているかのようです。機械にはある種のSF的なイメージがつきまといます。シンギュラリティ後の人知を超えた存在、不老不死のような神の領域に達した機械と人体の一体化による便利さや能力の向上を図る人類の未来像へ今も邁進し続ける現実。この五つの単語は、そのような優勢思想や能力主義への皮肉とも捉えることが可能でしょう。

いかがでしたでしょうか?
他にもさまざまな解釈ができることでしょう。この作品は、AIや機械と人間、社会との関係性を深く考えさせます。作品がこのようにさまざまな解釈を生み出すことができるのは、彼女の丹念なリサーチの賜物によるアートの力と言えます。




参考元

本連載は以下の本を参照します。
Dominique Moulon, "Masterpieces of the 21st Century - art in the digital age",Translated by Geoffrey Frinch, 2021

見出しの画像は、以下のサイトをスクリーンショットで切り取ったものを使用しています。
https://ocula.com/art-galleries/andrew-kreps-gallery/artworks/hito-steyerl/hell-yeah-we-fuck-die/

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