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人間関係構築術。10「隣の芝」

僕の隣でポケモン(初代)をやっている人の手持ち↓

イワーク・エビワラー・サワムラー・イワーク・カイリキー

「隣のシバ」や。それ。


…はい。
仕事めっちゃ疲れたのでそれが現れてますね。
タイトルが浮かんだ瞬間に、このしょーもないことも思い浮かびました。


真面目な話ですが、「隣の芝は青く見える」という諺。
よく耳にしますが、一体これは何が言いたいんでしょうか?
情景としてはよくわかります。
自分の家の庭に生えている芝の色よりも、隣の家の庭に生えている芝の方がいい色に見える、と。
これは「隣の家の芝も実はそんなに大したことないのに、自分のと比べるとよく見えてしまう」という意味が本義なのでしょうが、「隣の芝」が本当に青々としている可能性も捨てきれません。
そうなると、これは「隣の芝は青く見える」ではなく事実として「隣の芝は青い」のです。本義の「他人のものはよく見えてしまう」という意味が消滅してしまいます。

何が言いたいのかというと、
本当に隣の芝が青々として綺麗なのか、
それとも自分の芝だってそんなに悪くないのか、

「まずは『隣』を見ないとわからないよ」ってことです。

無根拠な自信を持っている人にはしばしばお目にかかりますが、その反対の、無根拠な劣等感を持っている人にも同じくらい出会います。どちらの方が良い/悪いの話ではなくて、「無根拠」に、「盲目的」に、何かを信じてしまう人が多いように感じるのです。自分を知るために最も手っ取り早いのは、比較することです。
今のご時世、比較対象は無限にあります。
ちょっと検索すれば平均的な年収や年代別の保有資産額なんかはすぐわかりますし、SNSを眺めてみると、お洒落な投稿・面白い投稿・可愛い/かっこいい投稿が溢れています。
では、それら全てに対して憧れの感情しか出てこないかというと、果たしてそうでしょうか?他と比べた結果、数値化できる自分のあれこれや、感覚的な自分の全体像が明らかに劣っていたとしても、そんなに悲観しないといけないことでしょうか?





自分はそうは思いません!!!!!(唐突なあばれる君)




隣の芝を見た時に、ちょっと考えた方が良いことがあります。

「隣の芝を自分の家の庭に植え替えたとして、それは果たしてマッチするのか?」
「確かに隣の芝は青いけれども、全体の調和は取れているのか?」


他人のいいところをそのまま取り入れたところで、それが自分自身の行動原理や哲学にそぐわず、自分を苦しめる結果になってしまったとすれば最悪です。
また、ある人がSNSに投稿したもの全てがその人を映し出す真実とは限りません。卑近な例になってしまいますが、目を見張るような高級車に乗っている人の家もさぞかし大豪邸なのだと思っていたら、築30年超のボロアパートに住んでいた、というような。「無理してるんだろうなぁ…」と思われたら、かえって哀れです。

自分を信じて、自分の道をゆけ!なんて強気なことは言えませんが、他人を見て「いいな〜」と思ったとしても、その憧れのエッセンスを取り入れるか取り入れないかは結局、「自分を客観視」したときどう見えるか、という部分を忘れないでいたいものです。

では、初の2桁投稿を終わります。
ご覧いただきどうもありがとうございました。

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